(14)『難しい漢字の人』
地上の戦いを中央高所から眺める者たちがいた。
彼らは道化を戴き、非日常の中で寓意の王冠を監視する者。
『幽墟の機甲兵器演習基地』中央管制タワー屋上――。
「クーローノースーくぅ~ん」
高倍率の双眼鏡を片手にその端に立ち、静かに眼下の地上を覗いていた黒尽くめの男[クロノス]はその背後から聞こえる間延びしたような声に嘆息を漏らした。
「あまり出歩くなと言われていなかったか、火狩」
「≪アルカナクラウン≫が気になっちゃって~」
「俺も暇や道楽で来ているわけではないのだがな……」
クロノスは双眼鏡から目を離すと、やれやれと大仰な動作で頭を振って仕方なさげに振り返り、そこに立っていた小柄な少女[火狩]に冷ややかな視線を向ける。
緑色の髪には鮮やかな光沢を帯び、その前髪の下から爛々と光る薄黄緑色の瞳を覗かせ、自信に溢れた口元には生意気な笑みを湛えている。一方で派手な造形とは裏腹に、飾り気のない服装――生体の急所と関節部分を紅色の防護板で保護する軽量戦闘服だけを纏った変わり映えのない姿には他人から見える自分の姿に興味のない彼女の性格がよく表れていた。
だがそれ故に――
「髪型を変えたのか」
――クロノスは変わり映えのない彼女の見慣れない変化を看過できなかった。
「これなら儚ちゃんと被らないでしょ~、むふふ」
火狩はその場でくるりと踊るように回り、その動きに合わせて左側だけサイドアップで結ばれた髪が流れるようにふわりと宙を泳ぐ。
「髪型が似ているくらいで、あんな恐ろしい女とお前を間違えるものかな」
「それでどうなの~? 苦戦しちゃったりしてる~?」
クロノスの皮肉を無視してその隣に歩み寄った火狩は同じように地上を見下ろしながら、のんびりとした語調でそう問いかけた。
「お前はさっきの爆発を聞いていなかったのか」
クロノスが興味なさそうに言い捨てると、火狩は感情的にむーっと頬を膨らませる。
「さっきまで儚ちゃんと決闘してたんだから仕方ないでしょ~。文句言うならあの人の相手変わってよ~ぅ」
「おいおい、無茶を言うなよ。あいにくと俺にはあの女が満足するような物なんぞ持っちゃいないんでね。お前もあんまり無理して付き合う必要はないぞ」
「あ痛ぁ」
子供に言い含めるような口振りのクロノスに額を小突かれ、火狩は唇を尖らせた。
「ふーんだ。今度儚ちゃんにクロノスよりって果たし状出してやるぅ~」
「面倒だからやめてくれ。あの女は間違いなく本気にする」
「もう決めたも~ん。それで≪アルカナクラウン≫の皆はどうなの~?」
アイテムウィンドウから出してきた毛筆と紙を手に取る火狩から目を逸らし、クロノスは再び双眼鏡を覗き込む。
「今までに倒されているのは角突、双対の二色。二人組の嬢ちゃんたちは大分強気だな、今は裁鋏の方まで足を伸ばしている。儚がご執心の少年は散敷戦の真っ最中だが、概ね順調と言えるだろうさ。ただ……」
「ただ~?」
「俺の監視に気付いているヤツが二人程いるようでな。場所までは特定されていないようだが……方向はバレている。放っておけば時間の問題だろうな」
「へ~」
急激にテンションが落ち込んだ大して興味のなさそうな声にクロノスが双眼鏡から目を離して隣を見ると、火狩は屋上の端から足を投げ出すように座り、じっとクロノスの顔を見上げていた。
クロノスの方も少女の意図を図りかねたようにただ黙って見下ろしていると、
「む~、クロノスくんも座るの~!」
またも頬を膨らませた火狩はクロノスの脛をポカポカと叩く。
「癇癪に付き合うつもりはないんだがな……」
クロノスが溜め息混じりに腰を下ろした途端、火狩は満足げにその膝に抱きつき、凭れかかるように身体を預ける。そして、楽しげに鼻歌を歌い始めた。
クロノスはフンと鼻を鳴らすと、再び双眼鏡を目に近づける。
「まだ続けるの~?」
何の気なしにそう言った火狩の言葉に、クロノスの手がピタリと止まる。
「どういう意味だ」
「この世界そのもの、[DeadEndOnline]なんてお遊び。もうBROの準備はできてるんでしょ~?」
「………………誰から聞いた?」
「難しい漢字の人~」
クロノスはパタパタと足を遊ばせる火狩を一瞥睨みつつ、無言でメニューウィンドウを操作すると、出現したシステムウィンドウから[通信]の項目に指で触れる。そして、呼び出されたプレイヤーリストから[魑魅魍魎]に通信をかけた。
聞き慣れたコール音がしばらく流れ――――ピピッ。
『ハイハイハーイ。どうしたのかな、クロちゃん。もしかして≪アルカナクラウン≫の皆さんに捕まっちゃったり?』
クロノスはこめかみに浮かぶ青筋を指で押さえながら、ウィンドウの向こうから聞こえる甲高い声の持ち主にも聞こえるように溜め息を吐く。
「冗談は止してくれ、ドクター。それより、今そっちに[スペルビア]はいるか? 直接コールはしたんだが繋がらなくてな」
『ハイハイ、いるよ、ちょぉっと待ってねぇ。ルビアちゃーん、ルビアちゃん、起きてェー。クロちゃんからラブコールだよ~』
クロノスがドタバタと聞こえてくる物音から意識を外すと、その視界に墨の細い線で『果たす』と書かれたとんちんかんな紙と満足げに笑う火狩の姿が映り込む。
「何だ、それは」
「果たし状だよ~。決闘の宣言通告のお手紙なの~ 」
「そうか。その果たし状をドクターからってことにしておいてくれたら今度何か奢ってやるぞ」
「ほんと!?」
クロノスが『ドクターより』と書き加え始める火狩から通信ウィンドウに目を戻すと、
『クロノス、何?』
ほぼ同時にその向こうから眠たげな少女の声が聞こえてきた。
「起こしたようで悪いな、スペルビア」
『んー、大丈夫。通信、した? ログなかった、から』
「それは嘘だ。それより〈*戦禍の鬼哭〉のことなんだが……」
クロノスがその名を口にした瞬間、通信の向こうから何かが組み上がるような微かな金属音が聞こえてくる。
『コレが……何?』
「ドクターに振り下ろせ」
『わかった』
通信の向こうから『なんでわかっちゃうの!? ルビアちゃん、そんな物騒なモノすぐに下ろほうぎゃああああッ!』と悲鳴が壮絶な破砕音と共に掠れて消え、数秒間完全に静まり返る。
『できた』
遂行報告は一言だけだった。
「ありがとう。それでは詳しい理由は後で話すとドクターに伝えておいてくれ」
『うん』
「それと君にも一ついいか、スペルビア」
『何?』
「あまりドクターの研究室で寝るものじゃない。女の子はね」
『心配ない。システムが守ってくれる』
「いいか、スペルビア。ドクターはそのシステムを書き換える権限と技術と前科を備えた張本人だ」
『………………………………ドクター?』
『ひっ!?』
スペルビアの抑揚のない声が恐ろしく澄んで響く。
『待って、ルビアちゃん、ぼ、僕はまだ何も――』
『まだ?』
『そ、それは言葉のあぎゃああああああっ!』
ドクターの断末魔が聞こえてきた瞬間、クロノスは通信ウィンドウを閉じて音声通信を切断した。
全てのウィンドウを閉じて一息吐いたところで、クロノスは手の中にあったはずの双眼鏡がなくなっていることに気が付いた。
「何か面白いものは見えるか、火狩」
「んー、今〔自走爆撃戦闘機・散敷の金色〕がバラバラになったところー」
「ほう、想定より早かったな」
クロノスは火狩から双眼鏡を受け取ると、再び第一実機試験場の方を覗き見る。
「うや~、バラバラのグログロだったよ。なんか爆発しちゃったみたい~。ここのモンスターって漢字の人のデザインって聞いたけど、耐火と対爆のパラメータ高くしてるんじゃないのー?」
「アレはある意味で自爆だろうさ。悲しくはドクターが精巧に造りすぎた故の災難か」
「そっか~、クロノスくんはたまによくわかんないことを言うね~」
「お前の頭が悪いだけだ」
「む~、ルビアちゃんには優しいのに~」
頭の悪い女は好かないだけだ、とクロノスが本人に言わないのは単に彼女の精神が子供だからという理由だった。
「結局、何があったの~?」
「……散敷の金色の『戦域非発電性雷電兵器』は上空の雷雲からあの角――誘雷干渉器を通して周囲のTNT弾針に落雷を流すことで成立しているんだが、その構造上、落雷のタイミングであの角が破壊されると、内部回路に落雷のエネルギーがそのまま流入する。その結果があの様だ」
火狩はきょとんとした表情で、首を傾げる。
「……光ってめちゃめちゃ速いんじゃないの~?」
「お前は光と落雷が同じものだと思っているのか。光の速度は秒速30万km、雷は数百から数万kmといったところだろう。どちらにしろ普通は狙ってやれるものではなさそうなものだがな」
「ん~、まあ難しいことはクロノスくんや漢字の人に任せるからいいや~。それより話戻すけど~。BROができたんなら無理に待たなくても――」
「儚が待つと言っているんだ。待てばいいさ。時間はたっぷりある」
クロノスに台詞を遮られたのが気に入らないのか、火狩は再び頬をぷくーっと膨らませると、跳ねるような勢いで立ち上がった。そして、クロノスに背を向けて屋上から出ていこうとする。
「そう言えば、儚との決闘……どっちが勝ったんだ?」
去り際の背中に投げかけられた問いに足を止めた火狩は振り返ることなく、フフンと楽しげに鼻を鳴らした。
「今回も、私様の勝ち~♪」
Tips:『BRO』
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