(10)『諜報部』
諜報部。怪しくも妖しく自らを称する彼女は艶やかに微笑み、虚ろの敵を薙ぎ払う。
雲を掴むように霞ほども掴ませない彼女は警告する。少年の身を案じて。
「おい、だから頭出すなって」
さっきの三枚下ろし計画の時点でライフが半分ぐらいになっているシンに警告し、イカスミ投入のスタンバイを終える。
船を止めた場所は大河が枝分かれしているため、川幅が狭くなっている部分。魔法で両側を上手く堰き止められれば、上流からの水は全部もう片方の分流に流れ、即席のプールの出来上がりだ。
少しの間待機していると船首と船尾の方からほぼ同時に、
「『己が理想の前に倒れ心挫けた小心者よ、狭き門は汝を拒む』!」
「『生え出て遮れ、茨の壁』、『凍結して行く手を阻め』!」
二人の魔法が発動した。
船尾の方で巨大な茨が河底から無数に天に昇り、一瞬遅れてその茨の壁が次々凍って隙間を無くした、より堅固な壁を作り出した。
そして船首からは、流れてくる水がそこに見えない壁があるかのように分流のほうに流れていき、首尾よくギリーフィッシュらを隔離できた。刹那が使ったのは、水流や風など指向性を持った流れを操作する魔法だ。
「今だ、リュウ、シン――っておいッ!」
俺がフタを開け、投げ入れようとしていたビンが真っ二つに割られ、ガラス片ごとイカスミが水面に落ちていく。
一瞬とはいえ、手の中を鋭い刃が通り抜けていった俺が尻餅をつくと、その隙を狙ったかのように船縁に並べられていた他のビンも横一文字に斬り割られ、中身が船縁を滑って流れ出した。
無論、犯人はシンである。
「おい、こんな効率過剰重視なことする必要なかっただろッ」
「こっちのほうが早いしさ」
「俺もどうかと思うがな」
「あれ!? 僕だけ空気読めてないのか!?」
今さらか。
刹那とトドロキさんが船首と船尾から戻ってくるとほぼ同時に、魔法の影響か一旦静まり返っていた水面が再び浮き立ち始める。
その時トドロキさんが一見無防備な挙動で船縁から下を覗き込み、
「来た来た♪」
ヒュン、と高速で飛来したソレを危なげなく避けてみせる。
次の瞬間、イカスミ瓶を切断した後すぐに納刀していたシンが、抜刀術で狙い澄ましたような高速の斬撃を放つ――。
ザンッ!
頭側と尻尾側で両断されたそれは俺の足元に落ち、ビクッビクッと数拍痙攣して動かなくなった。
えらや内臓だけが通常状態ではない黒い水に染まって見えるようになった〔ギリーフィッシュ〕。
直接内臓が見えているわけではなく、内臓の形になった水が見えるのだ。内臓の内壁の輪郭だけが見えているのははっきり言ってキモいが、場所の識別さえできれば問題はない。
どうやら、想定していた通りにうまくいったらしいな。
その一匹を縄切りに、水面からさらに多くのギリーフィッシュ(パッと見は臓物の群れ)が飛び出してくる。
「後は――」
「片付けるってわけね!」
トドロキさんと刹那の号令で俺も王剣を抜き、立ち上がってシンとリュウに背を向けるように陣取って構える。隣には刹那が、つまり四方形でポジションを取って、俺はリュウと、刹那はシンと、背中合わせになったペア同士でフォローするのだ。
向かってきた数匹を横薙ぎに斬り捨てると、刹那とシンの大声の遣り取りが隣から聞こえてきた。
「シンっ。一匹逃したからお願いっ!」
「オーケィ! 任せろ、刹那!」
「また行った!」
「了解ッ、っとすまん刹那! 一匹そっち行った!」
「ふざけんじゃないわよ! 自分の仕事は責任持ってやりなさいよ!」
「なんで僕が言うと怒るんだよ!」
よくお互いに顔を見せない背中合わせで喧嘩できるな。
二人のことは無視しておいて、俺はただ王剣を振るい続ける。何せ俺の後ろはリュウなのだから、何の不安も不満もない。
「シイナ。ジブン、前は魔弾銃と魔刀使うてへんかった?」
「なんでそこに隠れてるんですか、トドロキさん」
操舵席の舵の下で体操座りをしているトドロキさんを見た瞬間、こめかみがピクッと引き攣ったのが自分でもわかった。即座に飛んできたギリーフィッシュの軌道に王剣の刃を斜めに宛がい、刃の上を滑らせるように五匹ほど操舵席の辺りに放り込む。
「なんやねんっ、気でも狂ったんか、シイナ!?」
「サ・ボ・る・な・よ」
「ウチ、ジブンらみたく強いわけやないしなぁ~♪」
五匹ほぼ同時、間髪入れずに一刀両断しておいて何を言ってるんだか。
「馬鹿なこと言ってないで手伝ってくださいよ」
「えー……」
「子供か」
本気で嫌そうな声でそう言ってくるトドロキさんにもう五匹ほどプレゼントするが、トドロキさんはそれも空中一薙ぎで全て串刺しにした。
「ウチらは諜報部の人間やし。なかなか表立って実力を見せるわけにはいかんって何度か言うたやろ?」
「またそれですか……」
ベータテストの時にも何度か共闘しているのだが、何処か手を抜いているような調子でいつも実力が計り切れていなかった。その度に言っていたのが『諜報部』云々だ。意味はないと思うが。
水音がほとんどなくなるまで十数分間、後半は比較的楽になったものの休みなしで剣を振り続けた俺たち四人は、攻撃が止むと同時にどたんと甲板に腰を下ろした。
「お疲れちゃーん! シイナはもう知っとったけど、ジブンら天才的に強いやん。≪アルカナクラウン≫やったっけ? なんや楽しそうやな~。ウチも入りたなってきたわ~♪」
結局手伝うこともなく、ずっとにまにま笑顔を浮かべて俺たちを傍観していたトドロキさんが、操舵席の下から這い出してきて尻尾をくるり。
「ま、今は諜報部所属やから無理なんやけどな~。にゃははは~♪ ところでシイナはなんでそないな格好しとるん?」
高笑いしたかと思うと、急に声のトーンを落として俺に訊ねてくる。
格好、というのはおそらくこのやたらと露出度の高い〈*ハイビキニアーマー〉のことではなく、アバターの方だろうと見当をつけ、
「よくわからないんですけど、この前のサーバーダウンの後からこんなアバターになっちゃってて……」
そう答える。
トドロキさんは形のいい顎に手を添え、思案顔でうーんと呻くと、
「もしかして相性悪い王剣使ってたんもそのせいなんか?」
「相変わらずの勘ですね……」
トドロキさんはしげしげと俺の身体を眺め回すと、さらにくるりと俺の後ろに回り「ふむふむ……へぇ」と意味深な呟きを漏らした。
何かを調べられているようで若干緊張気味になっていた俺は、トドロキさんの動向を見守りながら、無駄に重い王剣を武器ボックスに収納しなおした。
とその時、
「このこと何人知ってるん?」
突然トドロキさんがそう訊ねてきて、「え?」と訊き返す。
「せやからジブンが――“魔弾刀のシイナ”が美少女アバターになったことを知っとるんは何人おるん?」
「え、えっと……さっきトゥルムで……いや、でも誰も気付いた風はなかったから……あと知ってるとしたら――)
儚――。
思わずチラッとリュウに視線を送ると、リュウは腕組みをして、目立たないように首を横に振ってきた。
やはりシンと刹那の前で儚のことは言えないだろう。
「たぶんここにいる俺たちだけだと思います」
「よっしゃ、ほんならシイナ、ジブンこれから女言葉で喋るんやで。一人称も“私”にして、ネカマっぽくならへん程度に程々にな」
「……は?」
突然トドロキさんが言い始めたことが理解できずに間抜けな声を上げるが、トドロキさんは構う様子も見せず言葉を続ける
「フレンド登録せん限りはステータスまではわからんし、“魔弾刀のシイナ”なら外の掲示板でもそこそこ名前は売れとるやろ。そのシイナに憧れて同じ名前で[FreiheitOnline]始めた女の子って設定でどや?」
「せ、設定!? ……って、ちょ、ちょっと待ってください。なんで俺がそんな面倒くさいことしなきゃいけないんですか?」
「『何で』もなんも、無用な混乱を避けるためやん。今ジブンがどないな状況におるか分かってへんやろ。このままやとジブン、身勝手にサーバーに侵入してシステムを書き換え、普通なら不可能な女性アバターに差し換えた違法プレイヤー。実際はそんな無茶、今のROLには通らんけど、一般ユーザーにそんなん知る由もあらへんし、ただでさえいろんなトコに弊害が出てる。そのせいでサーバーダウンしたって周りに思われてもおかしくないねんで?」
皆がハッと息を呑む音が聞こえた。
その中には当然、俺の分も含まれている。
「だからか……」
突然、シンが呟くようにそう言った。
刹那がシンに振り返り、怪訝な顔で首を傾げる。そして、無言でシンに言葉の意味を問うような視線を向けた。
「シイナのことを母さんに言った時、なんか驚いてるみたいで。その後ずっと何かを考えてるみたいだったんだよ。他のROLスタッフと連絡取ったりもしてて。その時は解決策でも考えてるのかと思ってたけど、もしそうじゃないとしたら……」
「じゃあ今回のサーバーダウンの原因ってまさか――」
明言を控えるように、刹那が言葉を途中で切った。
――何者かによるハッキング――
俺でさえ読めたその言葉の先。
その場にいる全員が、間違いなく察しただろう。
「ROLから無難な通達しかなかったの、変だとは思ってたのよ。そのせいだったのね……。そういうことなら私はこっちに賛成」
刹那が、トドロキさんを指して胸の辺りまで手を挙げる。いつのまにか挙手投票制に確立されたようだが、もうそんなことは必要がなかった。
「ていうか、それしかないだろ」
俺はきっぱりとそう言い切る。
「この会話ログもまずいんじゃないか?」
シンがそう言って、刹那の挙手に応じて手を挙げた。
「まー、ウチからはこんぐらいしか言えへんけど、これは忠告言うよりは警告やしな。聞いとくべきとは我が言ながら思うで」
再び犬歯を見せたその顔に、身体中の筋肉が凝り固まったような感覚を覚える。浮き立つような、鳥肌まで立ってきた。
「スリーカーズさんって、何者なんですか?」
俺の言葉を的確に代弁するように、緊張気味のシンの声が船上に響く。
「せやからさっきも言うたやん。こんぐらいは普通のことやて。何せウチらは諜報部やから」
目を細めて、くすっと笑うトドロキさん。
「……諜報部ってなんなんで――」
「おおっと、シイナちゃん。それ以上の詮索は無しな。『真も偽も、存在も不在も、風聞も実体も、全てが嘘のようで全てが本当のような謎そのもの』。それが“諜報部”、という設定、ということにしている組織、かもしれへんねやで。あんま首突っ込まんほうがええ。これは警告やない、これ忠告な。別に強制はせえへんけど、ウチからは何も教えられんよ」
確かに今までも、トドロキさんはいつもこんな人だった。
『諜報部』とやらに限らず、その本人も曰く『真も偽も、存在も不在も、風聞も実体も、全てが嘘のようで全てが本当のような謎そのもの』なのだから、問い詰めたところでのらりくらりと躱されてしまうだろう。
トドロキさんは煙に巻くように俺たちに背を向けると、またもすらりとした白毛の尻尾をくるりと踊らせ、
「そんな怖い顔せんといてや。どうせこの層を出るまでは運命共同体。仲良くしようや、シン君、リュウ君、刹那ちゃん、シイナちゃん♪」
にま~っと口元を弓形に曲げるような笑みを浮かべた。
Tips:『魔法』
FOにおける異能力の代表格と言えるシステムであり、基本的にそれぞれの魔法固有の起動文を詠唱(発声)することで発動し、魔力を消費してその効果を適用する。以下のように光・闇・炎・水・風・土の六つの属性系統に大別され、六つの主属性系統それぞれの下に複数の派生属性が存在する。派生属性の中には複数の主属性に属する重属性も存在する。
●光属性
┗神聖属性・月属性・陽属性・雷属性・星光属性・etc……
●闇属性
┗常闇属性・夜属性・影属性・暗黒属性・虚無属性・etc……
●炎属性
┗獄炎属性・焔属性・灰属性・紅蓮属性・灼熱属性・etc……
●水属性
┗白竜属性・氷属性・霧属性・激流属性・氷華属性・etc……
●風属性
┗神風属性・空属性・嵐属性・科戸属性・天風属性・etc……
●土属性
┗覇金属性・金属性・砂属性・天土属性・冥土属性・etc……
またスキルと同様に一人までしか保有できない固有魔法も存在し、これらは主属性の分類には含まれない特殊なものとして扱われる。




