(34)『お兄ちゃん……?』
「ハイおしまいっ」
最後の大カマキリがズシャッと生々しい音を立てて崩れ落ち、俺とミストルティン以外に動くものがいなくなる。
途中から目を開けて俺たちを見ていたスペルビアも巨鎚を枕に再び寝入っているようだった。
「お疲れさまです」
汗こそかいているものの爽やか笑顔を崩さないミストルティンが冷たい濡れタオルを差し出してくる。
運動部の後輩かっ、とも思ったがわざわざ自分の分を出すのも悪いか、と素直に好意と共にタオルを受け取る。
「最後の方だけはちょっといい動きになってたよ」
汗を拭いつつさりげない調子でそう言うと、ミストルティンは「だけ、ですか」と言いたげに苦笑する。
(まあ、ホントにだけ、だったしな)
タオルをミストルティンに返してスペルビアに歩み寄ると、
「起きて、スペルビア」
四つん這いの前屈みになって、眠り姫の肩を揺する。
「んぅ」
それだけ言ってうにゅうにゅと目をこすったスペルビアは、ごろん。
寝返りをうって壁の方を向いてしまう。
「ダメだな、これ」
「僕が運びましょう」
ずざぁっ!
突然隣の至近距離に現れたミストルティンに驚いて、尻餅をつくように後ずさる。
「どうかしましたか?」
怪訝そうな眼差しを向けてくるミストルティンにブンブンと両手を振りつつ、
「何でもない何でもないっ!」
と思わず叫ぶように言ってしまう。
直後ミストルティンがぽかんと呆気に取られた顔になったため、急に今の言動が恥ずかしくなり、
「ま、任せたッ!」
そう言ってすぐに立ち上がり、早足で歩いて部屋から逃げ出した。
何だよ、コレ。
反応だけ見ればまるで女じゃないか。
階段で一階に上がった時、意外な人物と遭遇した。
「よっ、お疲れ~」
階段に落ちないよう廊下に据えられている手すりに腰かけ、手を挙げるだけの気軽な挨拶をしてくるのは詩音だった。
「ミスト、強いでしょ」
まるで自分のことのように誇らしげに笑いかけてくる。
「まあ、それなりに。でもパーティプレイができるようになるまでは少し時間がかかるかもね」
「ふーん、結構厳しーんだ」
「他の皆は?」
「んっと……刹那軍曹とリコ教官はアルトとお風呂。アプリコットさんはそっちのソファで寝てるかな。アンダーヒルさんはいつのまにかいなくなってたよ」
「……軍曹とか教官って何……?」
何となく想像はつくけど。
「何だっけ。ハルトマンだかハートマンだかってネタをどっかで見たことあるんだよねー。あとほら、教官って鬼ってイメージがあるじゃん」
あの二人、詩音に何したんだよ、いったい!
テンションが微妙に低いの見れば大体想像つくけどさ!!!
「で、詩音さんは何でこんなところに? ミストルティンを待ってたの?」
背中に浮いてきた冷や汗をごまかすように話を変えると、
「詩音でいーよ。たぶん私のが年下だし。ミストを待つのはアルトの仕事だよ♪ 私が待ってたのはシイナさん」
「えっと……私?」
そう聞き返すと、詩音は手すりからスタンッと下り、くるりと一回転してから廊下を歩き出した。
ていうかさりげなく流したけど、アルトとミストルティンってそういう関係なのか……? でもさっきアルト本人がすごい剣幕で大嫌いだって言ってたしな……。
仕方なく詩音についていくと、
「シイナさん、魔弾刀のシイナの方は今何処にいるの?」
ドキン、と思わず心臓が跳ねた。
俺が足を止めたのを感じ取って振り返った詩音は、首を傾げてくる。
「……どうして?」
つい固い口調でそう訊ねると、詩音は少し迷うような顔をして、
「こっち」
唐突に俺の手を引き、廊下の突き当たりの角に引っ張り込む。
(な、何なんだいきなり……)
不審な行動に思わず身構えていると、詩音は俺の二の腕を掴んで詰め寄るように背中を壁に押し付けてきた。
「これ、リアルに関わるから一応オフレコだよ?」
別に録ってない。
詩音はキョロキョロと辺りを見回すと再び俺に向き直り、身体を寄せるように耳元に口を寄せてきて――。
「魔弾刀のシイナは私の兄ちゃんなの。もちろんリアルでね」
は?
ちょっと待て。
ってことはお前――。
永らく思い出すことのなかった妹の記憶が脳裏に浮かんでくる。
昔からゲームが苦手で、それゆえにゲームに対する興味の薄い運動部の妹。
FOをプレイしていたなんてことを聞いたこともないし、第一憶えてる限りでは神経系全制御輪などのデバイスを持っていなかったはずだ。
それならこの子は、『魔弾刀』を兄と呼ぶこの子は、誰なんだ……?
(待てよ……確かさっき……)
“私はシイナは男の名前だと思うけどそんなことはどうでもいいのーっ!”
それにコイツの名前、詩音は、アルファベットに直して並び替えるとシノになる。考え方の安易さが、椎乃と同じレベル……。
まさか――まさかそんな――。
「……椎乃、なのか……?」
思わずそう呟いてしまっていた。
詩音がきょとんとした表情を浮かべる。顔こそ違うがそれは、昔から見てきた椎乃の表情によく似ていた。
そして俺にとって最悪の事実が、その仮説じみた推測を裏付けるかのような椎乃の一言で、露見してしまった。
「椎名……お兄ちゃん……?」
ポツリとその唇から紡がれた言葉。
そんな……椎乃が一緒に……閉じ込められてたなんてッ!
「椎乃なのか? お前九条椎乃なのか?」
逆に詩音の肩を掴み、やや乱暴に揺すりながら問い詰める。
すると詩音は信じられないものを見るように目を見開いて、ガクガクと頷いた。
(俺一人なら、父さんも母さんも待つことぐらいできるだろうと思っていたけど、椎乃まで一緒なんて想定外にもほどがあるぞ、ちくしょうッ!)
今までずっと、妹のことに気づかなかった。そもそもこれまでだって、コイツと会ったことはある。椎乃みたいだとは思っても、椎乃はゲーム嫌いという先入観が邪魔してこの結論に至らなかったのだ。
「でもなんでお前がFOにいるんだよ!」
「と、友達と……最初は仮想現実で色々遊ぶためだけに買ったんだけど、その内ゲームの方も気になって……」
椎乃が怒られてる時に出すような弱々しい声でぼそぼそと言い出した。
確かにそういうプレイヤーもたくさんいる。ゲーマー側からは差別的にディスプレイヤーと呼ばれる、ゲームよりもVR利用目的のプレイヤーたちだ。
椎乃はディスからプレイヤーに転向した、いわゆる昇華るというVRMMOスラングで呼ばれるパターンだ。ちなみにその逆、一時期のアプリコットは堕落ると呼ばれる。
「なんで俺だってわかってたんならもっと早く来なかったんだよ」
「兄ちゃんと別にフレンド登録した訳じゃなかったからいるかどうかもわからなくて、最初はドナドナさんから外出禁止令が出てたから……。最近、いっちー、いちごタルトからギルドリーダーの『シイナ』がいるって聞いて会いに行こうかと思ってたんだけど、私、一応ギルドの幹部じゃん。なかなか時間取れなくってさ……。まさかGLが代替わりしてるなんて知らなかったか――」
あ、気付いたな、コレ。自分が言ってることの明らかな矛盾に。
「兄ちゃん……」
ジッと俺の顔を見上げてきた椎乃は、予想通りの質問をぶつけてきた。
「――そのアバター……何?」
気づくの遅すぎだろ。まったく俺と同じ血を引いてるとは思えないな。
鈍すぎる。




