(41)『Dramaturgy』
戦闘は思った以上にずっと長く続いた。
あのアプリコットですら最後の最後は心底めんどくさそうな顔をしていたことからも、どれ程厄介な敵だったかは想像に難くないだろう。救いがあるとすれば、日が沈み薄暗くなってきた頃に基地全体がライトに照らされて、昼間の曇天よりもむしろ明るくなったことぐらいだろうか。
相手のライフが半分をきった辺りから行動パターンが変わり、『ヴォア・ラクテ』を1個壊す度に全身の表面が変化して無数の大きなトゲが生えてくるのだ。そのせいで無闇に近づけず、中距離からの攻撃では表面の液体金属膜に止められて『ヴォア・ラクテ』まで到達できない。
そして、相手のライフが三割を切ってから全身から例の粘液が大量ににじみ出てきて、刹那が実質的に戦力外通告を受けた。リーチの無い短剣では粘液に触れずに表面を裂くことができないのだ。
本当なら魔刀も多少厳しいのだが、正確にかつ素早く動かすことができればやってやれないことはない。
結局十二体の自律兵器との戦闘に五時間弱、星蝕複合式不定形骸体との戦闘に二時間半を要したものの、昨今の塔攻略にしてはかなり早く終わった方だ。
済んでみると、想定できるクリア条件の幅はかなり狭かったのだ。明らかに怪しい十二の演習場に、ここまで無害なモンスターもいないだろうとさえ思った単一種だけの弱小モンスター。何故気づかなかったと七時間前の俺に言ってやりたい。
巨人の崩壊と共に降りかかってくる液体金属を全身に被りながら、いくら仮想現実でも不可能と言い切れるような、そんなことを考えていた。
『次層第350層、及び、NPC戦闘介入システムが解放されました』
頭上に現れたシステムメッセージを軽く見流し、周りの皆の様子を確認する。
「う、うぇっ、口に入った!」
リコが口に入ったらしい液体金属を吐き出し、助けを求めるような目を向けてくる。
残念だけど無理だ。
「エロ粘液の滝消えましたよ、シイナ」
「少しは恥じらえ」
思いっきり余裕ぶるアプリコットに一言吐き捨てるように言って目を逸らすと――刹那と目が合った。
どうやらとっさに同じことが頭に浮かんでいたらしい俺と刹那は二人同時にどろどろと滑る地面を蹴って、管制タワーの中に飛び込む。
そのついでにちゃんと王剣を回収してくれる辺り、刹那もなんだかんだいいヤツである。お願いだから普段からそうでいてくれ。
「アンダーヒルは第七演習場の側!」
すぐさま地図でフレンド追跡機能でアンダーヒルの位置を確認した刹那がそう知らせてくる。
「ネアは……別行動みたい。えっと……シンと一緒ね。それとリュウも」
「OK」
調べてくれた刹那に礼代わりの体力魔力中回復のポーションを投げ渡し、自身も同じ物を飲み干す。緑茶に塩と砂糖を入れたような滅茶苦茶な味だが、これでも汎用ポーションの中ではマシな方である。
「はいっ」
投げ返してきた空のビンをなんとかキャッチして、二つ纏めてウィンドウに放り込む。何故かこのゲーム、ビンなど完全リサイクル制なのだ。おのれ環境省。
その時、目の前にパッとシステムメッセージのウィンドウが開いた。
『独立型戦闘介入NPC所有特典が配布されました。受け取りますか?
[内容確認][受け取る][売る]』
(特典……?)
特典なんて本サービス開始時にベータテスター宛に配布された妙な片手剣以来だ。
取り敢えず[内容確認]のボタンに人差し指で触れると、新しいウィンドウが出現した。
『対象NPC
[The Hound of the Baskervilles]:特典【フェンリルファング・ダガー】【天狼牙の髪飾り】【天狼牙の耳飾り】【天狼牙の首飾り】』
俺に扱えない武器とアクセサリー三つのセットらしいな。
少し残念な気分を味わいつつ、さらにスクロールして二ページ目に目を通す。
『[Eve the Android Hadaly]:特典【楽園追放】解放』
スキルか……?
まあ今でさえリコのスキルは全部把握してないからな。ひとつ増えたところで同じようなものだろう。
[受け取る]のボタンに触れて、後続のウィンドウを適当に読み流して全てのウィンドウを閉じる。
「こっち!」
ちょうどタワーを抜けた時、刹那がそう言って袖を引く。
そして第七演習場に着いた――。
「アンダーヒル!」
彼女はそこにいた。
演習場の入口の所に仰向けに倒れていた彼女はこっちに気づくと、原形以上にボロボロに裂けた黒いローブを身体に巻き付け始める。だが手が震えているせいか、遅々として巻き終わることはなかった。
「シイナ、ここで待ってて」
そう言い残した刹那はアンダーヒルに駆け寄って、手に巻き付けてあった【ブラック・バンデージ】をほどいて【物陰の人影】を留め始める。
防具は一度破壊されると、すぐには元に戻せない。ギルドハウスにいるメイドか、専門店のNPCに頼んで直して貰うまで防御減少とスキル無効のステータス修正を受けてしまうのだ。一応自分で直すこともできるがさすがのアンダーヒルも服飾スキルを上げてはいないだろう。
「いいわよ」
刹那の手招きでアンダーヒルに近付くと、わずかに目を逸らされた。
「アンダーヒル、何があった? やっぱりアイツ、≪道化の王冠≫だったのか?」
危険域に達しているライフに対する戦慄を隠し、アンダーヒルに問いかける。
「わかりません……。ですが……非常に不可解です」
「不可解?」
俺がそう聞き返すと、
「これはただの推測、いえ、私の妄想の域ですが……彼女は……スペルビアは……≪道化の王冠≫であり……≪道化の王冠≫でない……」
「は?」
「中立であり……中立でない……」
「言ってる意味がわかんないわよ、アンダーヒル!」
刹那の横槍も聞こえていないように、反復するように何かをぶつぶつ呟いていたアンダーヒルは、
「彼女は……Dramaturgy……で……」
最後にそう言って、フッと糸が切れるように気を失った。
「……何だってのよ」
刹那が苛立ちを隠すように静かに呟く。
アンダーヒルがワケのわからないヤツなのはいつものことだが、口に出すことに対して理解が追い付かないほどのことはそうそうあることではない。
「と、とりあえず運ぶしかないな」
「大した怪我はないみたいね。アンタ、背負ってきなさいよ。私疲れたし」
お前は俺が疲れてないとでも思うのか、などと口に出しわざわざ刹那とのいさかいの種を作れるほど今の俺には身体的余力と精神的余裕は残されていない。結局のところ俺が背負うことになるのは必然と言えば必然なのである。
仕方ないので女性へのマナーということにして納得しておこう。
(軽い……)
アンダーヒルを背負って最初に思ったのはそんなことだった。
FOの中での体重は現実と仮想現実で差が大きすぎると、歩行などに支障を来す可能性があるため現実の体重±五キロ以内。確信があるわけではないが、この軽さは身長の問題だけでもないだろう。
「ナニやってんのよ、シイナ。早く行くわよ。アンダーヒルも休ませなきゃだし、今日だって反省点たくさんあるんだから!」
「あ……ああ……」
さっさと戻り始めてしまう刹那の後を追って歩き始める。
その途端、背後でチャリンと金属音が大きく響いた。
「ん……?」
振り返ると、何かライトに照らされて光るものが落ちている。
(なんだ……?)
アンダーヒルを落とさないようにバランスを保ちながら、それを拾い上げる。
銀色の五芒星を象ったチェーンの切れたペンダントだった。
(アンダーヒルのか……?)
でもこんなものを身に付けているところを見たことがない。
(後で渡せばいいか……)
チェーンの破損でアイテム名が【壊れたアクセサリー】になってしまっているそれをアイテムウィンドウに放り込み、いつのまにか姿が見えなくなっている刹那を追いかけたのだった。




