第84局 おっさん同士の耳打ちとか誰得?
「それではご登壇していただきましょう。名人の羽瀬王棋、挑戦者の稲田八段です」
パチパチと大きな拍手が鳴り響く中ステージに上がり、花束を地元の子供たちから受け取り、2人並んで撮影タイム。
タイトル戦は、対局だけでなく前夜祭でも本当に忙しい。
今までは桃花が出ているタイトル戦を横で見ているだけだったが、いざ自分がステージに上る側になると、全然見える景色が違う。
しかし、俺なんかが忙しいなんて弱音を吐いてなんていられない。
何せ、もっと忙しい人がすぐ横にいるのだから。
「それでは続いて、将棋連盟会長 羽瀬会長よりご挨拶があります」
「はい。え~、一人二役で目が回る忙しさです。4月から会長に就任しました羽瀬です」
ここで、前夜祭の参加者からはドッと笑いが起きた。
羽瀬名人……いや、今は連盟会長として挨拶をしているのだから、羽瀬会長と呼ぶのが正しいのか?
最初に羽瀬先生が会長選に出ると聞いた時は、耳を疑った。
しかし、その抜群の知名度と実績、また現役の名人が会長を務めるという話題性もあって世間も大いに盛り上がり、そのまま、あれよあれよと言う間に会長となった。
「うわ、凄い撮影の列だな」
取りあえず来賓あいさつ等が終わり、しばらく歓談の時間となった会場では、羽瀬会長・名人へ来場者たちが記念撮影をせがみに長い行列が出来ていた。
「そりゃ、あっちの方が、老若男女から人気あるわな」
相手は十数期連続で名人位を保持してきた、永世名人位の資格持ち。
片や、俺の方はと言うと、挑戦者というタイトル戦のもう一人の主役であるはずなのだが、大して声もかけられない。
だがおかげで、こうして前夜祭会場にあるビュッフェが楽しめている訳だが。
「お、ローストビーフ。やっぱプロの料理人が作るのは薄く切られてて凄いな」
その場で切りたてのローストビーフを配ってくれるコーナーが、ちょうど空いていたので向かう。
きっと、桃花がこの場にいたらおかわり必須だなと思いつつ、最後の一皿を取ろうと手を伸ばすと、
「レディファーストでお譲りいただけないかしら?」
「あ、どうぞ……って、その声は!」
「あ、バレた。でも、この一枚はいただきですわ」
パクッと一口で、ローストビーフをかかったソースごと口に入れるのは、淑女ではなく食いしん坊な弟子だった。
「んぁ⁉ 西洋わさびが鼻にツーーーンと!」
「急いで食うからだバカ。あ、すいませんお水いただきます」
ちょうど通りがかったウェイターのトレイからミネラルウォーターのグラスを受け取り、桃花へ渡す。
「ごくごくっ……ぷはぁ! ありがとうございます師匠」
「お前、前日は棋叡戦の防衛戦第一局目の対局だったし、目立つから前夜祭には来ないって言ってたのに、変装してまで来たのか」
「エヘヘ。眼鏡女子の私も可愛いでしょ?」
普段とは違い、伊達メガネに三つ編みで女性物のスーツを着た桃花が、ペロリと舌を出す。
「そのスーツ、短大の入学式用に買ったスーツだろ?」
「はい。ちなみに将棋のことは全然解らないのに、将棋部門に配属されちゃった新卒新聞記者という設定です」
何だ、その将棋マンガによくいそうな設定の女キャラは……。
それで、首からゴツイ一眼レフのカメラをぶら下げてるのか。
「まぁ、それなら俺と話してても不自然じゃないか」
「ええ。おかげで周りにもバレてません」
「しかし、何でわざわざ変装までして」
「そりゃ、前夜祭には見知った顔がいた方が師匠も安心できるでしょ?」
「俺を気遣ってくれたのか?」
「いつも、師匠には私のタイトル戦に付き合ってもらってましたからね。これくらいお安い御用です」
そう言って、桃花はビュッフェのメニューを物色しだす。
「っていうか、半分は前夜祭の料理が食いたいからだろ?」
「ギクッ! いや、そんな訳ないじゃないですかー」
口では良い事言いつつ、料理に伸びる手が止まらないじゃねぇか。
相変わらず、ご馳走を目の前にすると詰めが甘い奴だ。
「変装してるから、力いっぱい食えると思って来たんだろ?」
「だ、だって、普段の自分のタイトル戦の前夜祭じゃあ、挨拶や記念撮影やらで全然食べれないんですよ! 美味しそうなご馳走がたくさん並んでるのに!」
「連盟の人が料理を取って来てくれたりするだろ」
さっき俺も、片手でつまめる料理を連盟の人が持ってきてくれていた。
「あんなんじゃ足りないんですよ! 私の食いしん坊キャラはどうせ世間にバレてるんですから、列席者の人が料理持ってきてくれてもいいのに、皆気が利かないんですよ!」
「それは、連盟から桃花先生への食事の差し入れはご遠慮いただくように通達を出してるからですよ」
後ろから、突然声をかけると見知った顔があきれ顔で立っていた。
「あ、羽瀬会長」
「撮影会はもう終わったんですか?」
「会長としての職務があると言って、ようやく解放されました」
そう言って、羽瀬会長は手に持った烏龍茶を一気に半分以上飲み干す。
「じゃあ、忙しいんじゃないですか?」
「会場にお忍び覇王がいましたからね。粗相をしないかヒヤヒヤしていたんです」
「あら、さすがに羽瀬会長の目は誤魔化せないですか」
「バレる前に、部屋に戻れよ桃花」
「は~い。じゃあ、デザート食べたら退散しま~す」
流石に名人と挑戦者が話していると、周りの目線を集める。
それを察してか、桃花は大人しく俺たちの輪から離れていった。
「まったく。デザートはしっかり食べるんだな」
「桃花先生も、中学生の頃から変わらないですね」
フフッと羽瀬会長が桃花の後ろ姿を眺めながら笑う。
「でも、桃花も18歳でもう大人です」
「今期から桃花先生はA級ですしね。来年の今頃には、間違いなく名人戦の挑戦者ですね」
「……今期の名人戦の挑戦者を前にして、もう来期の話ですか?」
「ああ、失礼。つい」
まったく、失礼な人である。
俺じゃなかったら、前夜祭の場でも相手は挑発と受け取って激怒必至案件だ。
「初めてのタイトル戦、緊張してますか?」
「ええ。正直、今すぐ帰りたいですね」
「ふっ、そこで強がってハッタリの一つも言わないのが稲田先生らしいですね。いいですね、期待が持てます」
「そりゃどうも」
奇妙な時間だ。
普通、タイトル戦の前夜祭で対局者同士が、こうして会話することなんてほぼ無いって言うのに。
とても、明日は殺し合いを演じる2人には見えないだろう。
「そう言えば、去年の今頃、稲田先生の家で2人きりで指した時に言っていましたね。来年の今頃、名人戦への挑戦者として私の前に座っていると。有言実行素晴らしいです」
パチパチと渇いた音の拍手で、羽瀬会長が讃えてくれる。
「それじゃあ、有言実行のご褒美をください」
「いいですよ。明日の第1局の戦型でもお教えしましょうか?」
「そういうブラックジョークは、会長の身空で洒落にならないから止めてください」
なんで、代々の会長はこう、好き勝手に本音でベラベラ喋るんだ……。
ちょっとは、自分の立場と言うものを弁えて欲しい。
「じゃあ一つ、羽瀬会長にお願いが」
「なんです?」
「ここで喋るにはあれなので、お耳を拝借」
「おっさん同士の耳打ちとか、誰得ではないですか?」
「俺だって、やりたくてやってるわけじゃないんです!」
そう言って、俺は羽瀬会長の耳元で手短に、とあるお願い事を伝えた。
研究会で一緒だった羽瀬先生が会長になってくれたのは、俺にとっても幸運だった。
これで、一気に事を進めることが出来る。
「なるほど……。たしかに、これは大っぴらには話せませんね」
最初は冗談めかしていたのに、俺の話に聞き入っていた羽瀬会長が、真剣な表情で呟く。
「よろしくお願いします」
明日、盤上で殺し合う相手に、俺は頭を垂れた。
それは、俺にとってのケジメでもあった。




