盤外編3 母殺しの娘
【飛龍穂乃花 視点】
「こんにちは。飛龍穂乃花です」
慣れ親しんだ道。
都内だが閑静な場所にたたずむ厳かな邸宅の門に気後れする事も無く、慣れた手つきでインターホンを押して名乗ると、すぐに門の鍵が開く。
「まぁまぁ、穂乃花ちゃん久しぶり! しばらく見ない間に、大きくなって」
「ご無沙汰してます、さゆりさん。春休みの間、しばらくご厄介になります。これ、父母からです」
玄関で出迎えてくださった師匠の奥様のさゆりさんに、両親に持たされた菓子折りの入った紙袋を渡す。
「ご丁寧にどうも。穂乃花ちゃんも、もう春から中学生か~。一人でよく、名古屋から東京まで来れたね」
「慣れ親しんだ道のりなので平気です。父は少し心配していましたが」
「じゃあ、ちゃんと到着したよって、マコ先生に連絡してあげないとだね。さぁ、名古屋から東京まで移動で疲れたでしょ。上がって上がって」
「お邪魔します」
玄関で靴をそろえ、家に上がらせてもらう。
「ほんと、しっかりしたお嬢さんね穂乃花ちゃんは。うちの息子の方が年上なのに、穂乃花ちゃんの方がお姉さんに見えるわ。あの子ったら、ボーッとしてるから」
「将にぃは今は?」
「あの子、今は外出中なのよ。何でも、春休みに入った早々に色々と予定があるみたい」
「そうですか……。それで、さゆりさん。師匠は?」
「ああ。主人なら書斎よ。穂乃花ちゃんが来たら、部屋に通してって言われているから、勝手に入って」
「はい。ありがとうございます」
そう言って、私は勝手知ったる感じで、2階への階段を昇り、師匠の研究部屋のドアをノックする。
「師匠。飛龍穂乃花です。入ります」
ノックの後、一拍置いて、書斎のドアを開ける。
返答もなく開けるのは本来マナー違反だが、師匠は研究に没我していると、ノックの音なんて聞こえないので勝手に入って良い事になっている。
書斎に入ると、案の定、師匠は盤の前に座って考え込んでいる真っ最中だった。
私は、その盤の対面に座る。
「……………ああ、穂乃花ですか。今、来たのですか?」
長考の末に、駒を動かそうとした所で、ようやく対面に座っている私に気付いた師匠が問いかける。
「20分前から座っていましたよ羽瀬師匠」
「それはすいませんでした。集中していたもので」
そう言って、師匠が私に謝る。
歳は50を越えたが、未だタイトル戦に登場し、初代永世八冠の称号を持つ、歴史に残る傑物の一人。
それが、私の師匠。羽瀬王毅。
「これは、先日の覇王戦第3局の72手目で飛龍覇王が歩打ちをした局面ですか」
「盤面を見て、すぐに理解するのは流石ですね穂乃花。では、ここから6手はお母さんと同じ手で進めて、その後は棋譜から外れるので、そこから穂乃花なりに指してみてください」
「わかりました師匠」
挨拶もそこそこに、盤を挟んで師弟で指す。
生まれた瞬間から、盤と駒が目の前にあった私にとっては、日常的な光景だ。
「なるほど。やはりこの手でも良くはならないですか。AIではなく人間相手なら或いは間違えてくれるかと思った作戦でしたが、穂乃花も騙せないようでは、お母さんの桃花先生に通じる訳ありませんね」
現実と同じく、挑戦者である羽瀬師匠の投了で幕を閉じた後に、師匠が短い感想をつぶやく。
「私も考えた作戦だったので、対処を知っていただけです」
「そうでしたか。さすがは、飛龍の遺伝子を継ぐ者ですね」
「……私は飛龍一門ではなく、羽瀬一門ですから」
「そうなんですよね。今でも不思議ですよ、貴方が私に弟子入りを希望したのは。飛龍一門には、穂乃花の両親と、さらに桃花先生の弟子であり、一期だけとはいえ名人を奪取した駒塔前名人がいる。どう考えても、そちらの方が恵まれた環境です」
「……甘えられない環境に身を置きたかったからです」
「それだけですか?」
見透かしたように、羽瀬師匠がニヤリと笑いながら、意地の悪い問いかけをしてる。
「弟子入りの時に話したから知ってるでしょうが」
ジトッとした目線と憮然とした表情に雑な口調は、到底、弟子が師匠に向けていい物ではない。
だが、羽瀬師匠はそんな私の態度を気にも留めない。
「ああ。公式戦で対飛龍桃花戦の戦績が最も良い私を、ボロ雑巾のように使い倒すために、私に弟子入りしたんでしたね穂乃花は」
「そんな嬉しそうな表情で言うセリフじゃないと思いますけど」
女子中学生の弟子に蔑んだ眼を向けられて、嬉しそうな羽瀬師匠は、相変わらず掴みどころが無い人だ。
この変態のことを理解するのは、未来永劫ないだろう。
「愉快で仕方が無いからですよ。私の意志を継ぐ者が、まさか宿敵の娘だなんてね」
「あなたの意志? そんな汚物はいつも、きちんと切り分けて生ごみの日に出しています。私の母殺しのために必要な物だけ残して、とっとと朽ちて消えてください羽瀬師匠」
私の目標。
棋界の化け物である母を、私の手で討つ。
飛龍の娘という、生まれながらに背負った呪いを解き、穂乃花としての、私自身の存在価値を証明するための。
「どうぞどうぞ。この老いさらばえた身で良ければ、ご存分に」
そう言って、羽瀬師匠は笑う。
まったく。
芝居がかっていて、本当にキモイ師匠だ。
「枯れたと見せかけて、逆に弟子の私から母の情報を引き出そうとしている癖に」
「穂乃花に言われたくないですね。まったく……なんで、あの両親から、貴方のような腹に一物も二物も抱えた者が生まれるのか」
利用し、利用される関係。
それが、私と羽瀬師匠の歪な師弟関係だ。
「母の素直で天真爛漫な所は、妹の雫が受け継ぎましたから、ご心配なく」
「ああ。妹さんは、子役で芸能界で引っ張りだこですものね。大女優の上弦美兎さんともドラマで共演して、光の世界を歩んでいる。姉の穂乃花とは真逆な妹さんですね」
「……そうやって、ナチュラルに人の精神を逆なでする所は、盤外戦術として勉強になります」
私は眉間にシワを寄せながら、目の前にいる汚物に嫌味をぶつける。
「そうですか。師匠として、弟子の糧になれて何よりです」
「それでは、春休みの間、ご厄介になります師匠」
「ええ。励みなさい、我が弟子よ」
腹の探り合いと嫌味の応酬の師弟での会話が終わり、不気味な笑みを交わす師匠と弟子。
「父さんただいま! あ、穂乃花も来てる! いらっしゃい」
書斎内の淀んだ空気は、突如として飛び込んできた弾んだ爽やかな声により吹き飛んだ。
「しょ、将にぃ! お、お邪魔してます」
私は、慌てて髪を手櫛で整える。
この爽やかな少年は、羽瀬将真。
私の大事な大事な人。
この人が居るから、この目の前にいる変態の門下に入ったと言っても過言ではありません。
「うん、久しぶり穂乃花」
そう言って、将にぃは笑顔で私の頭を撫でてくれる。
「ん……将にぃ。わたし、4月から中学生なんですけど」
「ごめんごめん。けど、俺にとっては穂乃花は可愛い妹弟子だから、つい……」
あ……。
そ、そんな叱られた子犬みたいにショボンとしないでください。
母性本能がくすぐられて、キュンとしちゃうじゃないですか。
「もう……仕方が無いですね。撫でるのは家でだけですよ」
「ありがとう穂乃花」
嬉しそうに将にぃが、私の頭を再度撫でてくれる。
あ……将にぃの手、大きい。
身長も前に会った時より4センチ伸びてる。
好き。私の癒し。
「穂乃花は春休み中は、家に泊まるんだよね? 父さ……あ、師匠との指導対局の合間に、俺ともVSやろうぜ」
「は、はい! じゃあ、さっそく将にぃの部屋で!」
本当に、将にぃは素直で清廉で真っすぐで、尊い存在だ。
とても、目の前にいる汚物の遺伝子を継いでいるとは思えない。
きっと、お母様であるさゆりさんと、祖母の明美さんの教育の賜物なのだろう。
私の宝物を育ててくれて、本当にありがとうございます。
「そう言えば、将真。今日はデートだったんですよね? どうだったんです?」
「え……」
汚物がニヤニヤしなが放つ言葉に、私は思わず動揺を口にしてしまう。
デート……え?
将にぃが……。
「父さん。別にデートじゃないよ。ただ、友達の買い物に付き合っただけだよ」
「休日に女の子と2人きりで出かけるならデートだと思いますけどね」
その点に関しては誠に遺憾ながら、この汚物と同意見です。
一体、何を考えているんです将にぃは。
将にぃに、そういうのはまだ早いです。
解釈違いです。
「ただ一緒に遊ぶだけだよ。春休みになったら行こうって、ずっと前から約束しててさ。明日も明後日も明々後日も、他の子と遊びに行く約束があるし」
は……? 明日も明後日も明々後日も!?
一人じゃないの?
「将にぃ……ちなみに、その遊ぶ相手も全員女の子……ですか?」
嫌な予感がしつつ、私は震える声で将にぃに尋ねる。
「うん。中2の時に一緒に学級委員やってた子と、もう卒業しちゃうお世話になった生徒会長の先輩と、奨励会の同期の女の子」
「……いずれも2人きりで遊ぶんですか?」
「うん。『他の奴も誘おうよ』って提案すると、何故かみんな怒り出すんだ。なんでだろうね?」
「…………」
くそ……迂闊だった!
考えてみれば当たり前だ。
こんなに素敵な将にぃを、周りの浅ましい雌犬どもが、見逃す訳がないのだ。
これは早急に手を打つ必要がある。
自陣の綻びを見逃すことは、そのまま負けに直結するのだから。
「……どうしたの穂乃花? 黙り込んで」
「師匠……お願いがあります」
私は、居ずまいを正し、師匠の前にきちんと正座をする。
「いいですよ。この家は、部屋が余っていますからね。内弟子として、この家からこちらの中学校に通っても構わないです。今は春休み中ですし、転校手続きも問題なく通う前に完了できるでしょう」
見透かしたように、師匠が先回りした物言いをする。
こういう所で、変に呼吸が合うのが本当……生理的に無理だ。
「……よく、私が言いたかったことを読めましたね師匠」
「やはり貴方は、桃花先生の娘ですね。こうと決めた物を手に入れるためには、手段を選ばない。しかし、両親が許しますかね?」
「何としてでも説得します。母も、今の私の歳の頃と大して変わらない時分から、師匠であった父と同居していたんですから、頭ごなしに拒否はされないはずです」
「ハハハッ。お母さんの桃花先生はそうでしょうね。けど、お父さんの方はどうでしょう? 場合によっては、私の方に苦情が来そうですね」
その予想はおそらく正しい。
お父さんはいい人なんですが、如何せん娘に対して過保護な所があります。
妹で、現在は芸能界で子役として活躍している雫はともかく、私はもう中学生なんですから、いい加減に子離れして欲しいものです。
「え! 穂乃花。春休みの間だけじゃなくて、こっちの学校に転校してくるの⁉」
「はい。学校でも家でも、よろしくお願いします将にぃ」
「やったぁ! ちょっと母さんとおばあちゃんに伝えてくるよ」
無邪気に喜んでくれた将にぃは、そう言って部屋を飛び出していった。
本当に穢れを知らない人だな将にぃは。
この兄弟子のキラキラした純真無垢さを守るためには、やっぱり妹弟子の私がそばに居て護ってあげなくちゃ。
「色々と騒々しくなりそうですね」
「ええ、師匠ありがとうございます。これから、よろしくお願いします」
一応、居候として世話になる身だ。
ここは、きちんと師匠へ感謝の意を示すのが人の道という物だろう。
「気が早いですが、お義父さんと呼んでくれてもいいのですよ?」
前言撤回。
汚物は汚物だ。
だが、
「あら、師匠にしては珍しく建設的な提案ですね。将来、師匠が前後不覚になっても、私がオシメを変えてあげますからね。お義父さん」
私は自分の目的のためには手段は選ばない。
母殺しの成就のためにも、そして最愛の人を得るためにも。
そのためだったら、汚物をお義父さんと呼ぶことだって厭わない。
「それは楽しみですね」
2つの私の望みを叶えるためのキーパーソンである、師匠であり、最愛の人の父である男が愉快そうに笑うのを無視し、私は早速、父と母に内弟子として羽瀬家にお世話になる算段に頭を巡らせるのであった。
【キャラ紹介】
〇飛龍穂乃花
飛龍家の長女
奨励会初段
羽瀬門下
関東将棋連盟所属
12歳
腹黒
母へのコンプレックスあり
ただし、好きな人に対する執着は母ゆずり
〇羽瀬将真
羽瀬家の一人息子
奨励会初段
羽瀬門下
関東将棋連盟所属
14歳
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【新作紹介】
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