(11)『私を一人にできますか?』
俺は亡國地下実験場に行くことを伝えるため、リコを探して二階の廊下を歩いていた。
(何処行ったんだ……?)
部屋にもいなかったし、日に何度も入っている風呂にも行った様子はない。
メイドの誰かに訊こうと思っても、こういう時に限って誰にも会わない。
仕方なく二階で未確認だったアンダーヒルとその隣、ネアちゃんの部屋に向かう。あの二部屋だけは少し離れていて、ちょうどエントランスホールの上辺りにある。二階ロビーより階段数段分わずかに高いのだが、同じ通路の先にあるため実質的には二階の扱いというわけだ。
ドタン。
ちょうどアンダーヒルの部屋のドアを通り過ぎようとした時、何かが落ちるような低い音が部屋の中から聞こえてきた。
「なんだ……!?」
思わず某潜入ガンシューティングゲームに登場する真面目だが無能な兵士たちのように声をあげ、そのドアに向き直る。
そして取っ手を下ろして押し開くと――
「アンダーヒル……!」
ベッドの手前、壁と接している角に、ただでさえ古びていたのにさらにボロボロになった【物陰の人影】を被ったインナー姿のアンダーヒルがうずくまっていた。
その身体はプルプルと小刻みに震え、顔は体操座りの膝に隠れて見えない。
「ど、どうしたんだ、アンダーヒル……」
部屋の中に入って声をかけた瞬間――ビクンッ!
アンダーヒルの身体が大きく震え、膝を抱く腕に力が入るのが見てとれた。
(怯えてる……?)
音が鳴らないようにドアを閉めると、さらに近づいて部屋を進み、アンダーヒルの前にしゃがみこむ。
「大丈夫か、アンダーヒル」
少し覚悟をして声をかけると、アンダーヒルはピクンッと肩がわずかに跳ねた。
そして、そろそろとうつむいていた顔を上げて、こっちを見上げてきた。
――目尻を潤ませた目で。
「シ……イナ……?」
一瞬、その場が静寂と沈黙に包まれる。
最初に動いたのはアンダーヒルだった。
掌底一発――俺はまぶたの上から額にかけての部分を強く打たれ、視界を奪われつつ後ろに転がされる。
その間にババッと手早い衣擦れの音がして、ぼんやりと視界の戻ってきた俺がふらふらとしながらも起き上がると、目の前のコーナーに真新しい黒のローブを羽織ったアンダーヒルがさっきと同じように座っていた。
違うのは体操座りの太ももと胸の間に全長一メートル弱の妙な形のスナイパーライフルを抱えていることだった。
「あなたは何故……どうして私が弱い時にばかり現れるのですか……?」
頭から被ったフードの陰と、口元だけ慌ててぐるぐる巻きにしたような包帯で顔はまったく見えないが、そのくぐもった声はか弱げに震えていた。
「今、何を怖がってたんだ……?」
「……」
アンダーヒルは応えようとしない。まるでそれを支えにしているかのようにスナイパーライフルを抱えたまま、黙している。
「答えたくないなら無理に聞き出したりはしないけどな。少なくともこれだけは答えてくれないと俺が困る。……大丈夫か?」
「………………………………大丈夫です」
長い間を挟んで言ったそれは今までの人生で一番説得力のない『大丈夫』だったが、言いたくないと言うのなら仕方がない。正直、無理に聞き出そうとして聞き出せる相手でもないしな。
「わかった。それならいい」
「……ありがとうございます」
アンダーヒルはほんの少しだけ頭を下げるとゆっくり立ち上がり、近くにあった木製の椅子に座り直した。と同時にフードを背中側に落とし、黒包帯をしまって素顔を露にする。
そしてボロボロに破れた【物陰の人影】を床から拾い上げると、ウィンドウを操作し始めて、
「何か用があるのですか?」
と訊いてきた。同時にオブジェクト化した二本の針を【物陰の人影】に通し始める。
「いや、リコを探してた時に通りがかったら音がして……」
「リコ? 何かあったのですか?」
そう聞き返しながら、スッスッとまるで決まった位置が見えているかのように無間断で針を通していく。まさか服飾スキルまで上げているとは思わなかったぞ、アンダーヒル。しかもあの手つき、かなり熟達している。
「シイナ……?」
その流れるような手捌きに見蕩れていた俺をアンダーヒルが心配そうに見つめてきた。
「何か……あったのですか?」
質問に答えなかったのを悪い意味に取ったのだろう。
「ああ、いや、違うよ。射手のキーアイテムっぽいのがあるんだ。リコがメガロポリス・エデンの最下層に行けば直せるかもって言ってたからこれから行ってこようと思ってさ」
「シイナとリコだけでですか?」
「ん~……、リュウとシンとトドロキさんは無理っぽいし、ネアちゃんはさすがにまだ早いと思うからな……」
刹那は結局行くのか行かないのかまったくわからないし。
「では私が「ダメ」ついていき……何故ですか?」
「お前は休んでろ。無理のしすぎだ」
「しかしあなたに私を同行させない選択肢はありませんが」
「……なに?」
「あなたが私を置いていったとしても私は姿を隠して後を追います。あなたは……この私を一人にできますか……?」
「なっ――」
なんて無茶苦茶な、強行手段だ……。納得できるものじゃない。アンダーヒルらしくもない。
いや、ある意味、最も彼女らしいと言えるかもしれない。
自分の弱々しい姿を見られて、それを否定するように誤魔化しておいて、黙秘によって俺に機密保持を強要しておいて。
その直後には極めて合理的にその"弱さ"を利用しているのだから。
そしてこれは恐らく無自覚のものなのだろうが、黒布を握りしめたままの両手を胸の前で合わせ低身長で見上げてくるその小動物的な仕草は普段の彼女との差異による驚異的な愛らしさを持っており――
「私を一人にできますか?」
繰り返すな。せっかく冷静沈着っぽく文語的かつ客観的に分析を進めて自分を落ち着かせようとしていたのに。
思わず思考停止して『わかったよ』とばかりに頷く寸前だった自分を制し、
「やっぱり――」
ガ、ヂャンッ。
「私を、一人に、できますか?」
「――できません……」
説明しよう。
俺が『ついてくんな』と首を横に振ろうとした瞬間、顎の下にアンダーヒルの持っていたヘンテコな狙撃銃の銃口が押し当てられたのだ。
何処が駆動してあんな音がしたのかは見えないが、やたら威圧感のある重い音だったな、今の。
「同行してもいいですか?」
この期に及んで質問の文体かよ。
「わ、わかった。でも無理は禁止な」
「無理、つまり人間が身に余る行動を行う場合、それはほとんどの場合が理由ありきなので致し方ない場合も当然――」
「御託はいい。いざとなったら俺が守ってやるから無茶すんな」
「ッ…………こと戦闘に関してはあなたよりリコの方が上なのではないですか?」
「頼むから真面目顔で皮肉を言うな、ヘコむから。ていうか慣れないお前が皮肉を言うと皮肉に聞こえないんだよ」
「皮肉……? 事実ですが」
もうイヤ、この子……。
「そ、それよりアンダーヒル。ドラマツルギーって何のことなんだよ」
ついに居たたまれなくなって話題を変えて気になっていたことを訊いてみると、アンダーヒルは二拍空けて首を傾げた。
「何のことですか?」
「お前が言ったんだろ。気を失う前に、スペルビアはドラマツルギーだとか」
「私が……ですか?」
下唇に人差し指を沿わせて思案顔になるアンダーヒル。
「覚えてないのか?」
と俺が訊くと、
「……恥ずかしながら」
と少し頬を赤らめて目を逸らした。が、すぐにまた俺に向き直ると、
「そもそもドラマツルギーというのはドイツ語が元になった言葉で、『劇作法』や『演出の方法論』という意味です。単語の直接意味を用いているのなら主語である『スペルビア』とは文法上合いません。何かの隠語、あるいは呼称上の固有名詞、という推測が立てられますが……」
自分の言ったことを冷静に分析するヤツも珍しいだろうな。
「……この件については考えておきます。メガロポリスに出向く時は必ず声をかけてください」
そう言って黙り込み、ただ手だけを動かし始めたアンダーヒルの姿は――平常の彼女とは真逆に、一人になりたくないと訴えているかのように見えた。




