(34)『ありがとう』
「アンダーヒル。コイツ、どう思う?」
ソファですぅすぅと寝息を立てるスペルビアの隣で、俺はアンダーヒル・刹那と顔を突き合わせて切り出した。
「どう思うも何も、私たちが彼女から得た情報は≪道化の王冠≫に所属していたこと、巨鎚使いであること、暗器使いであること、近接戦闘に長けていること。眠たがりであること。どれも脈絡も確証もありません。後ほど彼女についての記録を集めてみますが、≪道化の王冠≫に所属していたとなれば他のメンバー同様公的記録は消されている可能性もあります。端的に言えば、考えようがありません。圧倒的に情報不足です」
アンダーヒルはそう言いつつも黙り込み、何かを考えるような表情を見せる。
「ねぇシイナ。なんでコイツ、≪道化の王冠≫だったくせに、塔の攻略に参加してたと思う?」
刹那がそう言い出した。
「確かにそうだな……。≪道化の王冠≫と離反したってことはないかな? 最初はこのログアウト不可能な状況に賛同したけど今になって嫌になったとか。それなら塔攻略に参加してた理由にもなるだろ。早く現実に戻りたい、とか」
「動機はそうでも、理由がないじゃない」
「理由?」
「離反したスペルビアが無事な理由よ」
「あ……」
確かにそうだ。
今の儚の性格だけを考えれば、味方が敵になる状況を面白いとさえ思う破綻者だから不思議はないが、あのクロノスや魑魅魍魎がそれを看過するとは思えない。
儚とあの二人、そしてミキリやリコの関係が上下関係じゃないことは一目瞭然。≪道化の王冠≫は協力関係で成り立っている。
いくら儚が主張したとしても、多数意見でスペルビアの粛清は確定するだろう。普通に考えれば。
だとしたら……。
「潜入……罠ってことか?」
そうならかなり危険な存在だ。
「そう考えたら逆に≪道化の王冠≫であることをこんなに簡単にバラした意味がわからないし……」
刹那は下唇に細い人差し指を添えて、呟く。
「シイナ、刹那」
アンダーヒルがパッと顔を上げたかと思うと、俺と刹那の目を順番にまっすぐ見据えて、
「スペルビアのことは私に一任していただけませんか」
微妙に緊張している面持ちでそう言った。俺と共有しているミキリの件を除けば、アンダーヒルが自分から懸案を『一任して』と言うのはこれが初めてだ。
ある意味、絶対の信頼を要求するような言葉だからな。自分が情報の確度や他者の信頼について細々と気にしているヤツだから、自分から言い出すことに抵抗を憶えているのだろう。
「……俺は全面的にアンダーヒルを信頼してるし、こういう時の状況判断も比較的正確だから、構わないよ」
「シイナがそう言うなら、私もいいわ。もちろん私も信用してるし」
「ありがとうございます」
そう言ったアンダーヒルの表情には、ホッとした感情がありありと表れていた。
(そうそう。お前もそうやって人並みに感情出していけよ)
「アンタもそんな顔できたのね」
俺が内心に納めたことを良くも悪くも簡単に口にしてしまうのが刹那クオリティである。
「私も人間ですから、人並みの感情ぐらいはあります。それを表に出さないだけです」
そんな台詞を言い切る辺りが普通じゃないんだけどな。
「……じゃあ話は終わったってことね。私、シャワー浴びてくるわ。汗かいちゃったし、あのボスは手強そうだから、気分転換しないとやってらんない」
刹那は立ち上がると、わしゃわしゃと髪の毛を掻き乱して席を離れた。
すごいな。あんだけぐしゃぐしゃにしてもすぐ戻ってるぞ。
階段を下に降りていく刹那を見送ると、相変わらず無表情を貫くアンダーヒルに向き直り、俺も立ち上がる。
「あなたは何処に?」
「部屋だ」
「そうですか」
「お前もな」
ソファに浅く掛けていたアンダーヒルが動く前にその腕を押さえる。
「立てよ、話がある」
「私にはありません」
「俺にはあるんだよ。いいから」
アンダーヒルを無理やり立たせ、ロビーから引っ張り出して廊下を引いて歩く。
諦めたのか、途中までは振りほどこうとしていた抵抗も止む。
「ほら、入れ」
不服そうに俺を見上げてくるアンダーヒルを部屋の中に押し込み、逃げられないよう一応システムロックをかけておく。
「座れよ」
一つしかない木製の椅子を譲り、俺はベッドに腰をかけた。
「話とはなんですか」
「わかってるだろ。お前、いつまで狙撃銃を使い続ける気だ。今日のアレは何のつもりだ」
もちろん狙撃銃大量購入の件だ。詳しい数はわからないが、グランの反応からすれば少なくとも二十や三十はあるだろう。アンダーヒルのレベルからして総額一億オールどころでは済まない。
「狙撃手をやめるつもりはありません。あの狙撃銃は私のサブ武器を選定するために購入したものです」
「サブ武器!? お前、まさか――」
「メインを高威力の対物狙撃銃のまま、サブに対人狙撃銃を据え、狙撃支援特化に転向します」
馬鹿じゃないのか、コイツ。
「ありえないだろっ。なんで狙撃に制約がかけられた状況でむしろ特化しようって考えが出てくるんだよ!」
「大丈夫です。もうあの痛みにもかなり慣れてきましたから」
「そういう問題じゃないだろっ。もっと自分を大事にしろ。お前、現実では身体が弱いんだろ? もしかしたら向こうにある肉体の方にも負担がかかってるかも、とか思わないのかよ!」
「あなたに私の現実を心配される謂れはありません」
ぴしゃり、と言い切られた。アンダーヒルは無感情正視線を発動し、瞬きひとつせず俺を見つめてくる。
その言葉は、反則だ。
仮想現実でどんなに関係が深くても、現実では全くの無関係。
その論理を持ち出されては、こっちの関係しか持たない俺には反論のしようがない。
(結局俺の言葉なんて……コイツには何の意味も持たない言葉なのか……)
俺が何も言わずに黙っているのをじっと見ていたアンダーヒルは――ガタン。
珍しく音を立てて椅子から立ち上がり、ドアの前に歩み寄り、『開けて下さい』とばかりに俺を見つめてくる。
俺が遠隔で鍵を開けてやると、
「――ありがとう」
言ってしまえば似つかわしくないほど気持ちのこもったお礼に思わず顔を上げて、アンダーヒルを見る。
アンダーヒルはドアを開けて、廊下からこっちを振り向いていた。
「私の身体を心配してくれてありがとう、シイナ。私はあなたのそういう気遣いが素直に嬉しい。でも、だから、私は早くこのDOを終わらせたい。あなたに報いるためにも、あなたが閉じ込められた人々を助けようとする、それを無理をしてでも支えたい。こっちの私にはそれだけの力があるから――」
端的に言えば、驚いた。
彼女がこんなにも取り繕わない姿を初めて見たからだ。
口調も、気持ちも、表情も。
まったく取り繕う様子のないありのままのアンダーヒル。現実での彼女はこんな感じなのだろうか。こんなにも可愛らしく微笑むのだろうか。
「――だから万一、あなたの言うような身体への影響があったとして、私に何かあったとしても……私のことを、私がいたことをどうか憶えていてくれると嬉しい」
わずかに震えるような声でそう言ったアンダーヒルは、俺が何かを言う前に扉を閉めていき、
「二時間後のボス戦。遅れないようにお願いします」
『物陰の人影』の仮面を被ったアンダーヒルの声がドアの隙間から聞こえてきた直後、パタンと乾いた音を立てて扉が閉まった。




