(35)『ナニコレ、可愛い』
「なんだ。シイナも帰っていたのか」
突然扉が開いて、リコが身体から湯気を立てながら部屋に入ってきた。ギルドリーダーの部屋を自由に開錠できるのは俺以外にはコイツだけだ。
「刹那とは下で会ったが、どうも不機嫌そうに『バカシイナ』とぶつぶつ連唱していたからな。喧嘩別れでもしてきたのかと思ったぞ」
不機嫌とか……マジですか、刹那さん。
「ん? 今、会ったのか?」
「ついさっき下でな」
刹那がロビーから出ていった時間から考えればあれから十分程度、微妙に時間が噛み合わない。
アンダーヒルの受けた呪いの話は部屋の中でのことだから聞こえるはずがない。
(わからん……)
刹那が突然不機嫌(リコ証言)になった理由の見当もつかなかった。
「ところでシイナ、さっきフィールドを出た時に倒した敵のドロップアイテムを手に入れていただろう。そこに――」
「サジテールのキーパーツは無かったか、ってことか?」
ピク、とリコの髪が揺れる。
「よくわかるな……。さすがは私の主人、といったところか……」
そりゃあれだけ未練がましい顔をしてれば誰でもわかるだろうよ。
「で、どうだった?」
「どうだったもナニも見るだけならお前にもできるだろうが」
「じ、自分で見る勇気がないからこうして、き、聞いているのではないか……」
ナニコレ、可愛い。
「『自我を包みし電脳殻』って名前のアイテムならあるな。最高レアだし、ユニークアイコン付いてるから間違いないだろ。何処か復元できる当てがあるのか?」
「ああ、多分亡國地下実験場の最下第八層なら」
「……はい?」
しかも第八層って言ったら俺にとっての未知の領域、正真正銘表フィールド最難関の場所だぞ。
「無理……だろうか……?」
リコは俺が難しい顔をしているのを不安に思ったのか、怖々といった感じで見上げてくる。
「いや、その内連れてってやるよ。多分ついてきてくれるヤツもいるだろうし、なんとかなるさ」
リコの頭に手を乗せてそう言ってやると、一瞬嬉しそうな顔を見せたが、すぐに唇を尖らせた。
「シイナ、何故ことあるごとに私を子供扱いするのだ。悪気がないのはわかっているが、私とて一人前のアンドロ――」
「背が低いから」
「思いっきり悪意だと!?」
「ああ、いや、悪気はないよ。悪戯はあるけど」
「貴様、今、悪戯を無理に読まなかったか!?」
「お、鋭いな」
しまったな、やり過ぎて呼び方が『貴様』に戻るほど追い詰めたようだ。刹那といいリコといい、俺は人を不機嫌にさせる名人だな。
リコは不機嫌そうな顔で部屋の戸を開けると、出ていこうとして、立ち止まった。そして半身振り返る。
「さっき私が入ってきた時、一瞬身構えただろう。筋肉の緊張でわかった。私がここに来る前に何か……あったのか……?」
本当に今日のリコは鋭いな。むしろ普段が鈍くて単純すぎるだけなのだが。
「いや、何でもないとは言わないけど、今気にするほどでもないから安心しろ」
俺がそう言うと、リコは少しだけ考えるような表情を見せて、
「それならいいが、あまり一人で背負い込まないようにな」
そう言い残してリコは出ていった。
(むしろ一人で背負い込んでるのはアンダーヒルの方なんだけどな……)
俺はため息をつくと、アンダーヒルの座っていた椅子をボーッと眺める。
(ボス戦……アンダーヒル……刹那……スペルビア……)
目の前には考えることが山積みだった。
巨塔ミッテヴェルト第三百四十九層『幽墟の機甲兵器演習基地』ボス――星蝕複合式不定形骸体の討伐任務。
「なんでコイツも来てんのよ」
俺の隣に立つ刹那が、脇腹をぐいぐい突いて問い詰めてくる。
「痛いっての。アイツのことを一任したアンダーヒルが連れてくって言ってんだから仕方ないだろ」
俺と刹那の視線の先には、寝起きで上半身だけをゆらゆらと揺するスペルビアの姿があった。
ただでさえ重い巨鎚を右肩に担いでいるせいで更にバランスが悪そうだ。倒れていないだけスゴいことだが。
「それにアッチは使えるの?」
再びどすどすと脇腹を突いてくる刹那の視線を辿ると、シンの背にしなだれかかってこれまた眠そうなアプリコットがいた。既にフィールド内にいるのに装備しているのは腕輪状態で収納された片刃腕輪【天使の刃翼】と最強の弾性投石弩【不死ノ火喰鳥・火焔篝】のみ。
自室で寝ていた彼女を引っ張り出してきた時のインナーのままなのだ。
「今さら不安になってきたけどあれでも第二位なんだし……」
インナー姿の女の子に絡まれているのに、シンは浮かない顔をしている。相手がアプリコットでは諦めてしかるべしだが。
ちなみにここに来ているのは、俺・刹那・リュウ・シン・アンダーヒル・アプリコット・ネアちゃん・リコ・スペルビアの九人だ。いちごちゃんは何故か時間になっても現れず、トドロキさんがいないため連絡もままならず、仕方なく置いてきたのだ。
「さて、『形骸体』は……と探すまでもないな」
リュウが辺りを見回し、中央の管制タワーの方を凝視する。
なるほど。曇天の暗さのせいで少し見えにくいが、確かにいるな。
タワーの向こう側に、微妙に光沢が波打っている部分がある。間違いなくヤツだ。
「アンダーヒル、アンタの狙撃ってアイツまで届く?」
「可能です」
おいコラ、刹那。人がせっかくアンダーヒルに狙撃を控えさせようといい案を考えている時になんてことを。
「いざってとき出口が近い方がいいでしょ。アイツ、フィールド無いなら自由に動き回れるみたいだし、こっちに呼ん――」
「【魔犬召喚術式】、モード『地獄の猟犬』5匹」
直ったばかりの【群影刀バスカーヴィル】を引き抜き、刹那の言葉を遮るようにバスカーヴィルたちを喚ぶ。
現れた五つの影溜まりが大きく膨張し、こっちの意思を汲み取ったかのように滑り出しながらヘルハウンドを形作る。
強靭かつ柔軟な筋肉を持ち、狩猟に特化した怪物犬だ。
「星蝕複合式不定形骸体をここまで引き付けて、連れてきてくれ!」
「御意ニ」
五頭の内の一頭が高く響き渡るような声でそう応えた。
どうやらケルベロスのようだな。他より微妙に遅いし。
疾風のように駆けていったヘルハウンドを見送ると、アンダーヒルが何か言いたげな顔をこっちに向け、
「何故止めたのですか」
「そうよ! 狙撃の方が早いじゃない!」
刹那も同調してくる。
ミキリのこととか呪いのこととか色々説明してしまいたい……。
「どうせあの鈍さならこっちに来るまでは時間がかかるし、いざとなったら時間稼ぎもできる。ダメージも全体で見ればバスカーヴィルの方が多いよ」
俺がそう言うと、刹那は再び何かを言い返そうとして口を噤む。
その時だった。
「『星蝕複合式不定形骸体』、鈍くても馬鹿じゃない。もう三つ食われてる」
スペルビアがそう言い出した途端、何処からか金属の奏でる断末魔が響いた。




