(31)『お客様です』
案の定(と言っても俺はそこまで気が回らなかったのだが)、のぼせてしまったスペルビアの介抱を言い訳に風呂場から脱出したアンダーヒルと俺は、脱衣所で暢気に着替えるわけにもいかないため表面の水分だけ軽く拭き取って、ちょうど空き部屋になっている隣室に飛び込んだ。
「焦った……。死ぬかと思った……」
抱えていたスペルビアをベッドに寝かせて、四肢を床に投げ出す。
脱衣所を出た瞬間に自動でオブジェクト化されたインナーを胸が苦しくならないように微調整しつつ、隣に立つアンダーヒルの方に目を遣る。
スゴいな……。
たった十秒間ほど目を離しただけなのに、俺に動きを気取られることなく、腰回りに【ブラックバンデージ】を巻き終えている。今はそのまま胴体を螺旋状に巻いて、胸の方まで引っ張ってきていた。
(さっきまでコイツとピッタリくっついてたんだよな……俺)
アンダーヒルは馴れた手つきで比較的緩めのインナーに手を通し、決して大きくはないが確かに存在しているその膨らみに、直に包帯を巻き付けていく。
あっという間に作業は終わり、最後に一度しまって乾いた【物陰の人影】を羽織った瞬間、インナーの表示が消滅した。
なるほど、そのまま着けたら大変なことになるな。色々と。
でもあの方法じゃ、胸が大きかった場合はアウトだな。その時はサラシでも併用するのだろうか。
並んでみて改めて思ったが、ちっちぇーな……。胸じゃないぞ。背の話だからな。
かなり小柄だ。
実際抱えた時もかなり軽かったし。
アンダーヒルは金属製の腕輪と黒い靴を履くと、ようやく俺に気づいたようにハッとして、わずかに後ずさった。
「あ、あまり見ないで下さい……」
「あ、いや、悪い。つい……」
まあ見るなと言われても、今思い起こせば風呂場で、見たなんて言ったら【コヴロフ】で脳天撃ち抜かれそうなトコロまで全部見てしまっていたのだが……。
というかあの時目をつぶった方がよかったんじゃないのか……?
まあ言わないでおこう。
まだ死にたくないし。
持ってきていた【フェンリルテイル】一式を装備して、ついさっき思い出した案件を再び検討する。
正確には「実際抱えた時もかなり軽かったしな」のくだりだ。
あの時、基地で拾った【壊れたアクセサリー】、五芒星を象った銀色のペンダントだ。
一応、グランの爺さんに直してもらっていたのだが……。
(アイテム名【Guilty the Past】……過去の罪、でいいんだよな……)
アンダーヒルのものかどうかはともかくとして、FO既存のアクセサリーではないのはグランが証言している。
つまり形状投影でわざわざFO内に持ち込まれたということだ。そしてその名前は、その持ち主が決める。
アンダーヒルのものだとしたら触れてはいけない問題だろう。かといって返さないわけにはいかない。
そんな風に逡巡迷っていると、突然目の前に音声通信ウィンドウがパッと開いた。
相手は……射音からだ。
何だろうと心当たりを探しつつ応答すると、
『シイナ様、ギルド≪竜乙女達≫よりお客様です』
それだけ向こうから聞こえて切れた。
アイツ……。いくら他にも仕事あるからって業務連絡過ぎるだろ……。
「なんか頼ってばかりで悪いけど、ちょっとスペルビア頼んだぞ」
「何かあったのですか?」
「俺に客らしいんだけど……とりあえず行ってみる」
「そうですか。わかりました」
無感情で抑揚のない声を背中に受けつつ部屋を後にする。当然部屋を出るところを誰にも見られないよう音に配慮して。
(客……ねぇ。≪竜乙女達≫から俺を名指しで?)
候補を思い浮かべるが、変態、変態……。
行くか行かないかを本気で迷って仕方なく行くことにしたものの、とりあえず【大罪魔銃レヴィアタン】は装備しておく。護身用に。
エントランスホールに出ると、大扉の前に立っていた藍色ボブカットのメイド、射音が一礼してくる。
「客の名前は?」
「はい。詩音様、アルト様、ミストルティン様です」
ちょっと、待て……!
なんで四竜が二人も、しかも思いっきり武闘派の戦闘隊隊長[詩音]と偵察隊隊長[アルト]。
ドナドナを除いた≪竜乙女達≫で戦闘能力のトップ二だ。
そしてミストルティン。コイツは何度か会ったことのある有名なソロプレイヤーだ。男女で態度をころりと変える女好きなところがあったが悪いヤツじゃない。
ていうかなんでこの三人が俺に?
(もしかしてヤバいんじゃないか……)
三人とも、俺、というより『魔弾刀』と顔を合わせたことがある。
リーダーを呼んでいた場合、今の俺が出れば不審に思うはずだ。その事情を説明せざるを得ない。また秘密を知る人が増えてしまう、ということだ。
「どうかなさいましたか、シイナ様」
少し怪訝な顔の射音にそう訊ねられ、
「あ、いや……そうだな。射音、アンダーヒルを呼んできてくれ」
思わずそう言ってしまっていた。
「かしこまりました」
深く頭を下げた射音はくるりと反転し、たったっと歩いていく。
まるですぐにでも離れたかったみたいな足取りだな。
(仕方ないな……)
いちごちゃんやドナ姉さんの方がどんなによかったか。
一応、少しは整えておこうかと思い、三百五十層解放特典でもらったアクセサリー【天狼牙の髪飾り】【天狼牙の耳飾り】【天狼牙の首飾り】を取り出す。
髪を後ろで括ってポニーテールにし、狼の牙のような髪飾りをこめかみに、勾玉を吊るイヤリングを耳に、紋様のような形のネックレスを首にそれぞれあしらい、鏡で変なところがないか確認する。
「わー、かわいー」
自虐的棒読みでそう呟く。自分で自分を皮肉るなんてもう末期だな、俺。
半ばヤケクソ気味に勝手に暗い気分になった俺が扉を開けると――ドカァッ!
「え……?」
同時に吹っ飛んできた誰かの身体に押し返されるように巻き込まれ、背中から赤カーペットの上に倒れ込んだ。
「いっ……つつつ……」
鳴り響くハラスメントコールで我に返り、反動で打った頭の痛みを堪えつつ何事かと頭を起こすと――
「……!?」
俺の上に覆い被さるような体勢のミストルティンと目が合った。
その距離、三十センチもない。
しかもその線の細いそのイケメン顔は、まるでこっちの、俺の顔に見とれているかのように瞬きひとつせず緊張の色を呈していて――そこまで自覚した瞬間、頬が燃えるように熱くなる一方で背すじに嫌な電流が走ったような感覚に襲われた。
ゾゾッと腕に総毛立つ感覚が広がり、思わず涙までわずかに浮かんでくる。
ミストルティンがどこうとして重心をずらした瞬間、その頬目掛けて容赦なく振り抜いた俺の右腕には――鳥肌が立っていた。




