(21)『無気力な眠り姫』
『幽墟の自律兵器演習基地』中央管制タワー五階管制室屋上――。
「山羊座がやられたか……」
クロノスは胡座をかいてそこに座り、目下のフィールド内にいる≪アルカナクラウン≫の監視の任を続けていた。
ガチャン。
背後3メートルの鉄扉が閉まる音にようやく誰か来たことに気付いて、双眼鏡から目を離しつつ振り向いた。
「おはよう、クロノス……」
ほわぁ、と可愛らしいあくびを手で隠し、抑揚のない声で挨拶する黒髪のくせっ毛少女は[スペルビア]だ。
その右手に掲げられた身体の大きさに見合わない巨鎚からわずかに目を逸らしつつ、
「寝ていなくてもいいのかい?」
「もうすぐ」
スペルビアは半開きの目をこすりながら、ゆっくりとした足取りで近づいてくる。
「ああ、もう時間か。悪いな……睡眠時間を削るようなお願いを聞いてもらって」
「別に。カプリコルヌ・クレアシオン……ってドクターが『ふっふっふー、自信作できちゃったよっ、いいいい――――やっほおおお、おうッ!? うぎゃあああああぁぁっ、ちょっ、ハカナちゃんうるさいからってうぎゃいっ……腕がッ、腕がああああっ』って言ってたヤツ……?」
変声術。
スペルビアは[魑魅魍魎]とまったく同じ声で当時と同じ台詞を交えつつそう言った。
「……スペルビア、そこまで再現しなくてもいい。それにドクターは自分の作品を必ず自信作と言うからな。お前もあまり真に受けない方がいいぞ」
「うん」
ちょこちょこと隣に寄ってきたスペルビアは、ぽすっと左に腰を下ろし足を伸ばす。
そして――ズンッ!
重い音を響かせながら巨鎚を背中側に下ろした。
「…………ところでその返り血は何だ?」
彼女の着ていた寝間着、【夜精霊のベビードール】は飛び散ったような血で真っ赤に汚れていた。
後ろの巨鎚【戦禍の鬼哭】にも赤い染みがついている。
「ドクター。目を覚ましたら同じベッドで寝てた……」
「だからあの研究室で寝るのはやめておいた方がいいと言っただろう」
「そう……だった?」
くっと首を傾げて仔犬のような目で見つめてくるスペルビアの頭にポンと手を載せ、
「まあいいさ。それはそうと何もされなかったか?」
「ドクターは……『ちょっと……ちょっとだけ待ってくれ』と言った」
「それで?」
「どさくさに紛れて…………おっぱい揉まれた……」
……学習能力がないのか、あの変態は。
「殴った」
「言われずとも想像できる。あまり気にしていないようだから本題に移るが、準備はできているか?」
再び双眼鏡を覗き込みつつそう言うと、狭まった視界が急に真っ暗になった。仕方なく双眼鏡の前に差し出された手を取り、スペルビアの方を向いて座り直すと、
「気にしてる」
「……わかったよ。後でドクターにも具体的な制裁も兼ねて警告しておく」
「うん」
こくこくと頷いたスペルビアはこくこくんっ……こくんっ――――。
頭を揺らして眠り始めた。
「またか…………。話の途中で寝ないでくれないか、スペルビア」
呼び掛けるが、返事はない。
そこで顔の前に手を持っていき――パチンッ! と指を鳴らす。
うきゅ、と喉から息を漏らして目をぱちくりさせるスペルビアの顔を覗き込み、
「本題に、入ってもいいか?」
「…………うん」
まだ頭がふらふらしていて落ち着きがない感じだが、聞いているものとして話を進めさせてもらおう。
「俺の頼みごとの内容を憶えているか?」
「詐欺」
「身も蓋もないことを言わないでくれ」
「裏工作」
「それを身も蓋もないと言う」
「テロリズム」
「それは根も葉もない」
「でもDOって……」
「それは半ばテロだろうな」
身も蓋もない。
≪道化の王冠≫の中で最も信頼に足るスペルビアに頼んだのは、まさに裏工作そのものだ。
一週間ほど前、BROが完成しいつでもアップデートできる準備が整った。そのことを知っているのは≪道化の王冠≫の中では[儚][魑魅魍魎]、それと俺だけだった。ついさっきドクターが[火狩]に漏らしていることを知るまでは、おかげでわざわざ研究室にまで出向くハメになった。
しかし、本来の目的であるVRMMO[BRO]が完成しているにも関わらず、儚は通過点にすら過ぎないはずの巨塔五百層の目標を達成するまで待つと言っている。
それならそのクリアを早めればいい、と言うだけの話だ。実際スペルビアに頼んでいたのは≪アルカナクラウン≫に接近し、塔攻略を手伝わせることだった。
スペルビアが≪道化の王冠≫に加担した理由は『睡眠を邪魔されることがないから』であり、唯一具体的な目的意識を持たない。
深くまで知ろうとも考えようともしない彼女だからこそ、儚にも誰にも知られないように俺の計画を進めることができる。
心配があるとすれば、危機自衛意識と≪道化の王冠≫への帰属意識が皆無に近いと言うことだ。場合によっては自分から≪アルカナクラウン≫に寝返ってしまう可能性すらある。
そのために今日の今日まで自分に懐くよう、根気よくスペルビアを調教してきた。想定していた期間より若干短くなってしまったが、≪アルカナクラウン≫の実力を図り間違えたのだから仕方がない。まさかこれほどペースが落ちてくるとは思っていなかったのだ。
「クロノスは来ない?」
「俺は儚のせいで面が割れているからな。残念だが、無理だ。それとこれだけは言っておく」
「ナニ?」
「[アンダーヒル]という名前の黒ずくめ装備の少女がいるんだが、気をつけろ。ヤツら殆どが平和ボケした現代の若者って連中だが、知識量も行動センスもアンダーヒルだけがずば抜けておかしい。最近は不調もあるようだが、今までに名前を聞いたことすらないのが気になるな。あとは[スリーカーズ]って丈の短い着物装備の女だ。確か竜乙女達偵察隊の黄金時代に頭領を張っていた経歴を持っている。どちらにしろ一筋縄にはいかないはずだ。それと――」
一拍置き、強調の意志を示すと、スペルビアは応えるように、『きゅううっ』と喉を鳴らした。
「――[アプリコット]。ヤツには極力関わるな。アレは儚どころじゃない化け物だ。話しかけられたりしてもできるだけ早く切り上げろ。話すだけでも危険だからそのことだけは憶えておいてくれ。前二人は最悪忘れてもいい。君が記憶に自信がないのはわかっているから、アレだけは可能な限り避けてくれ」
「うん」
少し不安が残るような軽い返事だったが、膝に添えられた右手が小刻みに震えているから警告としては通ったのだろう。
「じゃあ頼むよ、スペルビア。可愛い可愛い『無気力な眠り姫』。うまくやってくれ」
「頑張る」
スペルビアは抑揚のない声でそう言うと、半開きの眼をパチンと瞬きをして切り替えた。
いつもの眠そうな雰囲気を感じさせない、しっかり開かれた目に。
「行く」
スペルビアはウィンドウを操作し、【夜精霊のベビードール】を含めた装備を全て解除する。ベットリとついた血を落とすためというのはわかるのだが、VRMMOの中とはいえ男の前で下着だけになるのは如何なものか。
そして再び【戦禍の鬼哭】だけを装備し直すと、
「また」
スペルビアは再会を願う言葉をつぶやくと、ひょい――と一歩踏み出し、屋上から飛び降りた。
五階建ての屋上から。
「おいおい……」
平気だとわかっていても、突然されると心臓に悪いものだ。




