第80局 思わぬ落とし穴
「マコ先生これは……どうして、もっと早く相談してくれなかったんですか」
「すいません、さゆり先生。自分では大丈夫だと思っているのですが」
「大丈夫か否かは第三者の客観的な目によって判断するものです。そういった思い込みが、こうして大きなミスにつながる訳です」
「はい……」
新社会人がやらかしを上司から注意を受けるがごとく、俺は小さくなっていた。
ただ同時に、なぜ今俺は怒られているのか理解できないという、忸怩たる思いも抱えていた。
「それにしたって、これは……」
「ね? 師匠の絵ひどいでしょ」
横で、冬休みのためにボランティア保育で来ている桃花が、俺の描いた絵を見て絶句するさゆり先生に半笑いで話しかける。
「ちなみにマコ先生。これは何を書いたんですか?」
俺が提出した課題絵の画用紙のうちの一枚をツマみあげて、里美先生が俺に問う。
「何って、保育園の園庭で保育士と園児が楽しそうに鬼ごっこをしている絵です」
「私には、怪獣から逃げ惑う恐怖を切り取った絵に見えます。じゃあ、こっちは?」
「桃太郎の演劇をする園児たちです」
「私には、戦国時代の合戦絵巻に見えます。マズいですよマコ先生……これじゃあ、保育士試験で不合格になりますよ」
「なんでですか⁉ 学科もオルガンの練習も頑張ったのに!」
「それらの科目については、マコ先生は優秀です。ですが、絵はなんでこんな状態なのに、今まで放っておいたの?」
何故か眩暈を覚えたのか、里美園長先生はフラフラと壁に寄りかかりながら俺に訊ねる。
「いや、絵には自信があったので、過去問をザッと見て、これなら試験直前に過去問を数年分解けば問題ないなと思ってて」
「で、昨夜私に『俺の絵なんだがどうだ?』ってドヤ顔で過去問の絵を見せてきて、今日相談したという訳なんですよ」
桃花が、あきれ顔で事の次第を語る。
「ああ……菜々子さん、ゴメンなさい。この子の持つ闇に今まで気づいてあげられなくて……」
「なんで亡き母に謝ってるんです⁉ 里美園長先生!?」
天を仰ぐ里美園長先生に、苦虫を噛みつぶしたような顔をするさゆり先生
本当にさっきから訳が分からない。
なんで、みんな俺の書いた絵の前でそんな悲観的な顔をしているんだ?
「マコ先生。まずは、現状を知ってもらうことが先決です。ちょっと荒療治になりますが、これから園児たちにこの絵を見てもらいましょう」
「それは構わないですけど」
そう言えば、今まで保育補助の仕事では、男手という事もあり外遊びばかりで、あまりお絵描きを子供たちとしていた事って無かったんだよな。
この絵の試験も、いわば保育士となって子供たちの豊かな想像力を育むツールとして必要な訳なんだよな。
そういう意味では、当の子供たちに判断してもらうのが良いと思う。
そして、園児たちに俺の絵を見せた結果は、
「「「うぇぇ~ん! 怖いぃぃぃ!」」」
園児たち、号泣である。
「よしよし。うちの師匠がゴメンね」
俺の絵を見せられて泣いた園児を、桃花が宥めすかす。
「え……ひょっとして、僕の絵ってそんなにマズいんですか?」
「犠牲になった子供たちの泣き顔を見て、ようやく気付きましたか」
ナニコレ、ソンなバカな……
「こんな絵で、よくこの間の指宿で、『順位戦も保育士試験も準備は万端だ』みたいに私にカッコつけられましたね師匠」
「ち……ちなみに、絵の試験が不合格だったら?」
「保育士になれないですね」
さゆり先生の言葉に、目の前の世界の認知が歪む……
真っすぐ立っていられない……
「そんな……まさかこんな落とし穴があったなんて……じゃあ、エレクトーンの試験みたいに、絵の方も専門の先生に教えを請う必要があったという事ですか……」
「師匠って、あんなに料理作るのは上手いのに、案外不器用なところありますよね」
「そういう桃花の方は絵はどうなんだよ」
俺は直面した現実と、絵に対する自分と世間との認識に大きなズレがあることを受け止め切れていないため、つい桃花に八つ当たりしてしまう。
「私ですか? 課題は、ええと……園児がお遊戯しているのと、それを見守る保育士の様子ですね。ふむ……サラサラサラっと」
桃花が画用紙に色鉛筆を走らせると、ものの10分も掛からずに絵が描きあがる。
「どれどれ? ふーむ……桃花にしては面白みに欠ける絵だな。構図もありきたりだし」
「里美園長先生、判定をお願いします」
桃花の書き上げた絵を横から眺めながら感想を述べる俺を無視して、さゆり先生は里美園長先生へ合否を確認する。
「桃花ちゃん合格です」
「やった!」
「バカな!?」
桃花の一発合格に、俺は驚愕する。
「マコ先生。この試験では、独創的な発想は必要ないんです。課題として提示された条件を踏まえて、人が描き分けられているか、構図が反映されているのかを見られるんです。アグレッシブな自由を追い求めるマコ先生の絵では、何も伝わらないんです」
「そ、そんな……所詮、クリエイターの考えていることを世間に理解してもらうのは、叶わぬ夢なのか……」
「師匠って、実は面倒くさい自称クリエイター気質なんて持ってたんですね。師匠の事が大好きな私ですが、流石にその絵は要らないです」
「さぁ、じゃあまずは人間をちゃんとそれと認識できるように書く練習からですよ」
メタメタに打ち崩されて粉々になった俺のプライドに寄り添うことなく、さゆり先生が容赦なく指導を入れてくる。
こうして、俺は保育士試験の実技試験まで、みっちり絵の練習をすることになったのであった。




