『死亡フラグと少女の想い』
すさまじく意味不明なタイトルです。
この章は本編の流れ、つまり第3章(39)の後の時間軸を描いた物ではありません。第3章までの間の『いつか』、時期は明文化しませんが、ある時にあった会話のエピソードです。
「死亡フラグ?」
≪アルカナクラウン≫ギルドハウスの一階エントランスホール。
そこの壁際に据えられたソファーをベッド代わりにしてさっきまで眠っていたアプリコットは私にそう聞き返してきた。
「はい。あなたなら説明してくれるだろう、という情報提供があったものですから」
ボフンッとそこにあったクッションにうつ伏せに頭を埋めたアプリコットはプヒューッとクッション越しに息を吐き、
「なんで今さらそんなもんに興味を持ったんですかねっつーか説明をめんどくさがってよりによってボクに回した情報提供者が誰なのか教えて貰ってもいいですかね?」
くぐもった声でそう言ってくる。
(言い方を間違えたようですね……)
未だにこの人の思考回路が把握理解できない弊害が色濃く出てしまっている。単純に自分の興味で教えて欲しいという旨だけを伝えればよかった。
「申し訳ありませんが、情報提供者の命はそこまで軽いものでもありませんので」
これ以上シイナに迷惑をかけてはまともに顔も見られません。
「あぁ、守秘義務っつーめんどくさいくせに遵守の基準が曖昧なアレのことですね。……ふぅ、アンダーヒルと話すのは本格的に疲れますよね」
「本人である以上は同意もままなりませんが、本人を前にしてそれを口にすることができるのですね」
「それはイヤミ……を言えるような奔放な生き方してないですね、貴女は」
「はい。単純に賞賛と思って頂ければ」
「ありがたく受け取っておきますよ」
「どういたしまして」
後方左斜め上方、具体的には二階ロビーから刹那とリコの会話が聞こえてくる。どうやら私とアプリコットの組み合わせが珍しいようですね。
……よくよく思い出してみると、アプリコットと二人だけで話すのは確かにこれが初めてかもしれません。
「それで死亡フラグとはなんなのですか? 以前から周囲の数名がごくまれに使っていたのは知っていたのですが、意味がわからないのでは文脈が理解できないのです」
「それでは嫌々ながら説明させていただきましょう」
取り繕った笑顔をクッションから上げたアプリコットは、
「しかし奇しくも『死亡フラグ』は定義としては曖昧で不統一的で創作的で、要するに言ったもん勝ちみたいなトコがある分野的・象徴的・抽象的なカテゴリなんですよ」
「……? 意味がよくわかりませんが」
私がそう聞き返すと、
「要するにを補足的に説明しますと、創作物内のストーリー展開において、一登場人物に注目した時、その後に死という最期を予想させる言動のことです。最も説明時に挙げられる例としては戦時の前線以上の極限状態において『俺、帰ったら結婚するんだ』などと空気を弁えない発言をした兵士などがそうですね。主人公でなければまあ十中八九死にますっつーかこんな典型的通り越して退廃的な死亡フラグ、時代遅れ過ぎて今や誰も使わねぇんですけどね」
そう言った直後、バッとソファーから身体を起こして、場所を開け、座れとばかりにパンパンとばかりに叩いてくる。
「座れ、という半ば強制の意図を含んだ意思表示ととっても構いませんか?」
「回りくどい上、果てしなくめんどくさい言い方ですね。そんな言い方しかできないんですか?」
「あなたには言われたくありません」
それにこの人の無言の行動は周囲の大多数が受ける印象とは異なることが多い、とシイナから聞いたことがあります故。
「では」
私がそこに腰を下ろすと――ぽすっ。
「これは何の真似ですか?」
途端に、その膝の上に頭を乗せるように倒れ込んできた。いわゆる膝枕という行為だ。
「誰かに膝枕して貰うのが好きなんですよ、実は寂しがりやなので」
アプリコットが喋る度、揺れ動く髪が太股をチクチクとさしてくすぐったい。
「あとある意味征服感みたいな何かを感じられますからね♪」
「個性的な感性を持ってますね」
私がそう言うとアプリコットは何故か嬉しそうな顔をして、こっちを見上げてきたかと思うと、
「そう言えば死亡フラグで思い出しましたが、アンダーヒルって好きな人とかいるんですかね?」
どのような思考回路を経れば『死亡フラグ』という言葉からその話題に繋がるのか。
「その……現実では病院暮らしでしたし、今のところそのような機会はありませんでしたね」
私の狭い世界ではそもそも年の近しい男性がいないし、自分のことで手一杯でそんな余裕はなかった。
「病院? あーなるほど。だからですか。あー、まあ納得っちゃあ納得ですねっつーかなかなか面白そうなオモチャを見つけた気分ですよ♪」
すさまじく嫌な予感がする。
「今の発言の意味を説明していただいてもいいでしょうか?」
「それでシイナですか?」
心臓が、跳ねた。
「え、あっ……な、何を……っ!?」
「いやさすがに狼狽えすぎでしょう。どう見ても同じ十代女子には見えねえくらい大人び過ぎてると思えば、こっち系の話題にはまったく耐性がねえっつーか既にキャラ崩壊のレベルですよ、まったく」
「べ、別にシイナのことは……関係……ありませんっ!」
ダメだった。顔が、熱い。
すぐに逃げてしまいたいぐらいだったけれど、いつのまにかアプリコットの腕が私の腰に巻き付き、ホールドされている。膝に乗せられた頭もあって身動きがとれない。
「聡明な貴女のことですから現実と仮想現実の区別がつかなくなったわけじゃないんでしょうが、そういう境遇の娘ほど現実的意識の依り処をFOに求めるものなんですよ。おおかた貴女の現実は半ばこっちに移っていたと言うことでしょうか。貴女は現実において補えない恋愛を無意識の内にこっちに求めたっつーワケですかね」
急に優しげな口調になったアプリコットが手を伸ばしてきた。少しだけ身構えて様子を見ていると――ガシッ。
後頭部にまで伸びたアプリコットの手がぐっと強い力で鼻先が触れそうなほどの至近距離に引き寄せられた。
「何を……!?」
「いいから聞いてくださいよ、アンダーヒル。ボクとしては珍しい出血多量の大サービスなんですから」
アプリコットの赤い瞳の奥が、キラと光った気がした。
「隠すのはもうやめましょうよ、アンダーヒル。いえ、ユウ。いつまで自分を隠して生きる気なんですか。過去の件なら貴女に罪なんざねえんですから」
心臓がさっきよりも強く跳ねた。いや、コンマ数秒か数秒か、一瞬止まっていたのではないかと錯覚するほど驚いた。
「何故あなたが……そのことを……ッ!」
「思い出してみれば結構わかりやすく育ったものですね。いえ……単なる資質みたいなもんでしょうか。情報家『物陰の人影』ですか。貴女の歳でそこまで自分を抑えられる、もとい……殺せる人も少ないでしょうよ」
頭の中で過去の光景がフラッシュバックする。いつまでも鮮明で全く色褪せることのない赤が脳裏に浮かんでは消えていく。
「私を、知っているのですか……?」
戸惑いと緊張を隠せない声でなおもそう訊き返す。しかし、アプリコットは笑顔の仮面を被っただけのような表情のまま、何も応えない。
沈黙が、流れる。
永遠より長い一瞬。
至近距離のアプリコットは瞬きひとつしない。それが時間の感覚を果てしなく引き延ばし、平衡感覚が失われていく気がした。
「ふふ、意地悪を言ってすみませんでした。知ってるか知らないかで言えばまあ知りませんよ。ちょっとカマをかけて構ってみただけです」
ドクンッ……。
心臓が大きく一拍脈動し、後頭部に当てられた手が離れるに従って顔を上げ、後ろに深くもたれかかる。
「はぁ……はぁ……」
「まだまだ甘いですね、アンダーヒル。この程度じゃ情報家なんてやってられないんじゃないですかっつって、ボクみたいに意地悪くなる必要なんざ、さらさらねえんですけどね。一応これだけ懺悔しておきますと、貴女とシイナの初対面の時のことは知ってるんですよね。まあ、でも……」
アプリコットは私の膝から頭を上げて、端っこに丸まっていた毛布の山に頭から潜り込んでいく。そしてズルズルと中に吸い込まれてスポッと頭だけを出した。
「ライバルは多いですよ、アンダーヒル。刹那んはどうやらリアルシイナを知ってるみたいですからね」
「ほ、本当ですか?」
言ってから後悔した。
「食いつきましたね?」
「なんでもありません」
「このボクを前にして今更誤魔化せるとか思わねえでくださいね。ま、安心してください。ボクは貴女のように一途で亜種な乙女の仲間ですから」
私が言い返そうと口を開いた途端、毛布を翻して立ち上がったアプリコットはにひっと笑い、立ち去りざまに、
「死亡フラグ的に言いましょうかね。このゲームをクリアしたら、またあっちでも会いましょう。そうすれば貴女もきっと思い出せるはずです」
意味ありげなことを言ったアプリコットは逃げるように階段を駆け上がろうとして――振り返る。
「何か言いたいことが?」
そう言ってきた。どの口が言える台詞なのか。
色々と言ってやりたいことはあった。否定、釈明……。
(おそらく何を言ったところで受け流されるのでしょう……)
ひとつだけ論理破綻型の彼女に抵抗する術は――
「ありがとう、ございました」
思惑通り、アプリコットは『やられた……』とでも言いたげな表情でうつむき、そのまま階段を上がっていった。




