(12)『精霊召喚式-サモンド・プレイ-』
森淵より這い寄る不可視の襲撃者、危険を冠する怪物避役。
寓意の女帝は従僕に命ずる。仲間を活かすための捨て石とならんことを。
「これが、黒鬼避役……?」
隣に立っていた刹那が、見開いた目を黒鬼避役に向けてぽつりとそう呟いた。
名前を呼ばれたことに反応したのか、あるいは偶然か、黒鬼避役は喉を震わせて、ケェエエエッと鶏のような鳴き声を出す。そして、下顎を突き出すようにカチカチと上下の歯をぶつけて鳴らす、独特の威嚇モーションに入る。
顔は確かに、突き出てぐるぐると独立して動く目といい、時折、目で追うのがやっとの早さで出し入れされる長そうな舌といい普通のカメレオンに近いのだが、細長く飛び出た首が原種とは形を異にしている。
しかし、刹那はさっきまでの緊迫した空気の中、何処となく馬鹿にしているような目で黒鬼避役を見ると、急激に下がりきってトーンの冷えた声で、
「なんかネーミングにぴったりの安易なデザインね」
「いや、刹那。それ、一言多いから」
少なくともボスを目の前にして、至近距離で対峙してる現状況で出てくる台詞とは思えない。少なくともまともな人間の台詞ではなかった。
「刹那、とりあえず一刻も早くクルーザーを回収してくれ。シイナとの夫婦喧嘩はその後にでも――」
「【瞬刃牙】ァッ!」
「――うぇぷらぐふぁっ!?」
刹那の手にしていた短剣〈*フェンリルファング・ダガー〉の柄が、刺突系汎用スキル技の軌道に沿って、シンの鳩尾に打ち込まれたのだ。
この辺り、さすがシンと言うべきか。こんな状況で現実的かつ合理的な意見を言っているのに、ついでに刹那の機嫌を損ねられるとは。
「誰が夫婦よ、誰がッ!」
「いや、刹那……何も今しなくても……」
ならお前も言うなよ、とは口にすまい。
それにしても刹那さん、俺と夫婦扱いされることは今に始まったことではないのに、毎度毎度シンに同レベルの折檻を与えるとは。
(さて……)
パッと見それほど強くは見えないモンスターだが、相当の実力者であるトドロキさんのパートナー、しかもFOで知らぬ者なし“物陰の人影”こと[アンダーヒル]を倒している。
それだけの高ステータスモンスターということだ。
警戒心を解かないようにしながら弱点観察を始めようとした瞬間、
「ほう、これか……」
黒鬼避役がスーッと薄れるように姿を消し、リュウが感心したような呟きを漏らす。
その直後、刹那が操作していたのか、粒子状に分解されたクルーザーが刹那のウィンドウに消えていく――――が、その上に乗っていたはずの黒鬼避役が河に落ちた痕跡は見えなかった。
あれだけの巨体が河の中に落ちて、水音や水飛沫ひとつしないとは思えない。直前のタイミングで何処かへ移動したのだ。
「っぐあぁッ……!」
突然聞こえてきた呻き声に振り返ると、鞭のようなものに吹っ飛ばされたリュウが背後の大木の幹に叩きつけられていた。
咄嗟に刹那を見てしまったものの、この一撃を与えたのは勿論刹那ではなく、黒鬼避役だ。
見ると、さっきまでほぼ満タンだったリュウのライフゲージバーが半分近くまで減少していた。舌か尻尾かはわからないが、何れにせよリュウが踏ん張ることもできずに吹っ飛ばされたとなると、相当の打撃力だ。
この四人の中で最も高いリュウの防御率。それで三回も耐えられないなんて一つ前の層でもこんなことはなかったのに。
いや、それどころじゃない。
同じ光学迷彩の能力を持ったギリーフィッシュは、同じく見えないまでも空気の流れや水飛沫でいるかどうかぐらいは確認できた。しかし、この黒鬼避役は何処にいるか、その動きすら全くわからない。
「逃げろ!」
リュウを助け起こしたシンが先陣を切って、河岸を下流に向かって走り出す。シンはさっきの対ギリーフィッシュ戦でライフが半分ほど減っているのだ。これ以上は一撃も耐えられないかもしれない。
「またクルーザーを出した方がいいんじゃないか!? 河をこのまま下っていけばほぼ確実に森の出口には出れるはずだ!」
シンの言う通り、森の切れ目は層の入り口。そこまで戻れれば少なくともゲームオーバーになることなく、塔の外に出ることができる。
だが――。
「ダメよ。アイツ、“物陰の人影”の情報通り、賢いってのは間違いない。次にクルーザーを出したら、間違いなく潰しに来るわね。あれが優秀な足だってわかってる」
刹那の言う通りだ。
今度は乗るだけじゃなく、間違いなく破壊されるだろう。
少なくとも今までのボスモンスターと同じレベルで想定していたら、間違いなく最後に立っているのは黒鬼避役の方だ。
「一度戻って対策を考えないと勝ち目はないわ。だから、今はとりあえず逃げるしか――キャアッ!」
隣を走っていた刹那が何かに足をとられるように転んだ。
「刹那!?」
慌てて振り返り、地に手をつく刹那に手を伸ばす。
しかし、刹那がその手をとろうとした瞬間、その足を引っ張られるような形で、その身体が宙に浮き上がった。宙吊りになった刹那はジタバタともがき、その拍子に一瞬だけ敵の姿が現れる。
刹那はヤツの長い舌に足をとられていたのだ。
「放ッしなさいよ、馬鹿ァッ!」
刹那は再び姿を消した黒鬼避役のいた場所に投擲スキル技【投閃】を使って〈*フェンリルファング・ダガー〉を投射する。
しかし、ダガーはさっきまで黒鬼避役がいたはずの空間を素通りし、その下の地面に突き刺さる。
「ちッ、気味悪い舌でいつまでも触ってんじゃないわよ、ド変態ッ! 【精霊召喚式】〔神託を下す戦巫女〕〔魂を導く戦乙女〕」
刹那の保有する召喚系ユニークスキル【精霊召喚式】。
ユニークスキルとは簡単に言えば全プレイヤー中、最初に特殊な取得条件を満たした一人のみが得られるスキルのことで、リュウの【剛力武装】などもこれにあたる。
戦闘スキルと同じでどんな時でも発動できるが、あまり汎用性がなく、使用できる状況が偏っているものが多い中、刹那のこれはかなり有用だ。
何せこのスキルの召喚獣はFOの最上位級揃いの巨塔ボスモンスター。刹那は、今までに戦闘を経て倒してきたボスモンスターを召喚獣として複数体使役できるのだ。
刹那の指定した召喚精霊二体が虚空から現れ、二体がほぼ同時に間髪入れずに彼女の足を絡めとっている舌を切断するように剣を振るった。
切断できたのかはわからないが、自由になった刹那はそのまま地面に手から着地すると、逆立ちを経て曲芸のように立ち上がる。
「ありがと」
刹那の愛用する精霊系召喚獣は大抵が人型で、身体の輪郭を模しただけのモヤモヤした塊みたいなグラフィックで出現する。たまに人外生物のモンスターも出すが、総じて少ない方だ。
今回召喚されたのは第九十三層『神託の聖域』のボスモンスターで、白装束に紅袴、薙刀を背負い、右手に小太刀、左手に和弓を携えた典型的な巫女風武装で固めた〔神託を下す戦巫女〕。そして第百六層『天上宮』のボスモンスターで、少し露出の高い西洋鎧に西洋槍を背負い、長い両手剣と細身の盾を携えた戦乙女風武装の〔魂を導く戦乙女〕だ。
「この子たちに時間を稼がせるわ」
どちらも人型故に汎用性の高い強力な精霊。黒鬼避役相手でも、さすがにいきなり負けることはないだろう。
時間稼ぎをさせている間に踵を返した俺と刹那が再び走り出すと、何処からかトドロキさんが隣に飛び降りてくる。
「先行ったんじゃなかったんですか!? ってか、今何処から――」
「男の癖にチマチマ細かいこと気にすんなや。シンとリュウだけ消耗が激しかったから、ぱっぱと先に行かせたんよ。ちょっとした裏技やけどな。援護も考えてんけど、ウチがここで魔力減らすよりは、ジブンらの逃走の時に取っとこう思て控えてた」
待ってくれただけで十分に心強いが、メンタルでどうにかなる状況でもない。黙って平然を装ってはいるが、刹那は二体の召喚で結構な量の魔力を消耗している。何に使ったのか、トドロキさんも相当量魔力を消耗しているし、あの精霊二体がやられたら相当厳しいだろう。
「ちッ、ヴァルキュリアがやられたわ。どんだけ化けモンなのよ、アイツ」
と思った矢先に刹那が毒づくようにそう報告してきた。
召喚者と召喚獣は意識が曖昧にリンクしていて、死んだか死んでないか等、かなり大雑把な範囲で行動がわかるらしい。
「――って、こんなに早くか!?」
「今はミーディアムだけで何とか耐えてるみたいだけど、直にこっちにも来るわよ。どうすんの、シイナ」
「お前、いっつもここ一番で俺に丸投げだよな」
「それだけアンタの作戦指揮と判断能力を信用してんのよ、リーダー」
物は言いよう、って相当恐ろしい日本語だと思うのは俺だけなのか。
「よし、刹那。土偶で行こう」
「はぁ!? 私、アイツ嫌いなんだけど」
「ドグウ?」
トドロキさんが首を傾げた瞬間――――ドォオオオオオンッ!!!
背後の木々が弾けるように吹き飛び、木っ端微塵の文字通り木っ端が、衝撃の余波が殺気と共に背中に襲い掛かってくる。
「ほら、時間ないって!」
「あ゛ぁぁぁ、もう! わかったわよ! 【精霊召喚式】〔土偶騎竜〕!」
ボゴォッ、と刹那の足元が突然隆起し、巨大な外骨格が現れる。
これは第五十四層『土塊傀儡城』のボスモンスター、〔土偶騎竜〕。頭の先から尻尾の先までの長さが7mというそれなりに大きなボスモンスターだ。その身体は土で構成されており、騎兵竜という名の割にその形は竜の翼を持ったトンボのようで、ざらざらとしたゴムのような手触りの表面には、各部に文様状の立体装飾が施されている。
ギランッとまるで起動するようにその細長い抽象的な形の目に光が宿り、バキバキと地面を割り砕きながら俺たちを掬い上げ、瞬く間に10mほどの高さまで舞い上がる。
「ふぅー、あっぶねぇー」
ほっと一息吐いている様子のトドロキさんを尻目に、俺は土偶騎竜の身体を滑り、眼下を覗く。
濛々と立ち込める土煙が視界を隠してしまっているが、差し迫っていた黒鬼避役と、土偶騎竜の出現で発生したものだろう。
少なくともその土煙の中に、目立つ動きは見られなかった。
「シイナ、ちゃんと掴まってて。加速するわよ」
「おう」
グルンと反動をつけて上に戻った途端、土偶騎竜が大きな土製ドラゴンウィングを羽搏かせて急加速する。
「とりあえずできるだけ早くシンやリュウと合流することだな。この速度ならさすがに追いつかれはしないだろうけど、このままだと二人が先に襲われかねないし、それじゃ本末転倒だ」
「まぁー間に合うやろ。おっと、アンダーヒルにも来んなって送っとかんと。ついでにわかったこともまとめなあかんし」
俺がリュウとシンの場所を確認するためマップウィンドウを、トドロキさんが“物陰の人影”に連絡するためのメッセージウィンドウを開いて操作し始めると、一人手持ち無沙汰になった刹那が、不機嫌そうに珍妙な造形の土偶騎竜を眺め、
「好みじゃないんだよねぇ……」
と相当贅沢な溜め息を吐いた。
ボスモンスターを召喚獣として使役するなんてチート級の召喚スキルを持っておいて、こんなこと言い始めた時には、ユニークスキルを持たない他の連中からすれば羨望と嫉妬の対象である。
それをまったく気にしないのも、同時にその関連で起こるトラブルすらもものともしないのが我らがエースの刹那さんのわけだが。
そんなことを考えつつ、俺は再びマップウィンドウに視線を落とす。
その時だった――――ドオォォォンッ!
「「……ッ!?」」
「なんや……? この爆音」
音の発生源は俺たちがさっきまでいた、ちょうど刹那がこの土偶騎竜を召喚した辺り。思わず振り返るとそこからは、土煙の他に天へと伸びる細い黒煙の柱が立っていた。
Tips:『召喚獣』
プレイヤーが発動する召喚スキルによって出現する特殊なNPC。個体によって精度は異なるが召喚者の発声命令による使役が可能で、プレイヤーの指示なしでも最低限の戦闘行動もできる。召喚スキル自体が多くのスキルより強力で汎用性が高いため、その分希少性が高い。特有スキルとして召喚スキルを有する種族も複数存在するが、高レベル帯にしか存在しないため大多数のプレイヤーは召喚獣を見る機会も少ない。




