『在りし日のアルカナクラウン・a』
序章よりもっと前。
昔のアルカナクラウンを少しだけ描いていきます。
「ハカナ、もう入ってたのか」
広さ十坪一階平屋建てバス付きの≪アルカナクラウン≫のギルドハウスの戸を開けるや否や、俺は中にいた儚にそう声をかけた。広いは広いが個室はなく、仲間同士で集まれるようにとりあえず場所が欲しかった、それ故のギルドだ。
言ってしまえば機能性はない。
「ええ。今日は学校の創立記念でね。昼食を済ませてからずっとここにいたわ」
「五、六時間ってところか。まさかずっとそんなことやってたわけじゃないんだよな」
俺にそんな台詞を言わしめたハカナの体勢は倒立姿勢、いわゆる逆立ちだったのだ。
さすがにやらないだろうとは思うが、相手が儚であることを考えると正面から否定できない。
「まさか。そんなわけないじゃない。これを始めたのはつい十分前よ。そんなに長くできるわけないでしょう?」
ピピとタイマーが鳴り、ハカナはスタンッと立ち上がった。どうやら十分間だけだったらしい。
「だ、だよな。さすがのお前でも――」
「五分休憩を挟んで、まだ二十セット目よ」
五時間じゃねえか。
閑話休題。
「三人は?」
「リュウとシンはまだ入ってないみたいね。刹那なら今そっちよ」
そう言ってハカナが指差したのは奥のキッチンスペースの隣に設置された扉、このギルドハウスで唯一隔離された空間であるところのバスルームだった。
「覗いちゃダメよ?」
「入れねえよ」
異性の入っているバスルームの扉や空間はシステムで完全にロックされ、入ることは絶対にできない。一応入る方法もあるらしいが、その堅固さはおそらくFOで最強。仮想現実とはいえ倫理的なことだから当然と言えば当然だが。
「その言い方だと入れるなら行ってるみたいよ、シイナ」
「あんな地雷原に入る馬鹿がいると思うか……?」
あの刹那である。
怒ると手のつけられない件の刹那である。
頭に血が昇るとギルメンにすら容赦の欠片もなく、ハカナに『滅入るわね』とまで言わしめたキレキレの暴力キャラの刹那さんである。
「片足欠損は確実ね」
「覗かねえよ!?」
くすくすとさもおかしそうに笑うハカナ。当然、その表情にはからかいの気色が窺える。俺をからかうハカナのこんな表情が見たくて、からかわれてやっているのだった。
決してハカナの戯れに振り回されているわけじゃないぞ。
ハカナがテーブルについたのを見て、俺も椅子に座ろうとすると、
「シイナの入れるお茶が飲みたいわ♪」
ニコッと微笑みを交えてそんなことを言ってくるハカナに見蕩れて、俺は硬直した。
「ね?」
俺の脳がその光景に勝手に額縁と『女神の微笑み』などと書かれたタイトルプレートを補填する。
おいおい俺の左脳。こんなレザープレートを着けて、腰に細剣を差した女神がいるかよ。
「わかったよ」
硬直していた間を誤魔化すように椅子をガタンと揺らして立ち上がり、振り向かずにキッチンスペースの方に向かう。
「『クルス』でいいか?」
「ええ。ありがと」
アイテムボックスウィンドウを操作し、『クルス・クルクス・ククルスク』などとやたら間違えそうな名前の茶葉アイテムをオブジェクト化する。
ポットに水を注ぎ、その中に『クルスの葉』を投入。そのポットを火にかける。
いやいや普通こんなめちゃくちゃな手順じゃできないだろう、などと毎度のごとく思うのだが、簡易調理モードではこれで出来るのだから仕方がない。
ちなみに本格調理モードではまともな手順を踏まなければ調理できない。というか元々料理を楽しむためのシステムなのだが、素人からすれば簡単な方がありがたい。
味気ないと言えばそれまでだが。
バタン。
バスルームの方から扉の閉まる音が聞こえてくる。どうやら刹那が出てくるようだ。
そして――ギッ。
ほとんど間もなく脱衣所の扉が開き、身体中を湯気で火照らせたインナー姿の刹那が出てきて、
「ハカナ、誰か来た?」
頭にかけたバスタオルでくしゃくしゃと頭を拭きながらそう訊いてくる。
「あれ? この香り……そっち?」
などと呟きながら、キッチンスペースの中に入ってきた。
コイツ、前見てねえのかよ……!
「刹那、そっちにいるのはシイナよ」
俺が気づかれない内にカウンターの上を抜けて逃げようとした瞬間、本を読んでいたらしいハカナがこっちの状況も見ずにそう宣った。
年頃の女性であるところの刹那を無用に傷つけまいとする俺の気遣いゆえの努力になんてことしやがる……!
「え? シイナ?」
バサァッとバスタオルを頭からひっぺがした刹那は、カウンターに足をかけた俺の足元から視線をどんどん上へとあげていき、そして俺と目が合った瞬間固まった。
「えーっと……よ、よう……」
目の焦点の合ってなかった刹那に片手を挙げて声をかけると、刹那の肩がピクンッと跳ね――ボンッと瞬く間に頬が赤く染まる。そしてぎゅううっと拳が固く握られた。
な、なんかオーラ出てるぞ……!?
「なんで……」
「せ、刹那、落ち着け……」
ギンッと目の端に涙を溜めつつも、まるで太刀の切っ先のように目を尖らせた刹那は右手を大きく振りかぶり、
「なんでアンタがここにいんのよ、バカシイナ――――――ッ!!!」
短剣による超近接戦闘で鍛えられた刹那のフルスイングが俺の左頬を直撃し、俺はカウンターの外まで吹っ飛ばされた。
俺、ここのメンバーなんですけど……。
「信っじらんないッ!」
「信じられないのはお前の頭だ! なんでハカナに誰か来たか訊いてんのにインナーのままで出てくるんだよ! っていうかたかがインナー見たくらいで殴るな!」
「うっ、で、でも見たじゃない! アンタ見たじゃないの! アンタの方が百パー悪いわよ、バカシイナ!」
「だからそれは何度も謝ってるだろ!」
「あんなの謝った内に入らないわよ! 土下座しなさいよ、土下座!」
小学生かよ。
その時、ハカナが割って入って刹那の肩に手を置いて、
「ま、まあまあ刹那。今回は私も悪いから、許してあげて。ね?」
と仲裁に入ってくれる。
「でもハカナ! コイツ、私にセクハラしたのよ!?」
「してないだろッ! あれは事故だし、インナーぐらい別に気にするほどじゃ――」
ギンッ! と殺気のこもった鋭い眼光が俺を射抜く。と同時に刹那が短剣を抜こうとした手が、瞬時に伸びたハカナの手に押さえつけられる。
「刹那、それはやり過ぎよ」
刹那が舌打ちをして、もう一度俺を睨み付け、ふんっと鼻を鳴らして近くの椅子にドカッと腰を落とした。
「ごめんなさい、シイナ。今回は私が悪かったわ」
ハカナは耳元でそう囁くと、俺に『クルスティー』の入ったカップを差し出してくる。それを受けとるとハカナはすぐに身を翻し、カウンターからもうひとつカップをとって刹那に差し出す。
「……ありがと」
ハカナに諌められ、多少は頭も冷えたらしい。普段なら熱くなりやすく、冷えにくいという最悪の性質を持ってるからな。刹那は。
少し猫舌の刹那はふーふーとクルスティーの面に息を滑らせ、冷まそうとしている。いつもこんな感じで大人しくしていてくれればいいのだが、彼女の急性不機嫌症候群はかなり重症だからな。
「もう入ってきていいわよ」
途中から気づいてはいたのだが、窓の外から時折顔を覗かせてチラチラと覗いていたのだ。リュウとシンが。
一人だけ気づいていなかった刹那は二人が入ってくるとガタンと椅子から立ち上がって驚いている。一瞬短剣に伸ばしかけた右手を左手で自制する辺りが彼女らしい。
「これで揃ったわね」
「今日は何処か行くのか?」
代表してリュウが訊ねると、ハカナは少し悪戯っぽい笑みを浮かべて、
「まずは美味しいものでも食べにいきましょ。奢ってあげるから」
お前、何をさせる気だ……?
俺も含めた四人の顔は、まさしく戦々恐々としていた。




