『包帯ぐるぐる』
「あの……」
≪アルカナクラウン≫の二階のロビーで紅茶の香りに心を落ち着けていると、背後から気弱そうに声をかけられた。振り返ると、両手を胸の前でぎゅっと握った天使種の少女、[ネア]が立っている。
ネアは目を合わせようとしているようだが、なかなかその視線は合わない。
「何か用ですか?」
ビクンッ。
返答を返した途端に、ネアの肩が大きく跳ねた。
「あッ……いえっ、そのっ……べっ、別ッ……別に、た、大した用はないっ……んですけどっ……、あ、こ、断ってくれても……い、いい、いいですっ……から……」
狼狽えるばかりで要領を得ない台詞は、言葉を紡ぐごとにか細くなっていく。
「どうかしたのですか?」
再びそう訊ねると、ネアはまた肩を跳ねさせて、視線をさ迷わせる。
何が言いたいのかはわからないが、何かを言いたいのだろうということはわかる。しかしなかなか口に出せない事情があるのだろうとも推測できた。
「どうぞ」
対面の椅子を勧めると、まるで『今まで座らなかったことがおかしい』かのように慌ただしく腰を下ろした。
…………正座で。
「先ほどから挙動が不審ですが、何かあったのですか?」
「あ、いえっ……そのっ……ちょっと……だけ……なんですけどっ……」
「……?」
「その……色々と、か、買いたいものがある、んです……けど……その……」
「つまり来たばかりでトゥルムの勝手がわからないから、道案内をして欲しいということですか?」
「ふぇっ!? な、なんっ、なんでそこまでわかって……!」
「誰しも経験するものですから。正直に言えば、あなたのFOに関する知識の不足は懸念していました」
彼女のプレイ時間を考えると、最前線どころか始まりの街ですら把握しきれていないでしょうし、いきなりこの複雑回廊に放り出されては無理もない。
「構いませんよ。案内の依頼、私でよければ引き受けましょう」
本当はNPCに頼んでも一通り案内してくれるのですが、彼女とは少し話をしてみたいとも思っていた矢先、都合が合うならちょうどいいでしょう。
「しかし何故私なのですか? あなたはシイナと親しかった記憶があるのですが」
「そ、そんなっ、九条く、じゃなくてシイナさんとは親しいとかそんなのじゃ……」
頬を紅潮させ、両手を顔の前でバタバタと激しく振るネア。
質問の内容を間違えたのでしょうか。彼女に対して熟考を挟まない発言は控えた方が良さそうですね。
「皆、出掛けてるみたいで……アンダーヒルさんしかいなかったんです」
部屋にスリーカーズがいたような気がしますが……。おそらく案内が面倒で居留守を使っているのでしょう。
私がティーカップを置いて席を立つと、ネアもバッと立ち上がる。その勢いで倒れた木製の椅子は床で乾いた音を響かせた。
そして慌てて起こそうとしたネアは椅子の足に膝を強打した。
「うぅ……」
ネアは涙目になりながら思わずその場にしゃがみこみ、骨にまで響いているだろう鈍痛に悶絶する。
私はネアに歩み寄り、その側の椅子を起こしてテーブルに戻す。思いがけず嘆息してしまった、その贖罪も兼ねての行動だった。
「大丈夫ですか、ネア」
「あ、えっと……たぶん大丈夫、です?」
何故疑問系なのでしょうか。
「それより……その、私の名前憶えててくれたんですねっ……」
「憶えるも何も、頭上に表示されているのですが」
「あ、そうでした……」
VRMMOのビギナーにしてもなかなか稀少な忘却っぷりですね。常に視認できるものを忘れる――私には至難です。
ネアを助け起こし、彼女のレザーアーマーについた埃を払い落とす。
「あ……ありがとうござ――」
「礼を言われるほどのコトはしていません。行きましょう」
「は、はい……」
膝をさすりながら立ち上がったネアは、少し萎縮したような面持ちで後ろからついてきた。
「何を買うのですか?」
エントランスホールに下りる階段を降りつつそう訊ねると、
「えっと……色々です」
「色々?」
思わず振り返って聞き返すと、ネアはこくと頷いて指折り数え始めた。
「――――回復アイテムと……空きビンと……、あと【バタフライ・ティアラ】っていうアクセサリーも頼まれてるんです」
「誰に頼まれたのですか?」
「刹那さんとスリーカーズさんに……」
あの二人は人をなんだと思っているのでしょうか。見返りもなしに人を動かそうとする二人と何の見返りもなく人のために動こうとする素直な性格の彼女をあまり一緒にしておくべきではありませんね。
「私、フィールドではあまりお役に立てませんから……、こういうことでも頼んでもらえると必要とされてるみたいで嬉しいんです。だ、だからっ、アンダーヒルさんも次からは何でも言ってください。私、買えそうなら買ってきますからっ」
「その台詞は絶対に刹那とスリーカーズには言わないようにしてください」
「どうしてですか?」
私は黙した。
無邪気に首を傾げるネアには申し訳ありませんが、あの二人が調子に乗る可能性が非常に高いということを口に出すのは憚られたのです。
「それとあなたにとってこの最前線の街は危険であるということも忘れないようにお願いします」
PKを初めとする現実では犯罪行為に当たるものは、この街では必然的に加害者のレベルも高くなる。
そしてやはり、ネアのFOに関する知識の不足は懸念の対象だ。
「これからも何処かに出掛ける時は私に声をかけてください。手が空いていれば必ずついていきます。そうでない時も誰かに同伴を頼みますので」
私がそう言った途端、ネアはポカンと口を開けて立ち止まった。
「どうかしましたか?」
「あ、いえ……その……アンダーヒルさんって……優しいんですね」
「は?」
「アンダーヒルさん……包帯ぐるぐるで真っ黒なので、怖い人かと思ってたんです。皆、情報家だとか物陰の人影だとか言うので、思い込みがあったみたいです……」
少しだけショックを受けつつ、ネアに背を向けて再び階段を降り始めると、
「今もまだ……ここがゲームの中っていう実感がなかったんです。ここが今の私たちの現実っていう感覚がないんです。だから、アンダーヒルさんも……その……ゲームの中のキャラクターみたいで……」
坦々と静かに紡がれる言葉に思わず足が止まりそうになる。
確かに私は、客観的に人間らしく見えない自覚がありますが……。
「ネア、私は人間です」
振り返ることなく、足を止めることもなく、私はそう言いきった。
「私の名前は坂下結羽。よければこれからはそう呼んでください」
私は人間。
ただゲームの中で存在するだけのアンダーヒル。そうでない時があってもいいのかもしれない。




