最終局 師匠と弟子
「あ、師匠。おはよ」
「桃花⁉ なんでお前がこんな所に?」
旅館の中の庭園に入ろうとすると、後ろから声がかかる。
「そりゃ、師匠と同じ目的地だからでしょ」
「まぁ、そりゃそうだが。時間早すぎだろ」
間違いなく先に着くように、いつもより早めに部屋を出たのに。
「ふふっ。今日は話せないと思ってたのに得しちゃった。せっかくだから一緒に行こうよ師匠」
そう言って、桃花が腕を絡めてくる。
さては、こいつ俺の行動を読んでやがったな。
これじゃあ、先が思いやられる……。
「だから師匠呼びは……って、今はいいのか」
「そうそう、今日は将棋のお仕事なんだからいいんですよ~ 師匠~♪」
ルンルン気分な桃花にしがみつかれているので歩みが遅い。
まぁ、時間に余裕はあるはずだから大丈夫かと、桃花の好きにさせることにして、ゆっくりと庭園を巡る。
「なんか師匠って呼べて嬉しそうだな」
「だって、家じゃ誠君かパパ、保育園では園長先生呼びだから。たまには師匠と弟子に戻るのも懐かしいよね」
「結婚してもう5年だもんな」
「あ~、もう娘たちや保育園の子供たちに会いたい」
「ハハハッ、そうだな」
この5年間で色々なことがあった。
結婚して、保育園の運営を引き継いで、そして娘たちが生まれて。
「昨日の前夜祭終わりに、雫へのお乳を弟子の歩美に渡したけど、大丈夫かな?」
下の娘でまだ乳飲み子の雫のことが心配な母親の顔を覗かせながら、桃花が会場の方を見やる。
「歩美ちゃんはしっかりしてるから大丈夫だろ」
「前々から思ってたんですけど、師匠……なんで、歩美のことは、ちゃん付けな訳? 私、『桃花ちゃん』って、師匠に呼ばれたことないんですけど」
掴む腕に力を込めながら、桃花がジトッとした目線を向ける。
「歩美ちゃんは俺にとっては孫弟子だからな。ジジイ師匠の俺は、ただ可愛がればいい、気楽な身分さ」
「歩美はああ見えて結構扱いが面倒な子なんですよ。まったく……私の頃はもっとこう」
「俺に言わせれば、お前の方が明らかに手がかかる弟子だったけどな」
「だから、師匠がそうやって甘やかすから!」
自分の弟子が、師匠として苦労しているのを見るのは実に愉快だ。
いや~、長生きはするもんだな~ って、流石にこれはジジくさすぎか?
「いや、だって俺たちの仕事が忙しい時に、歩美ちゃんが娘達のベビーシッターやってくれるとか神だろ。歩美ちゃんに足向けて寝れねぇぞ俺」
「う……そこは確かに助かってるんですけど」
ちなみに、保育園の方は、一応隠居したということになっている里美元園長先生と、さゆり先生がわざわざ東京の羽瀬家からピンチヒッターとして来てくれているので、万全すぎる体制だ。
「2人とも泊まりの対局が重なると、歩美ちゃん頼みになるからな。上の娘の穂乃
花も懐いてるし」
「だからって、今の時代に、弟子が師匠の家に住み込みっていうのも」
「お前がそれを言うかね」
「私は一応、マンションの隣の部屋だったじゃないですか!」
「たしかに、家でも師匠してなきゃだから、桃花は大変かもな」
「そうですよ。本当は家の中では、四六時中、師匠とイチャイチャしてたいのに」
「ハハハッ。お、そろそろ着くぞ」
夫婦2人でキャッキャと喋りながらゆっくり歩いていたが、そろそろ目的地が見えてきた。
「えー、折角だから、このまま2人で腕組んで入ろうよ師匠~ 夫婦なんだし」
「ダメだ。そこのケジメはしっかりつけないと。じゃあ、俺が先に行くから。数分間あけてから来いよ」
「む~~」
渋々ながら桃花が組んでいた腕をほどくと、俺は一人で目的の場所へ向かった
◇◇◇◆◇◇◇
「挑戦者の飛龍誠九段。入室です」
記録係の入室記録の読み上げと共に、中津川師匠の形見の着物を翻らせ、俺は下座に座る。
盤をはさんで、これから2日間対面する相手を、手元の黄色いハンカチを見ながら静かに待つ。
『さて、名人位を獲った時のゲン担ぎをしてみたが、果たして今日の相手に通じるのか……』
そんなことを思っていると、縁側から足音が近づいてくる。
「飛龍桃花名人。入られます」
先ほどのおどけた様子を微塵も見せず、ちょっと年齢にしては可愛すぎるデザインの、黄色の袴の着物を翻す名人が上座に座った。
桃花も勝負着物を着てくるとは、相変わらず情け容赦のない弟子だよな……。
「振り駒により、飛龍名……失礼、挑戦者の飛龍誠九段の先手番となります」
すいませんね、同じ苗字で紛らわしくて……。
俺は心の中で記録係の子に謝った。
結婚する時に、苗字をどうしようとなった時に、俺の希望で稲田から飛龍に変えたのだ。
稲田になる気満々だった桃花は散々渋ったが、最終的には折れてくれた。
俺の方は、母の残した保育園を引き継ぐという我がままを通させてもらったのだから、苗字を変えるくらいお安い御用だ。
それに、将棋指しとして飛龍って苗字は強そうに見えるし。
ああ、そういえば。今日の大盤解説は折原先生だ。きっと折原先生の事だから、
『タイトルホルダーも挑戦者も同じ飛龍で解説しづらい!』とか、『これ、どっちが勝とうが、結局、飛龍夫婦に入る賞金総額変わんねぇだろ!』とか、いつもの折原節の解説を披露してくれているだろう。
そんな場面が予想されて、思わず笑みがこぼれそうになったので口元を手で覆うと、対面にいる桃花と目が合う。
『また、ここまで辿り着いたね師匠』
『ああ。お前に無残にスイープで名人位を奪われて以来だが、またこの舞台に帰って来たぞ』
振り駒が終わり、対局開始時刻となるまでのわずかな間隙の時間に、盤を挟んで目で対話する。
『もう結婚はしたけど負けないよ師匠。誰が来ようとも、しばらく八冠は堅持させてもらいます』
『そろそろ八冠一強の時代に、将棋ファンも飽きてきている所だ。なら、それを止めるのは、師匠の俺の役目だよな』
心の中でもしっかり対話で通じ合うのは、棋士の頂上決戦の場にいる棋士同士が盤を挟んでいるからなのか、はたまた夫婦の絆だからなのか。
それは俺にも桃花にも解らない。
「定刻になりました。名人戦第1局の対局を開始してください」
「「よろしくお願いします」」
最愛の人で、大事な家族で、可愛い弟子で。
そしてこれから、盤上で命のやり取りをする相手との対局が始まった。
【終わり】
これにて、『私が名人になったら結婚しよ?師匠』の本編完結です。
終わったぁぁぁ~~!!
この作品を書き始めた当初から思い描いていた最後のシーンにたどり着けて感無量です。
ラブコメだけど将棋という、作者の趣味丸出しの題材で書いて来ましたが、思った以上に多くの方に読んでいただき、また、多くの感想をいただいて幸せな作品でした。
本編は無事に投了となりましたが、番外編ならぬ盤外編をいくつか用意していますので、また落ち着いた頃に投稿します。
盤外編は今のところ、桃花と美兎ちゃんの対談の回と、桃花と歩美ちゃんの師弟関係回を考えてます。お楽しみに。
最後に、作者からのお願いです。
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★置いてってぇ~。
新作を書いたり、物語を完結まで書き切るための原動力なので、よろしくお願いいたします!
では、また次回作でお会いできるよう願っております。
バイバイ!




