(20)『忘れろ』
一目見れば拷問器具のように錯覚しかねない、醜悪なフォルムの剛大剣【神ヲモ蝕ム剣】がスライム状の多様生物変幻体の表面に等間隔の傷を残す。
「あと八回……」
つけた傷は敵の特性上すぐに消えてしまうが、触れる度に目には見えない楔が一本ずつ打ち込まれていき、少しずつだが確実に変幻体の残りの寿命を奪っていく。
ここまでのアンダーヒルの戦いは一方的だった。
【コヴロフ】で確実に『連続身体欠損の怯みモーション』を起こさせ、【神ヲモ蝕ム剣】を一~四回接触させ、時に変幻体の動きの読めない攻撃を躱しつつ弾倉リロードを恐ろしい手際の良さでやってのける。
アンダーヒルの独壇場だった。
しかし危惧していた綻びは、さながら彼女の戦闘スタイルのように情け容赦なくアンダーヒルに襲いかかった。
ガァンッ!
【コヴロフ】の重い銃声が鳴り響き、ボルトアクション操作音がアンダーヒルの手元でする。
そして――ガクンッ。
アンダーヒルが膝をついた。
「くっ……はぁ……はぁ……」
アンダーヒルの肩が上下し、荒い息遣いが聞こえてくる。
「アンダーヒル! 心臓が痛むんだろうッ! もう狙撃は止せッ!」
アンダーヒルは返事をしなかった。
「魔法でも、【神ヲモ蝕ム剣】でもいい! ライフを削っても、【黄昏の神触感染】でジャッジキルしてもいいっ! 狙撃だけはもうやめろッ!!!」
しかし、アンダーヒルはこっちを振り向きもせずに首を横に振るだけだった。
変幻体のライフは残り二割強。アンダーヒルの魔法熟練度なら十分もかからずに削りきれるはずだ。それに【神ヲモ蝕ム剣】を使えば、あと八回触れるだけでヤツを倒せるのだ。
それなのに――。
「――なんでお前みたいな万能の才人が狙撃銃にこだわる!」
以前から思っていたのだ。
彼女の現実がどうかなんて関係ない。彼女は、アンダーヒルは、間違いなくこのゲームの中で最も0と一に、アトランダムなパラメーターに、全てを統括するシステムに――――最も愛されたプレイヤーだ。
彼女ならあるいは儚に勝てるかもしれない。
しかし、彼女は狙撃手であることにこだわりすぎだ。
確かにきっかけも聞いた。それなりに納得できる理由も聞いた。
「FOで身体が、アバターが動かなくなるなんてことはありえないっ。そんなのは杞憂だッ! システム的に起きるわけがないんだッ!!!」
何故、絶大なハンデを抱えながらも狙撃手にこだわるのか、いや、こだわろうとするのか。
彼女の向こう側にどんな人間にしろ、現代人であることに変わりはない。
同じ現代人で、なぜこうも価値観や思考回路がズレているのか。現実世界では間違いなく変人扱いだ。
「本当に……そう言いきれますか?」
アンダーヒルは震える声でそう言った。かなり小さい声だったが、この場所からでもはっきりと聞き取れた。
「もちろんっ! 当たり前だッ!」
「でももし起こったら……『現実』みたいにっ……『FO』でも立てなく、歩けなくなったら! 私はどうすればいいのですか!」
アンダーヒルが、初めて声を荒らげるほど感情を激しく露にした……!?
大ヤギの姿で突進してくる変幻体を転がって躱したアンダーヒルは再び【コヴロフ】を構え――ガァンッ!
重い銃声が鳴り響き、変幻体の首の付け根に命中した銃弾は身体の上半分を消し飛ばした。千切られた首は空中でスライム状に戻り、再び本体の方に吸収される。それで動きが止まった瞬間……。
「影魔種能力【死獅子の四肢威し】」
ザワ――と、アンダーヒルの影が揺れ、黒々とした煙のようなものがその両手から噴き出した。そしてその闇の塊は大きく形を変え、無数の鎖となって変幻体に絡みついていく。
スライム状の変幻体を鎖でどうやって捕縛したかはともかくとして、がんじがらめで動けなくなった間に【神ヲモ蝕ム剣】でトドメを刺すと思いきや、アンダーヒルは俺のいるゲートの方に歩み寄ってきた。
狙撃直後のせいか胸元を押さえて、弱々しくカタカタと小刻みに震えている。
「シイナ、あなたはとても優しい」
かすれた声で唐突にそんなことを言い始めた。
「いつも周りの親しい人を気遣い、予断を許さない状況下でも仲間が危ない時は形振り構わずに飛び込める。これは天性の才覚です。ですが――」
アンダーヒルはジャコッと遊底を操作して空薬莢を弾き出し、変幻体に向けて再び【コヴロフ】を構え直す。
「――それは同時に毒でもある。甘く優しい、それ故に拒み嫌うことのできない猛毒」
「……お前、ナニ言って――」
「私はッ! ……あなたに毒され過ぎてしまった。私はあなたと一緒なら立つことができる、そう思ってしまったっ……。私は、『情報家』物陰の人影はッ……! 傍観する情報家、常に中立で、一人でいなければいけなかったのにッ!!!」
「アンダーヒル、よくわからんが、落ち着けっ! 今はそっちに集中しろ!」
ガァンッ!
銃弾が変幻体に向かって飛び、その中心を大きく穿つ。
ライフをギリギリ一割残してはいるが、限界が近いのがわかっているのか地に縛りつける闇の鎖から逃れようともがく。
初めて見るスキルだが、いつまでも足止めしておけるほど甘くはないはずだ。
しかし、アンダーヒルは変幻体を一切気にしていないと言うように、こっちを振り返った。
「狙撃手は孤立できる。一人になれる。人との物理的な距離の話じゃない。狙撃手はストイックでドグマチック。気づいてしまった今となっては、消すことも偽ることもできないけれど――――隠すことなら、できる」
ガチャッ、ガッ、ガジャンッ!
弾倉リロードを済ませた途端、アンダーヒルは思いっきり横に飛ぶ。直後、突っ込んできたスライム状の変幻体が勢い余ってゲートに激突してベチャッと潰れた。
俺が思わずゲートから飛び退くと、
「影魔種能力【影魔の掌握】」
ズバアアアアァァッ!!!
壁で隠れて見えない死角から鎌の刃のような曲線で鋭角を描く影の塊がいくつも現れ、変幻体を細かく切り刻み始めた。
変化もできずにライフと本体を食い削られていった変幻体は三分後、跡形もなく食い尽くされていた。
(え……えげつねぇ……)
ガチャン。
ゲートのロックが外れて上がり始めると、影たちは再び壁の向こうの死角に消えていった。
そして静かにその死角から現れたアンダーヒルは俺の元まで歩み寄ると、
「取り乱して申し訳ありません。先ほどのことは忘れて下さい」
「いや、忘れてって言われても――」
「忘れろ」
ギクリ。
アンダーヒルの目がわずかにつりあがり、凄むように冷たくそう言い放たれる。
「なっ……!!!」
心臓が止まるかと思ったぞ。
レアだ。レアすぎる、って言うかお前そんな目付きもできたのかよ!
と俺がしゃがみこんで打ちひしがれていると、背後から小さく呟くような声で
「初めてやってみましたが、多少の効果は望めるようですね……」
と聞こえてきた。このオールラウンダーめ。
(しかしまあ……)
さっきのアンダーヒルの台詞・挙動の全てを思い出し再生する。
(……なんとかしとかなきゃな)




