(15)『祝勝会』
口を尽きない感謝の言葉に新たに生まれた誤解の予感。
逃げた先で廃人は暇を持て余す。
「ありがとうございました!」
十数分後、何故かトゥルム内の俺の家で、今時はあまりやることのなかった祝勝会のようなものが開かれていた。
「うん、もう三十二回聞いたよその言葉」
俺が助けたビギナーの少女[ネア]は、あの後土偶騎竜に乗せられたまま鬱蒼とした熱帯雨林をショートカットし、刹那の指示していた通り、シンやリュウと合流できたようで、二人と一緒に無事にトゥルムに戻ってこれたらしい。
途中、〔ギリーコンドル〕というモンスターに出会ったようだが、二人が一蹴したらしく、然したる被害は出なかったと言う。
そして塔の前を取り囲んでいる円形広場で何処かそわそわしながら待っていたネアは、俺が塔から出てくるなり駆け寄ってきて『ありがとうございました』の十連コンボをかましてきた。
今の現状で目立ってしまうのはまずいのと全員それなりに疲れていたのとも合わせて、トドロキさんが気を利かせて提案してくれたのだ。≪アルカナクラウン≫のギルドハウスが一番近かったのだが、やはり遠ざけてしまう俺やリュウ・シンに刹那が非常に珍しく遠慮して、結局一番近い俺の部屋に集まった次第だ。
そして祝勝会のようなものが始まったのだが、
「アンダーヒルがなんか呼んどるから帰るわ~」
と早々に帰ってしまった提案者のトドロキさん以外の四人は、小一時間の間にさらに『ありがとうございました』の十連コンボを受けた。
もしかしたらトドロキさんはこれすら予測していたのかもしれないと思うと、なるほど『諜報部』の危機管理能力は恐ろしい。
さらに三十分ほど話している途中に十二回挟んできた単発『ありがとうございました』に辟易しながら今に至るというわけだ。悪気がないのがわかるだけになかなか拒みづらい。
しかし、ここまでくるとさすがに勘弁してほしい。
「ま、まあ、よかったね。ネアちゃん。とにかく、これからその手の情報は“物陰の人影”が投稿者のものだけ信じた方がいいと思う。それ以外に信憑性がないわけじゃないけど、それ以上に信憑性のあるものがないから」
「あ、はい。わかりました」
ネアちゃんはすぐに筆記アイテム『白色メモ』を取り出し、『ブラック・ボ-ルポイント』所謂黒ボールペンでさらさらと今俺が言った言葉そのものを書き取り始める。
世界のアイデンティティそのものが娯楽であるFOフロンティアでは、ほとんど見ることのない、学ぶことに真摯な本来の学生らしい姿だ。性格からそうではないかと思っていたが、現実の彼女は、やっぱり優等生なのだろう。
俺とは違って。
ちなみにメニューのテキスト機能を使えば、もっと便利に文章を残すことができるのだが、ネアちゃんはそれに気づいているのかいないのか。
「始めてまだ二日目だっけ?」
テーブルを挟んでネアちゃんの真正面に座るシンが、興味深げな雰囲気を醸してそう言った。
いや、しかし、ここで台詞を挟んできたと言うのは、そろそろ過剰すぎる『ありがとうございました』を抑止する目的もありそうだ。
「あっ、はい」
一緒にフィールドを出たシンとは、それなりに打ち解けているのだろう。ネアちゃんは少し慌てたようになりながら、そう答える。
どうでもいいが、シンは女の子が大好きだ。
好きが高じて女性に対してはそれなりに紳士であるのだが、それにしてはあまりにも成功率が低いのも事実である。
「これはまた難儀な種族を選んだね……」
「えっ!? そうなんですか?」
言い難そうなシンの台詞に、驚いたような声を上げるネアちゃん。
種族判別は俺たちぐらいなら見ればほとんどわかるのだが、ネアちゃんの選んだ種族は良くも悪くも有名な『天使種』。
背中に鳥のような白い翼を持ち、専用装備のほとんどが見た目と性能の両立を実現している種族だ。しかし初期ステータス配分が魔法攻撃力一辺倒で、物理攻撃力・物理防御率がほぼ0に等しいため、単独成長が難しい種族だった。
最初から飛行能力を有している種族はこういったデメリットを持つものが多い。
という辺りの説明をシンが終えると、
「そう……だったんですか。周りから変な目で見られてるのは何となく気付いてたんですけど、そういうことだったんですね……」
「いや、それは変な目というか好奇の目だね。天使種を選んでおいて、初期からの専用装備〈*天使の天衣〉を選ばなかったからだと思うけど……」
彼女の装備は〈*レザー〉一式。
防御率も無難程度、スキルも特に無い。
完全に初心者用の初期装備であってもなくても変わらない。
初期装備を受け取らなければ最初に受け取れる資金が増えるため、レザー一式を取るくらいなら大抵の人は早めに素材を取りにいく。実は別の防具を作った方が割に合っている、というのは内外の掲示板でも共通認識だ。
対して〈*天使の天衣〉は、防御率こそそれほど変わらないが、ダメージ軽減の付加スキル【守護者の加護】がある。どちらが有益かは見ればわかるだろう。
「あ、あんなに恥ずかしい格好できるわけないじゃないですかっ」
「何を恥ずかしがることがあるんだ! 〈*天使の天衣〉だけにあらず! 天使種の装備の造形たるや素晴らしいものばかり!」
突然ヒートアップしたシンに付き合うことさらに二十分、業を煮やして痺れを切らした刹那がシンを殴り止めるまでその話は続き、結局ネアちゃんとフレンド登録だけをしてこの日は解散することになった。
何故フレンド登録することになったのか、というとネアちゃんが何処となく危なっかしかったことと、全員ビギナーの知り合いは皆無だということ。それと刹那が率先してフレンドコードを交換し始めたからである。
シン、刹那、リュウと次々帰っていくギルドメンバーを見送り、最後にネアちゃんを見送ろうとした折、「今日はお世話になりました」と玄関でまた頭を下げられる。
「何かわからないことがあったら、俺に連絡してくれていいから。っと、別に他の三人にしちゃいけないってわけじゃないけどね」
「はいっ。始めたばっかりでシイナさんたちみたいなすごい人たちと仲良くなれて、本当に嬉しいです!」
「上とのコネクションって、このゲームでも相当大きいからね。まぁ、そういう意味でもサポートできるからいつでも頼ってくれていいよ」
現実的にはネトゲ廃人扱いだけどね。上位プレイヤー陣って。
トドロキさんなんかは現実で仕事もしているらしく、遊べることは中々少ないのだと言っていた。そういう人も一緒くたな世の中である。
「それじゃ、おやすみ」
もうすぐ午後八時半。
この世界は現実の時間とリンクしているため、そろそろ現実の方では、一般家庭の夕食の時間帯が終わりつつある頃だ。
そう言って扉を閉めようとした時、
「あ、ちょっと待って下さい。ひとつだけ聞きたいことが――」
閉まり切る寸前にネアちゃんの声が向こうから聞こえてきた。
何だ? と思いつつ俺が再び扉を開けると、ネアちゃんはその隙に扉の下の隙間に足を挟みこみ、扉が閉まらないようにしてしまう。
何処の刑事だ。
「えっと、その……。一人称、なんで“俺”なんですか?」
躊躇いがちな様子のネアちゃんにそんな質問を投げ掛けられたのだが、一瞬その内容理解が停止する。俺は無意識の危機判断をさっと切り捨て、危険承知で改めてその質問の内容を斟酌する。
今現在俺の一人称は“俺”で、俺が俺と言うことに意識的な問題はまったくないのだが客観視すると俺が俺であることはおかしいわけで、しかし俺のアバターの現状は――――えっと、なんだって?
若干混乱気味になりながらも、俺の思考はその質問の意図を弾き出した。
トドロキさんに警告されたこと、意識の片隅にすら残ってねえじゃねえか、俺の馬鹿ヤロウ!
喋り方すらそのままである。
「あの、もしかして――」
最後まで躊躇いがちなゆっくりな台詞が耳に届く。
「何を考えてるかはわかんないけど違うから!」
ネアちゃんの台詞を先出しで潰しつつ、俺はメニューウィンドウを開いてそこの一番下にあるボタンに触れた。
『[シイナ]はログアウトしました』
どうせ盗める物なんかない以上、セキュリティなんてどうでもよかった。
日曜日――。
朝起きると、PODにメッセージが二件届いていた。
一通は昨日登録したばかりの[ネア]、もう一通はROLのシステムサーバー管理者からの全体通知だった。
フレンド登録さえすれば、メールアドレスを知らなくてもFOを介してメッセージの送受信で遣り取りができるのだ。実際のところ、シンやリュウとはプライベートなメールアドレスは交換していない。
刹那だけは交換しようと言ってきたため、あまり必要性を感じない交換を済ませてあるが。
(昨日のことだったら気まずいなぁ……)
まずネアちゃんからのメッセージを開くと、タッチ&スクロールして本文を呼び出す。
『[ネア]性同一――』
視界に飛び込んできた文字列に再び反応した俺の危機管理無意識が咄嗟に目を逸らさせる。
現実とは異なる性別のアバターを使えないことからも、さすがに俺が本来男であることには気付いていないようだが、『身体が女であるが、自己意識が男である』人だと思われている。文面を見る限り。
『いや、違うからね!?』
送信ボタンを押そうとして、一瞬躊躇を覚えた。
(やっぱ理由とか聞いてくるかな……)
これ以上は気を遣ってくれそうな性格だが、気を遣い合う関係というのは万人がそうであるようにどうも苦手だ。
俺は返信するのを保留してメール作成画面を呼び出し、アドレス帳から[刹那]を選択する。
『おはよう。俺のアバターのことでネアちゃんに不思議がられたんだけど、なんて説明すればいいと思う?』
少し文面を考えたものの、結局簡潔に打ち込み、送信する。
時間は朝十時過ぎ。
日曜日と言えど、刹那ならさすがに起きてるだろう。もしかしたらバイトが入っているかもしれないが、その時は大人しく諦めよう。
そして、一息吐いた時だった――――ガチャ。
「うぉうっ、日曜朝っぱらから居もしない空想上の彼女からメール待ちしてる変態チックなウスウスグラグラいヤツが突っ立ってるッ!? ッて遠目で見れば兄ちゃんじゃん」
昨日の朝九時過ぎのリアクション再来。
バックステップで距離を取り、廊下の壁にまたも背中を打ち付けた妹、椎乃の台詞を斟酌し、俺はもう一度ため息を吐く。
「いきなり出てきて失礼な。それと騒々しい。大体ウスウスグラグラいって何だよ。あとお前の兄はそんな痛々しい行動をとった憶えは全く持って皆無だ。捕捉するなら今友達にメール送ったトコだよ」
遠目云々はスルーする方向で。
「既に自覚がない辺りからしても手遅れだね。でもDie Job! なんてったってお兄ちゃんなんだから、私も半径三メートルまでは近づいてアゲル!」
一昔前なら昼ドラ鉄板の『家政婦は見た』シリーズの家政婦役みたいなリアクションをしながら、しっかりと部屋の中と外で三メートルを確保する妹が早くも鬱陶しくなってきた。
手すら届かないじゃねえか、三メートル。
「さりげなく人を失業者扱いしてんじゃねえ。で、今日はいくらだ?」
しかたなく机の引き出しから財布を取り出し、札に手をかけると、
「何言ってんの、兄ちゃん。私がそんな四六時中お金借りにきてるみたいな言い方やめてよねー、失礼しちゃうなぁ」
「四六時中とは言わないまでも結構な頻度で来てるからな、オマエ」
「私はおかーさんに言われてお兄ちゃんを呼びに来ただけー。『今日はブランチにするけど食べる?』だって。どーする?」
「ああ、今日は出る予定もないし、家で食うと思う。それにしてもオマエがただで働くなんて珍しいな。熱でもあるのか?」
「ナイナイ、元気だよ。おかーさんがお兄たんからお駄賃貰いなさいって」
母上よ、あなたは鬼ですか!?
「その『お兄たん』って呼び方いい加減やめろって伝えてくれ。その代わり母さんからもお駄賃貰っていいから」
差し出された妹の手に、言付け代を含めても明らかに多いと思いつつも、仕方なく五百円玉を乗せると、
「うぃ~、らじゃーっ」
と敬礼した後、アフリカの奥地っぽい謎のダンスをしながら、キッチンの方に歩いていった。
成長してんのかしてないのかわかんないヤツだ。
ドアを閉め、再びPODに意識を戻す。
「来なさそうだな、返信」
刹那からの返信はまだなかった。
あまり急ぐようなことではないが、メッセージが来たのは昨日の深夜。もしかしたら少しの間返信を待ってくれたかと思うと、できるだけ早く返したい。誤解を解くためにも。
そこで、再びアドレス帳から[刹那]を呼び出し、今度は電話番号を選択してコールする。
バイト中だとしても、仕事中に携帯を持っていたりはしないだろう。その時は出ないだけだから問題はないし。
数回のコール音を聞き流していると、
「は、ひゃぃ、もしもしっ!」
突然繋がり、電話の向こうからそんな声が聞こえてきた。
ちょっと鼻にかかった感じの高い、所謂アニメ声に分類されそうな声だった。
何を焦っているのか、一瞬噛んだというのは間違いないのだろうが、少し幼さすら感じさせるその声は、いつも聞いている刹那の声とは似ても似つかない。別の何処かで聞いたことはあるような気はするのだが、昨今明瞭になってきているとはいえ電話を通してしまうとやっぱりわからない。
「あ、えっと……間違えました」
ピッ。
半ば反射的に身体が動き、いつの間にか通話を切る。そして、すぐに同じ操作をして、間違いなくアドレス帳の名前が刹那のものであることを確認し、再び同じようにコールする。
「ハイ、もしもし……?」
なんか怒ってらっしゃる先程のアニメ声さんが電話に出た。
「えっと…………まさか刹那か?」
おそるおそるそう訊ねると、
「当たり前でしょ! アンタ誰に電話してるのかもわかんないの!?」
「嘘だろ!? 何だその声! 中の声とは全然違うだろ!」
今思うと、刹那とはメールの遣り取りはあっても直接電話するのは初めてだった。現実の声を聞くのも初めてなのだ。
「この声が嫌だから中では別の声にしてるんじゃない! 昔っからこの声のせいで変に注目されちゃってんのよ!」
なんか地雷踏んだっぽい。
でも確かにあの声じゃ目立つだろうな。コアな人気は出そうだが。
「なに、アンタ、そんなことでケンカ売るためにわざわざ電話かけてきたってワケ? 初めてだからってソワソワした私が馬鹿みたいじゃない!」
「いや、違うって! メール送ったんだけど気づいてないかもって思って」
「はぁ、メールぅ? ちょっと待ってなさい、駄犬」
ついに犬扱いですか、俺。
従来の携帯電話を基に作られたPODはいくつもの処理を同時並行で行うこともできる。例えば電話しながら他の作業、といった具合にだ。おかげでFOフロンティアに入っている間も電話の応答ができるのは便利だ。
もっぱら外部からFOに入らずして連絡を取るための手段として、プレイヤーの家族等が呼ぶのに使われているが。
「あー、説明は控えるべきだと思うわ。何か理由をでっち上げればいいんじゃないの?」
「その理由が思いつかなくてさ。誰かに相談しようと」
「え、なんで私なの……? シン、とかリュウ、とかでもよかったよね。ど、どうして私を選んだのよ」
「アイツらの電番知らないからな」
「……家庭環境とか育ちの問題とでも言っとけば……?」
ブツッ。
突然、不機嫌そうな少し低い声になり、電話を切られた。
もし怒らせたのであれば後が怖いが後の祭りだ、とわずかに戦慄と諦念を覚えつつ、作成途中だったネアちゃん宛のメッセージを呼び出す。
そして刹那からのアドバイスを思い出し、
「いや、家庭環境とか育ちの問題とかいったら、ホントにネアちゃんの想像通りにお任せします状態になるだろ、俺」
仕方なく言い訳すら諦め、誤魔化す方向で脳内可決される。
『違うよ。理由もなくはないけど理由というか原因というか、どちらかといえば俺のせいではまったくないから』
文面が若干謎の仕様になっているが、誤魔化す分にはこのぐらいがちょうどいいだろう。
そのメッセージを送信して、案件がひとつ片付く。ちょっと面倒くさすぎる案件が新たに増えてしまったが、その結果は後で受け入れよう。
そして残っていたもう片方、サーバーからの通知メッセージを開く。
本日AM10:00~PM11:00まで、定期メンテナンスを行います。その間、ログインは行うことができないのでご了承下さい。なお、10:00の時点でまだログインされている方は強制的にログアウトさせていただきます。
「マジか。そういや、もうそんな時期か……」
[FreiheitOnline]はその規模の関係からか三ヶ月ごとに定期メンテナンスを行っている。最近、サーバーのダウンなんて事態もあったから色々と大変なのだろう。
「ヒマな日曜になりそうだな……」
この現実世界に何人のヒマ人が居るのだろうか。
Tips:『種族』
FOにおいて、プレイヤーのアバターを形成する大きな要素の一つ。アバター作成時に33の基本種族から選択する。それぞれの種族ごとに基礎ステータスや成長の仕方に偏りがあり、スキルや魔法の取得可能数にも差があるため、その後の戦闘スタイルに大きく影響する重要な要素になる。それ故レベル100未満のプレイヤーに限り、各地に点在する専用儀式場で他種族に転生できる救済措置も存在する。




