(19)『超絶お馬鹿』
「ホンット、ありえない!」
刹那の罵倒を聞き流しながら部屋を出ると、出てすぐの場所にスペルビアが立っていた。
「おはよう、刹那ちゃん。顔、赤い。どうしたの?」
「……何があったの? アンダーヒルとリコとアプリコットは何処?」
質問どころか、礼儀に乗っ取った挨拶を完全にスルーして刹那がスペルビアに詰め寄ると、
「私はここです」
と通路の直角に曲がった角の虚空からアンダーヒルの声が聞こえてきた。【付隠透】を使って隠れているのだろうが、何故だ。
「イヴ、じゃなくリコはあっち。【潜在一遇】で偵察中」
と、スペルビアが通路の先を指差した。
「偵察って何か来たの? アプリコットは何処にいるの?」
「“何か”というより“誰か”」
スペルビアが一部を強調するようにそう教えてくれる。
「アプリコットの所在はわかりません。気づいた時には既にいませんでした」
「アプリコットがいなくなった?」
刹那がアンダーヒルにそう聞き返すと、
「はい。加えて言うならアプリコットがいなくなったと思われる時刻のおよそ十分後に、リコが部屋のモニターで侵入者を発見しました。どう思いますか?」
と声だけのアンダーヒルが俺に話を振ってくる。
要するにアプリコットが手引きした可能性について言っているのだろう。
できれば真っ向から否定したいが、普段のアプリコットでは誰がどうでも断言できない。この辺はアイツの自業自得だ。
「侵入者ってのがどんな連中かによるな」
少なくともあのひねくれ者が、マトモな理由や目的をもって“裏切り”なんていう今までの自分を自ら否定することはない。これは大前提として確実だ。アイツが昔、自分で言ってたことだからな。
「確認・識別できた侵入者は三名。その他五名の計八名パーティでこのルートを進んできています。そしてその三人は……『一触即宣戦布告』の[グスタフ]、『一個体軍隊』[ラクサル]、『一寸先は闇蜘蛛』の[アリアドネー]」
と、三人の二つ名が表記されたウィンドウを示してくる。
二つ名の方はどれもこれも初耳だが、思いっきり聞き覚えのあるプレイヤー名が挙げられたな、こりゃ。
「ほぼ間違いないでしょう。彼らはドレッドレイドである確率が非常に高いです」
「たぶん包囲か待ち伏せ。≪アルカナクラウン≫を出た時から見張られていた」
アンダーヒルとスペルビアの坦々とした口調では危機感が薄れてしまうが、こんな狭いフィールドで複数に囲まれるリスクはできるだけ避けたい。
「アプリコットの付ける二つ名は相変わらず独特なの」
「これもアプリコット命名……?」
二つ名命名が趣味なのだろうか。
「先週のアプリコット・ウィークリーで三百二人分の二つ名が更新されたの」
何やってんの、アイツ!?
『アプリコット・ウィークリー』が実在していたことに戸惑いと驚きを隠せない。アイツがマトモな記事を書けるとは思えないから大したことはないと思うが、それでも第2位の影響力は恐ろしい。
「にしてもあのクモ女が自分から前に出るなんて珍しいじゃないの。チキンの癖に」
刹那の目が鋭角につり上がり、姿も見えないアリアドネーに殺気を放ち始める。
「落ち着いてください、刹那。まだ交戦するとは限りません。サジテールの復元終了まで残り時間約46分37秒。それまでに侵入者とエンカウントしなければ、研究区画を通って離脱しましょう」
「じゃあ交戦の準備だけして待機ね」
フィールドに出ると、合理的に物分かりのいい刹那が虚空を見つめて頷く。
すると、『スキル全解除』と宣言され、角でスナイパーライフルを構えていたアンダーヒルが姿を現す。
コイツ、また包帯外してるぞ。着けたり外したり忙しいヤツだな、コイツも。
そして照準器を覗いたまま微動だにせず、
「[アリアドネー]のことを知っているだけ教えてください」
そう呟いた。
俺は刹那と顔を見合わせて、
「昔消滅したPKギルド≪夜蜘蛛の毒針≫の頭領で三本の槍使い。性格は極めて残酷で冷徹で自信家。頭が多少回るけど頭に血が上ると計画と言葉遣いが杜撰になる。あと、刹那並みに口が悪い「殴るわよ」のと、騙す相手には思いっきり猫を被るようなヤツだな。性格は小悪党」
途中刹那の警告が入ったが、たぶん問題ないだろう。拳を握ってないし、短剣も抜いてないし、足を溜めで引いてないから(という判断基準もどうかと思うが)。
「……そうですか。それならおそらく看破できます。情報提供ありがとうございます」
久々だな。その素っ気ない言い回し。
少しだけ不機嫌そうな、まるで何かをしなかった自分を悔やんでいるような表情のアンダーヒルを怪訝そうに見ている刹那も様子がおかしいといえばおかしいが。
「他の二人に……いえ、[ラクサル]について誰か知っている人はいませんか?」
「[グスタフ]についてはいいのか?」
「今思い出しましたが、彼については一日と十六時間、尾行していましたので」
最初に聞かされたサービス開始後一週間は誰を尾けてたんだろうな、ホント。
「お前も忘れることとかあるんだな」
「忘れていたわけではありません。思い出そうとしていなかっただけです」
お前は思いだそうと思えば何でも思い出せるのかよ。
「はい」
「だから人の心を――」
「いえ、ですからあなたの口唇に――」
「だあああ――っもう、二人だけでナニわかったような話してんのよ!」
閑話強制終了。
アンダーヒルは刹那に怒鳴られてほんの少しだけ口元を綻ばせたが、それを俺が見ているのに気づいて何事もなかったかのように照準器で通路の向こうに射抜くような視線を送る。
「ラクサルは――」
刹那の大声でようやく目を覚ましたスペルビアが、うつらうつらしながら話を聞いていたのかアンダーヒルの方に向き直って、
「――拳士の近接戦闘特化。性格はお馬鹿。たぶん脳が筋肉で、覚えたての能書きを馬鹿みたいに繰り返すお馬鹿。戦えば一応ギリギリ私に届かない程度に強いけど大抵戦う前から口で負けてる大お馬鹿」
ひ、酷い言われようだな、ラクサル。
直接接触したことはなかったけど、どれだけ馬鹿なのか想像ができないな。
「どれだけお馬鹿かというと、レベルが200になるまで獲得経験値を全部腕力に振ってたって逸話があるくらい超絶お馬鹿」
馬鹿かっ!
腕力を上げればそれだけ攻撃時に与えるダメージは大きくなるが、それだけ身体は重くバランスが悪くなる。実際に体型に変化はないが、感覚上かなり戦いにくかったはずだ。どんな初心者でもレベル10になればそのぐらいはわかるものなのだが……。
しかしスペルビアは、変わらない坦々とした喋り方で最後にこう付け加えた。
「――でも危険。ラクサルはシイナと同じ。最近、強力な召喚系スキルを手に入れたって噂」
二つ名、『一個体軍隊』。
(『バスカーヴィル』みたいな召喚系を所有してるのか……)
「……情報提供ありがとうございます」
意外な戦力の存在に対する警戒の色を表すように、アンダーヒルは少し溜めるようにそう呟いた。




