(15)『隠り世の暗黙領域-エニグマティック・サイファー-』
地中に潜む自律兵器と対する戦闘狂の自動人形。
地面下で進むその戦いの傍らで、少年たちは束の間の休息を得る。
本当に束の間の。
第一実機試験場の次に訪れた第十二実機試験場――その12m四方の狭い正方広場に配置されていたモンスター〔潜航型巡航戦車・掻潜の水色〕は、まるでリコのために誂えたようなモンスターだった。
魚雷のような全長1m程の流線形の本体を魚のようにくねらせ、地中をまるで水中のように潜航しながら地上に飛び出した瞬間に先端部に搭載された平行拡散型のレーザーユニットで攻撃してくる、断続的な一撃離脱戦術を使う厄介な自律兵器だ。その動きは速く、射撃精度も弾着の速さから極めて精確、その上この試験場の定員が先着一名までだったことも相俟って、間違いなくこのフィールドでも輪をかけて凶悪なモンスターだっただろう。
そんな掻潜の水色の唯一の敗因――もとい不運は、その一対一の相手がリコだったことだった。
生命力値は万全な上、第一試験場での熱く痺れる(?)戦闘を指を咥えて待っているしかなかった心的抑圧はかなり溜まっていたようで、リコは次こそ自分がと試験場に着くなり中に飛び込んでいった。勿論、予想はしていたから彼女の襟首を掴んで一旦物理的に止めはしたのだが、その直後には戦略官の許可も出たので放流すると相手側が可哀想になるくらい相性が悪い戦いが幕を開けたわけである。
地中が不可侵の安全地帯であることが大前提の掻潜の水色の戦闘スタイルが、ほぼ同じ地中移動能力【潜在一遇】を有するリコに通用するわけがない。いくら地中を自在に移動できたとしても、リコは右手そのものが武器として機能しているのに対し、掻潜の水色側は唯一の攻撃手段が地中では使えないのだから。
そんなわけでリコがほぼ一方的に掻潜の水色の体力を削っている間、俺たちは試験場の外に腰を下ろして半ば休憩している状況だった。
「刹那とネアちゃんは大丈夫かな……」
地中も地上も関係なく追いかけてくるリコの魔の手から逃れるように足掻く憐れな獲物――掻潜の水色に空虚な視線を向けながら、別動中の二人のことを思い出す。アンダーヒルが合流した以上、目下の問題はやはり彼女らの安否だ。
「メッセージの返答もまだありませんし、あるいは交戦中かと」
「刹那のことだから、第二のモンスターが思いの外簡単に倒せたからって他のところまで回ってそうだしね」
俺の右側に両足を抱えるように座っているアンダーヒルの報告に当たり障りのない答えを返しながら、同時に最悪の想定が一瞬頭を過る。
[DeadEndOnline]で追加されたルール『自演の輪廻』は死んだプレイヤーのステータスを初期化して、その死亡地点と同じ場所でリカバリーさせる。万に一つ、二人が負けていたとしたら場所は何処かの試験場だ。考えたくもないが、もしそんな状況になれば返信する余裕なんて欠片もない。
「あの、シイナお姉様……?」
正面から聞こえたやけに控えめな声に顔を上げると、さっきまで後ろで周囲を気にしていたはずのいちごタルトが『???』と疑問の表情を浮かべながらいつのまにか目の前に立っていて、俺とアンダーヒルの手元を覗き込んでいた。
「どうしてフィールド内でメッセージが送れてるんですかぁ……?」
「あ、そっか。えっとね……」
[FreiheitOnline]のメッセージ機能には実に不便な点があり、それは基本的に独立フィールド内で使うことはできないという仕様だ。正確にはメッセージの作成や送信の手続きはできるのだが、自分がそのフィールドを出るまでは送信処理は行われず、同様に受信処理も行われないために送受するプレイヤーのどちらか一方でもフィールド内にいるとリアルタイムな遣り取りは一切できなくなるのだ。
これはユーザー間でもかなり議論されながらも大勢としてはやはり制限緩和が強く望まれていたのだが、開発元のROLや運営委託先のEXEは一貫して必要な仕様であるというスタンスを崩すことはなかった。
「私の影魔種スキル、【隠り世の暗黙領域】の効果です」
俺から言っていいものかと迷っていると、一秒足らずの沈黙でそれを察したアンダーヒルが淡々とした口調で種明かしをしてくれた。
【隠り世の暗黙領域】は簡単に言えばフィールド内でも使える限定的なショートメッセージ機能を解放するスキルだ。スキルの保有者によるメッセージの送信とそれを受け取った相手からの返信を可能にするだけの効果だが、最初に空のメッセージ等で回線を開いてしまえば、返信用ウィンドウを閉じない限り自由にメッセージを送り合うことができる。その仕様上、スキルの保有者であるアンダーヒルを基点として経由しないと他の仲間との遣り取りができない欠点はあるが、状況報告程度なら通常のメッセージ機能と遜色ない使い方ができるため、≪アルカナクラウン≫では既に攻略や探索においてなくてはならない連絡ツールとなっていた。
「うちの教導調練隊にも影魔種の子が一人いますけど、そんなスキル初めて聞いたです」
「[空墨]ですね。影魔種を選ぶプレイヤーはほぼいませんし、このスキルはレベル800のボーナススキルですから、彼女が知らなくても無理はありません」
「は?」
いちごタルトの取り繕った笑顔が崩れ、彼女の素の驚きが伝わってくる。
「……レベル800?」
「はい。私も習得したのは比較的最近の話です」
「マジか、影魔種……」
いちごタルトの驚きも無理はない。
確かに【隠り世の暗黙領域】は他に代わるもののない固有の能力だが、プレイヤーレベルの上限が1000であることを考えると最早設定ミスと言われても疑わないだろう。そもそもこのアンダーヒルが未だに進化の条件を満たすことができずに第一進化種に留まっている時点で、影魔種系種族の成長の遅さが笑えない域に達しているのは言うまでもない。
「シイナお姉様……いちごはこれからどんな顔してあの子に頑張ってなんて言えばいいです……」
最早絶望するレベルの精神的ショックを受けていた。
何だかんだで結構仲間思いのいい子なんだよなぁ、この子。
「空墨が種族のことで悩んでいるようでしたら、私の方で力になれることがあるかもしれませんので。そのことを覚えておいてください、いちごタルト」
「変態なのになんかいい人っぽいのが判断に困るとこですぅ……」
「ある意味変質者だけどいい人だからね、この子」
「私は変態でも変質者でもありません」
やってることは結構な変質者である。
いちごタルトはともかく仲間の俺からの変質者扱いは流石に不服に思ったのか、右隣から伸びてきたアンダーヒルの手が俺の右腕に触れ、垂直に立てた指の爪がわずかに食い込む。本人は報復のつもりでやっているのだろうが、絶妙に痛みを感じる域に達していない辺りが自己主張の少ない彼女らしい。あるいは、俺に報復であるということが伝わればそれでいいのだろう、顔を上げるとそこまで見透かしたような静かな目が俺に向けられていた。
以後気を付けます。
「言わせたみたいであれなんだけど、教えちゃって良かったの?」
件のギルメンのこれからを思っているのか、居た堪れない表情で俯いてしまったいちごタルトの頭を慰め程度に撫でてやりながらそう訊ねると、アンダーヒルは見定めるようにいちごタルトの顔をじっと見つめながらも、静かにこくりと頷く。
「別に隠しているつもりはありませんし、今のいちごタルトのようにパーティを組む程度の距離感でなければ気付けるものでもありませんので。それで気付いた方にもある程度配慮した取り扱いをお願いしてはいますが」
「まあ、それもそうね」
フィールドでメッセージの遣り取りをしていても挙動だけでは普通のウィンドウ操作との区別はつかない。もしメッセージの作成画面が見えていたとしても、通常のメッセージ機能を使って送信手続きをしているだけとしか思わないだろう。そもそもフィールドに出ている時にメッセージ機能のことを意識しないからだ。
ちなみに、アンダーヒルは【隠り世の暗黙領域】を便利な連絡ツールというだけでなく、そういう細かい違和感に気付く人をさりげなく選別する餌としても利用しているらしい。抜け目がないと言うか、流石アンダーヒルと言うべきか。
「ああ、ああ、シイナお姉様、この手つき、撫で加減、さりげなく年下の私たちをこの子って年下扱いするお姉様力、シイナお姉様の世界からリアル妹の気配を感じますぅ、えへへえへへ……」
気が付くと、いちごタルトは赤らんだ頬を両手で隠すようにしながら、うっとりした表情でぶつぶつと何かを呟いている若干危ない絵面になっていた。
流石に非安全地帯でここまで緩んでいるのはまずいだろうと手を引っ込めると、いちごタルトは一瞬名残惜しそうな表情でその手の動きを目で追ったものの、すぐにハッと我に返ったように表情を取り繕う。そして、何故か素早く俺とアンダーヒルの後ろに回り込むと――
「シイナお姉様、そんなに無防備過ぎるとこの女に付け込まれるですっ」
――突然その間に割って入るように俺の右腕に抱きついてきた。
その身体の柔らかさを意識するのも束の間、押し退けられたアンダーヒルといちごタルトの視線が交錯し、アンダーヒルの方が溜め息混じりに立ち上がる。
「いちごタルト、シイナの隣に座りたいのならそう言って下さい。何も言わずに突然こんなことをされれば私でも戸惑います」
「ていうか普通に左側空いてたんだけど……」
俺の呟きを軽くスルーし、第十二試験場のゲートを背にして俺といちごタルトと向かい合うような位置に座り直したアンダーヒルはその後――――じー。
まるで遠くの景色を見るような目を俺にずっと向けてくる。
「あの……何か言いたいことでも……?」
「何でもありません」
この九ヶ月、仲間として一緒に過ごす内にアンダーヒルについて色々と理解を深めてきたが、その中で発見した癖というか、習性のようなものが幾つかある。
その一つが、今発動されている『無感情正視線』だ。
元々普段から何を考えているのかよくわからないアンダーヒルだが、トドロキさん命名のこの習性が表れている時は殊更に際立って特異な様子を見せる。
発動中は『何でもありません』『お気になさらず』以外はほぼ口に出さず、ただ相手の目をまっすぐ見つめ続ける。目を逸らしてもその視線の存在感は異様に大きく、正面から受けようものならその圧に完全に呑まれてしまう。発動条件がはっきりしていないのも厄介な原因ではあるのだが、同じ人間――それも年下の女の子とは思えない程冷めたその視線に病的な何かを感じるからだろう。
斯く言う俺も例に漏れず、あの目は少し苦手だった。ずっと見られていると、心の奥の奥まで見透かされていくような恐怖に近い感覚に襲われるからだ。
ただ当のアンダーヒルもあまり自覚がないようで、後から聞いても首を傾げるばかりでよく覚えていないらしい。トドロキさんに至っては『あの子は経験が少ないから、よう分からんことに遭遇した時に頭の中だけで処理しようとしてフリーズしてまうだけなんよ』なんて言って笑っていたが、あの目に見つめられている時にそんな可愛らしい印象を抱く余裕はなかった。
「――様っ、シイナお姉様っ! 大丈夫です?」
「あっ、えっ?」
気が付くと、いちごタルトが心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
「今、怖い顔をしていたです」
「ごめんね。ちょっと刹那とネアちゃんが心配で」
「あの性悪女狐がこんなところで無様にくたばるシーンなんて見る価値無いですっ」
つい咄嗟に誤魔化すと、いちごタルトは強く抱き締められ過ぎて微妙に痺れつつあった俺の右腕を解放してフンッと鼻息荒くそっぽを向いた。かなりわかりにくい言い方だが、一応彼女なりに二人の心配はしてくれているのだろう。アンダーヒルの無感情正視線も不意に収まり、何だかよくわからない内にさっきまで感じていた緊張した空気もなくなっていた。
雰囲気が和らいだ空気を感じ取ったのか、目線を正面に座るアンダーヒルに戻したいちごタルトはその顔をまじまじと見遣り、続けてその視線をゆっくりと下ろす。
「そう言えば、変態ストーカー」
「アンダーヒルです」
「どちらでも同じようなものですッ」
いや、同じではないだろう。
いちごタルトは地面に手をついて四つん這いでアンダーヒルに近付くと、きょとんとした表情のアンダーヒルに手を伸ばし――
「相変わらずその下は九割真裸なんです?」
――無警戒だったアンダーヒルの黒ローブ〈*物陰の人影〉の裾を指で摘んでぴらっと大胆にめくり上げた。
俺の目の前で。
一瞬――文字通り一回瞬いただけのわずかな間にアンダーヒルの頬が朱に染まる。
「テメェの変態趣味は相変わらずなんですね……」
黒ローブの下、裸体を部分的に黒色の包帯アクセサリー〈*ブラックバンデージ〉で隠しているだけの格好を見て、いちごタルトは呆れたように溜め息を吐く。
彼女だけがわかっていないのだ。その黒ローブが絶対的なステルス性能を発揮する付加スキルを持っていて、それ故に身に着けるとインナー表示が消滅してしまうというある意味呪いの装備をアンダーヒルが仕方なく装備し続けているということを。そして、普段感情の発露に乏しいアンダーヒルにとってもその姿は包帯を大量に巻き付けて尚も恥ずかしいものであるということを。
そして、十代半ばの女の子として当たり前のその感情を持ち合わせている彼女が、今の俺を正しい性別で――男として正しく認識しているということを。
「キッ――」
空気が喉を抜けるような短い悲鳴を上げたアンダーヒルは黒いローブの裾を取り返すように――――否、その黒いローブの裾に手を入れて何処からか長い銃身を持つ対物狙撃銃〈*コヴロフ〉をその下から引きずり出した。
「え、ちょっ」
「――キャアァァァァァァッ!!!」
アンダーヒルの甲高い悲鳴と共に、ゴンッと激しい打撃音が響き、事態をまともに認識する間もなく振り抜かれた金属の塊がいちごタルトを横に薙ぎ倒す。
その直後、一撃でいちごタルトを昏倒させた黒い影が更に俺の眼前にも迫っているのを認識した瞬間、同時にそれを両手で振るうアンダーヒルの表情が――混乱の余り目尻に涙まで浮かんでいる感情が視界に映り込む。
そして、目の前にその記憶を塗り潰すような火花が散り、意識が飛んだ。
Tips:『〈*物陰の人影〉』
[アンダーヒル]が保有する胴防具で、古ぼけた一枚布で構成された裾の長い黒いローブ。着用者とそのローブで素体の80%以上が隠蔽された存在個体を周囲から視覚的・嗅覚的に隠蔽する極めて強力なステルススキルを持つ。性能面では非常に強力だが、バグか仕様か着用者のレーティング制限値設定を貫通してインナー表示を消してしまう性質を持っているため、そのまま使用するとハラスメント行為に抵触してシステムによる規制処分を受けてしまう危険性がある。




