(5)『いつも誰かの予想外‐アンエクスペクテッド‐』
トドロキさんの部屋を出た俺と刹那はミキリをアンダーヒルの部屋のクローゼットまで連れていった。
ミキリは少しの間未だに目を覚まさないアンダーヒルを見つめていたが、その後はすぐに何の躊躇いもなくクローゼットに入っていった。
「できれば出してやりたいとも思うんだけどな。少なくともアンダーヒルに訊いてみないとわからないから……」
「気にしないでいいの。ミキリにはもう価値はないから……。後はただDOのクリアの日までをここで無為に待つしかないの」
「……お前はクリアして欲しくないんじゃなかったのか、ミキリ」
価値云々の重苦しい発言をスルーする。俺が安易に口出ししていい話題ではないと思ったからだ。
「ミキリにはもう何もできないから……。それに……DOはクリアされるためにあるから」
「それ、どういう意味だ……!?」
「これ以上は言わないの。ミキリはミキリ、ルビアちゃんはルビアちゃん。それじゃあ頑張らないでね、優しいお姉ちゃん、姫のお姉ちゃん……」
ミキリはそう言って手を振ると、自分からクローゼットの引き戸を閉めた。
「クリアされるためにある……?」
ドアにシステムロックをかけて、アンダーヒルの部屋を出ると、そこでちょうど射音と遭遇した。
「まだお休みになられていなかったのですか、刹那様、シイナ様」
気付くともう二時を回っている。
「ええ、ちょっとね。他の皆は?」
「先ほど最後のネア様が部屋の方へ」
「そう、わかったわ。射音ももう寝ていいわよ、ご苦労さま」
「はい。それではおやすみなさいませ」
頭を下げてお辞儀をすると、射音は藍色のボブカットを揺らしながら廊下の奥へ歩いていった。
刹那はそれを見送ると、
「じゃあ私も寝るわ」
と角を曲がっていった。
「ふう……」
つい気が抜けてため息をつくと、同時にその日の疲れがドッと押し寄せてきた。
(寝るか……)
リコはまだ起きている。
なんとなくぼんやりと浮かぶリコの意識、おおかた部屋で俺を待ちながらも睡魔と闘っているのだろう。
もう陥落しそうだけどな。
しかしこのまま帰れば間違いなくリコは目を覚まし、俺のすぐに寝たいという欲求は満たされない可能性が高い。
リコには悪いが、ロビーかエントランスホールのソファで寝かせてもらおう。
そんなことを考えつつ廊下を進み、その先の戸を開けて真っ暗なロビーに出る。
(ん……?)
エントランスホールの方がぼんやりと明るい。天井から下がる豪奢なシャンデリアでも壁に据えられたクラシックライトでもない。もっと薄暗いランタンのような光だ。
(アプリコットか……?)
彼女は未だに≪アルカナクラウン≫のメンバーではなく≪シャルフ・フリューゲル≫所属のままだ。そのため部屋を割り当てることができず、寝る時はいつもエントランスホールのソファで寝ているのだ。
本人に≪アルカナクラウン≫への加入をすすめると、
『ボクはこれでもギルドのアタマ。他を置いて自分だけ移籍なんざできねえっつー話なんですよ、シイナ』
いや、だからお前一人じゃん。
『ボクはこう見えて押しに弱い方でして……。男性に強い口調で命令されるとつい従ってしまうんです。っつーワケで移籍はやめときますね』
“っつーワケで”の前後が欠片も噛み合ってないし。
『ボクとシイナの間にはギルドなんつーシステム上与えられただけの俗な絆は似合わねぇんですよ。そんなのよりもっと大切なものがあるはずなんですッ!』
既に意味不明。
いつもこんな感じにはぐらかされてしまうのだ。
閑話休題。
ロビーの手すりからエントランスホールを覗くと、ランタンの灯りの中でアプリコットが何かをやっている。どうやらテキスト作成の機能で何かを書いているようだ。
(何やってんだ……?)
今までのアプリコットにはなかった真剣な表情に思わず息をひそめる。
アプリコットは少し書き進めては手を止め、何かを考えるような、また何かを思い出そうとしているような顔をする。
そして再びウィンドウをタッチし始めたところで、
「覗き見とは趣味が悪いですね――」
ドキッ。
思わず後ずさると、アプリコットは座っていたソファに深く腰かけて腕を組み、
「――スペルビア」
俺……じゃないのか……?
再び息を殺して階下を覗くと、ペタペタと裸足で歩く音がして、スペルビアが現れた。何故か巨鎚を肩に担ぎ、袖の中の左手が不自然に揺れている。
「改めて久し振り、アプリコット=リュシケー」
「あー、そういや貴女には本名を明かしたことがありましたね。それで? なにかボクに用でもあるんですかね」
「別に」
「何の用もなくわざわざボクに近づくわけないでしょう、≪道化の王冠≫前衛特攻隊長『無気力な眠り姫』」
スペルビアがハッと息を呑み、大きく目を見開いた。全開きモードではなく、単に驚いたからのようだ。
わずかに口元を歪め、対照的にピクリとも動かない目でアプリコットを見据える。
二人とも黙り込み、ただでさえ静まり返るギルドハウスの中で自分の高鳴ってくる心臓の音だけが妙に大きく耳に残る。
「ちゃんとクロノスに言われたんでしょう? 『ヤツには極力関わるな。アレは儚どころじゃない化け物だ。話しかけられたりしてもできるだけ早く切り上げろ。話すだけでも危険だからそのことだけは憶えておいてくれ』でしたかね?」
ピクンとスペルビアの黒髪が揺れる。
(何だ……何の話をしてるんだ……?)
何故クロノスの名前が出てくるのか。結局スペルビアは今もまだ≪道化の王冠≫に属しているのか。そして、アプリコットは何故……そんなことを知っているのか。
「まあ誰にどう思われようとボク的にはどうでもいいっつーか、にしてもさすがに過大評価しすぎだと思いますけどね、クロちゃんは昔から――」
「どうして――」
スペルビアが巨鎚を持つ右手をプルプルと震わせながらそう呟くように訊ねる。
「会話ログも消した。周りには誰もいなかった。どうしてそれを――」
「別に特殊なスキルもなければ、システムの穴を知ってるわけでもねぇんですよ、っつったら嘘になるんですけどね。今回は何も不思議はないんですよ。ボクは常に誰かの会話ログを見ながら生活してるだけです。つまり、[シイナ][シン][儚][魑魅魍魎][クロノス][スペルビア][スリーカーズ][ドナドナ][火狩][あああああ][LQ][ガウェイン][チェリー][ミストルティン][Zzz][ヴォルテール][グリムリーパー][弥刀][エステル][詩音][アルト]――まあ、大体こんなもんでしょうかね」
知っている名前がやたら多いな。
うちのギルメンや≪道化の王冠≫は別にしても、ゴアもLQもガウェインも名高いギルドのリーダーだし、ミストルティン・Zzz・ヴォルテールは強いソロプレイヤー。グリムリーパーが入っているのは置いておくとして、後ろ四人は≪竜乙女達≫の幹部、現役の四竜だぞ。
「一人で見ていられる人数じゃない」
ウィンドウの大きさは一番小さくしても縦横十五センチ×二十センチ。それを視界に並べて総数二十一人分――死角だらけだ。
「まったくこれだから貴女はダメなんですよ、スペルビア。いくらボクに人望がないからって、≪シャルフ・フリューゲル≫がいつまでも一人ギルドだと思わねえで下さいね」
嘲笑いつつも凄むような声でそう言ったアプリコットは開いていたウィンドウを閉じると、そのままソファに寝転がる。
「『いつも誰かの予想外』、アプリコット=リュシケーをナメんなっつー話ですよ。現実だろうが仮想だろうが、私たちは常にひとつなんですから」
そう言うと、アプリコットはランタンの灯りを消して毛布の中に潜り込んだ。
なんとなくカッコよさげな台詞もなんでだろうな。アプリコットが言うと一気に冷めたものになる。少なくともその台詞、ソファの後ろから毛布引っ張り出しながら言う台詞じゃないよな。
しばらくジッとアプリコットを見つめて立ち尽くしていたスペルビアは、やがて何処かに姿を消した。
て言うか俺……もしかして大変な場面に出くわしてしまったのではないだろうか。
はぁ、と控えめなため息をついて、俺は部屋に向かって歩き出す。
リコは待ちきれなかったのか、いつのまにか熟睡しているようだし、安眠を妨害されることはまずないだろう。
ただ問題がひとつあるとすれば――
(眠気……覚めちまったぞ)




