(14)『どっちでもいいです』
脅威に立ち向かうものに、不可視の襲撃者は甲高く嘲笑する。
疲労、消耗、戦いの最中の死も過る刹那に少年は何を思う。
ミッテヴェルト第二百二十三層のボスモンスター『黒鬼避役』。
『視認できず、気配を持たない』という絶大なスキル【迷彩表】を持ち、これまでのボスモンスターの中でなら確実に『最も厄介な敵』と断言できるその強さは、今までの接触で嫌と言うほど認識済みだ。
積極的に戦おうとしていたわけではなかったが、高ステータス五人でも勝てないと判断した相手にたった二人で相対しているこの状況、できるなら夢だと思いたい。だが、残念ながら仮想現実ではあってもあの深層心理学的・神経生理学的脳活動である夢とはある意味近く、しかし最も遠い。
しかもエンカウントの直前までに、同じく高ステータスであるだろうFO最高の情報提供者“物陰の人影”[アンダーヒル]までも退けているのだ。
何度も言うが、今まで通りに考えていたら死にかねない。このゲームは、プレイ時間が増えれば増えるほど、レベルが上がれば上がるほど、それまでの間に死んだ回数が顕著にステータスに出てしまうのだから、デッドエンドは何としても避けたい。
「はぁっ……はぁっ……」
息があがり、肺が苦しい。
喉も水分不足なのかヒリヒリとして痛かった。
おそらくトドロキさんの疲弊・消耗もかなりのものになっているはずだ。さっきから最初に比べて動きが鈍い。どうしても後手に回らざるを得ない相手に対して、身体が動かないのは最悪だろう。
さらに精神的な疲弊もピークに達している。さっきから俺の攻撃はほとんど当たらず、トドロキさんでさえ当てられたのは自爆覚悟のカウンターヒット一回だけ。そのためにライフを十分の一失っている。
王剣ではなく、俺の本領である魔弾刀とまでは言わなくてもせめてもう少し軽い武器だったら、とも思うが。
トドロキさんの使った短時間攻撃力上昇の魔法“踊れ踊れ狂兵の如く”の効果も随分前に切れている。姿を消したり突然現れたりして、断続的一撃離脱をやってくる相手に対して、あまり魔法詠唱の余裕はなさそうだった。
なんて思っていた矢先――
「大気に満ちる風の精よ。盟約に従い、我に力を貸せ! 吹けよ風刃、舞い散れ風塵!」
一瞬の隙を突いて成功させたトドロキさんの詠唱とほぼ同時に一陣の突風が吹き、辺りの倒木を手当たり次第に切り刻む。そしてその破片が直後に渦巻いてできた旋風に巻き込まれ、他の木々に突き刺さるほどの勢いで回転しながら周辺に散らばった。
「――って無差別かよ!?」
咄嗟に幅広の剛大剣である王剣を目の前に突き立て、高速旋風で凶器となったその木片の嵐を耐える。
サイズアップしすぎた胸の所為で、完全に密着できないため不安だったが、突然少し離れた虚空に赤色の液体が飛び散った。
ゲエェェェッ!
突如劈く悲鳴に、トドロキさんが木嵐の中に飛び出した。
「ちょっ、まだ――」
「そこや!」
トドロキさんが飛び出した瞬間、嘘のように木片の嵐が収まる。まさか魔法を使った本人とはいえ、収まるまでの時間も把握してたのか。
痛みに堪えかねて姿を現した黒鬼避役は怯みモーションの後に地面に横倒しになり、じたばたともがき始める。木片が刺さっているのは、右前足の付け根辺り。ボスに限ったことではないが、足を攻撃されれば倒れるのは当然だ。
「やっと捉えたッ!」
トドロキさんがパチンと指を鳴らしたのを合図と取り、俺はその横をすり抜けて黒鬼避役との距離を詰める。
「このッ――」
〈*永久の王剣エターナル・キング・ソード〉は絶大な扱いにくさの代わりに強力な攻撃力と凶悪な破砕力を兼ね備えた(一応仮にももといかろうじて)業物扱いの武器。
そもそもがちまちまと相手の体力を削るような積極的な斬り合いには向いていない。むしろ隙を狙って力任せな一撃を加える、それこそ相手と同じ断続的な一撃離脱でこそ真価を発揮するクセのある武器なのだ。
「――チート野郎があぁぁぁぁぁーッ!」
「女の子とは思えへん雄叫びやな」
いや、俺は女じゃないから――とツッコミたくなる不本意な台詞を完全にスルーして、上段に構えた王剣を地面でのたうつ尻尾の付け根辺りに思いきり振り下ろした。
ザグンッ。
刃が肉に食い込む感触――――ギィエエエエェッ!
再び劈く悲鳴と共に黒鬼避役はバランスを崩すように前のめりに地面に倒れ込み、切り落とされた尻尾の近くにいる俺を恨めしそうに見つめてくる。
尻尾の切断面は、切ったというよりも重量級の一撃で潰してねじ切ったように崩れていた。そこからは赤い血が水溜まりのように広がっている。
「まッ、だッだああぁぁぁッ!」
左足を軸に王剣を振り、切っ先が黒鬼避役に向く直前、手を放す。王剣は目論見通り、まっすぐに目標に向かって飛び――――しゅるるるっ。
「へ?」
ヒュンヒュンヒュン、バシンッ。
「…………マジ?」
黒鬼避役は高速で飛んでくる王剣の柄を長い舌で器用に弾き、回転しながら上方に飛んだそれを再び舌でキャッチしたのだ。相当の重量のはずなのだが。
そして黒鬼避役はまるで構えているかのように切っ先をこっちに向けて、ギョロギョロと左右の目を別々に動かす。
「すいません、トドロキさん。武器、盗られたっぽいです」
「アホ、何やってんねん! ちゅーか向こうさんの方がアホみたいにチートやんな」
ギュンッ。
「っと!」
黒鬼避役の振るう王剣の一撃を躱し、後ろに跳ぶ。
「ジブンも考えなしに武器投げんなや」
「考えなしってわけじゃなかったんですけどね。うまくいけば倒せなくても後ろの木に縫いつけるか、手傷ぐらいはいけるかと」
「出来てへんやん。なんなんあの手癖悪い舌。いや、舌癖?」
「どっちでもいいです」
トドロキさん、こんな状況でよくそんな軽口叩けるな。致命的な失態を今さら楽観視しようと努めている俺もどうかと思うが。
「どうやって取り返しましょうか」
「いや、ヤツはすぐにでも一回は手放すはずや。いや、舌放す?」
「どっちでもいいです。なんでですか?」
しかしトドロキさんの返事を聞くまでもなく、その理由は黒鬼避役』自身が示してくれた。
「なるほど」
宙に浮く王剣。
いや、実際にはそう見えるだけで、未だにヤツの舌が捕らえている。
黒鬼避役が姿を消したために、王剣だけが見えるという状況になってしまったのだ。
「少なくともあれじゃ舌の場所はまるわかりや。賢いアイツならこのまま戦ったりはしないやろうな」
ゆらゆらと動いていた王剣が、ゆっくりとその切っ先をこっちに向ける。俺とトドロキさんが身構えた瞬間、ギュンッと王剣が目の前に迫ってきた。
それをサイドステップで避けると、王剣は軌道を変えることなく直進し、すぐ背後の太い木の幹に深々と突き刺さって止まった。
(今だッ!)
すぐに王剣の刺さった木に駆け寄る。
(これさえあればまた戦える……!)
ギシッ。
俺が柄に手を伸ばした瞬間、木が軋むような音をたてた。
とっさに上を見上げると――――黒鬼避役の巨大な頭が木の上から俺を見下ろしていた。
その舌は、王剣の柄に伸びている。
「なっ……」
ギシギシッミシッ、バキンッ。
太い幹を真横に裂き、その巨大な刃が無防備な俺に迫る。
こんな至近距離で、こんな攻撃を防御なしで食らったら――
「あきらめんじゃないわよ、バカ!」
刹那の内に色々と覚悟を決めた次の瞬間、背後から俺と王剣の間に割り込んできた人影が、相当重いはずのその一撃を短剣で受け止めた。
「刹那!?」
ヒュンッ。
風切り音と共に、王剣の柄を掴んでいた黒鬼避役の舌の先をトドロキさんの双剣が切りつけた。
ギィエッ!
引きちぎられた舌の切断面から血がブシュッと噴き出し、地面にボタボタとこぼれ落ちる。
その直後――――ズウウゥゥウン!
舌を切られて怯んだらしい黒鬼避役が木の上から落ちてきて仰向けになってひっくり返った。
「アンタ今諦めようとしたでしょ! バカなこと考えてる暇があったら先に回避行動取りなさいよ!」
「……ごもっともで」
「立って、シイナ。ここまで来たらもうヤるわよ、コイツ。次層解放は私たち≪アルカナクラウン≫の手柄にしてやんの!」
刹那は、木の亀裂に挟み込まれて止まっている王剣を瞬く間に両手で引き抜き、俺に手渡してくる。
俺がそれを受けとると、プイとそっぽを向いてしまった。
リーダーのクセにふがいないとか思ってんだろうな、たぶん。
「魔法で攻撃力を強化してあげるから、早く行って!」
刹那に頷いて見せた後、すぐさま立ち上がろうとしている黒鬼避役に走り寄る。
「『踊れ踊れ狂兵の如く』!」
刹那の魔法発動と同時に、ちょうど目の前にあった黒鬼避役の頭に王剣を振り下ろす――ガンッ!
「硬っ!」
第十四層『熱波の砂塵渦巻』のボスモンスター〔罪禍の二枚蟹〕の強靭な外甲格ですら割り砕く王剣が弾かれたとなるとその硬さはもう異常のレベルだ。
しかも、一番力が加えられる上段からの振り下ろしは、振り筋からしても弾かれにくいはずなのに。
「頭は狙っても無駄だ!」
「わかったッ」
「らじゃー♪」
鞭のようにしなって飛んでくる舌をバックステップと王剣で受け流し、再び間合いに入る。
「最初は厄介やったけど、攻撃さえ当たれば大したことないで!」
黒鬼避役の攻撃をことごとくかわしているトドロキさんも、双剣で直接胴体を狙って切りつけている。
首の付け根辺りを少しえぐり、すぐに舌が届きにくい尻尾側に回る。そして、そのまま尻尾の傷に斬りつける。
「二人とも離れて! 【轟雷】付き【投閃】!」
しかも投げるのに〈*フェンリルファング・ダガー〉を使用している。
胸の辺りに【投閃】を受けた黒鬼避役の身体に、一瞬遅れて蒼色の電気が走る。
エフェクトが収まったのを確認し、再び至近距離へ。
付加されたシビレ効果で痙攣しつつも、四足歩行からくる安定感でなんとか立っている様子の黒鬼避役の後ろ足に王剣を思いきり振り下ろした。
ザクッ!
ビクンッ!
黒鬼避役はぐぐぐっ、と頭を高く持ち上げたかと思うと、ぐらりと揺らぎ、ドスンッと力なく地面に倒れた。
その拍子に口から飛び出した丸まった舌が地面を転がり、ピクピクと痙攣しながら伸び切った。
「はー……っ」
ドサッと、俺は後ろに倒れ込んだ。
『次層第二百二十四層が解放されました』
いつもの通りのシステムメッセージが出る。
ボスを倒し、次層が解放されたというメッセージは、今現在ログインしている全てのプレイヤーが見ているはずだ。
討伐した三人分のプレイヤー名、[シイナ]・[刹那]・[スリーカーズ]の名前と同時に。
「ほな帰ろか」
ちょっと疲れ気味だが、気楽そうなトドロキさんの声にようやく『勝った』という実感が湧いてきた。
Tips:『複数スキルの同時使用(多重構築式)』
一つの武器に複数のスキル効果を付与する等、複数のスキルを重複して同じ対象に適用する際に各スキルの有効性を保持する点で重要になるシステム。本来スキルはスキル名を発動した時点で即座に効果を発揮するが、格闘スキル(所謂スキルアーツ)の場合はその前後に別のスキル効果を付与するための予備時間が設けられている。このブランクの有効時間は『使用者の思考の明瞭さ』と『対象の物理的な動作』によって増減するため、重ねる数が多くなればなるほどセンスと慣れが必要になる高等技術となる。逆にノータイムでスキルアーツを使用する場合、そのスキルの立ち上がり動作に手動で入る必要があるためこれもまたセンスと慣れが必要になる。
最もよく使われるものは(素体スキル)(付与スキルA)(付与スキルB)……とひたすら繋げていく簡易式だが、動作が固定されるスキルアーツを最後まで知られないようにするため(付与スキルA)(付与スキルB)……(素体スキル)を使う人も多い。ただし、付与スキルの方から発動する場合、後に発動する方よりもブランクが短いため難しい。




