第69局 合コンには弟子の許可が必要なんです
「ほぉ~、なるほど。桃花先生は2日制の対局を稲田先生の汗のしみついたタオルで乗り切っていると」
「そうなんですよ」
「桃花。それ他所の人に絶対に言うなよ」
今日は、恒例の羽瀬王棋が名古屋の我が家まで来ての研究会の日だ。
「しかし、羽瀬先生はよく、いつも通りの顔で研究会に来れましたね」
「どういう意味ですか? 私が来ると迷惑だと?」
「いやいや、そういう訳ではなくて、王棋位を失冠した直後に、奪取した相手と研究会って気まずくないんですか?」
つい先日。
3勝3敗で迎えたフルセット王棋戦第7局は、これまた激闘の末、桃花が羽瀬王棋から王棋位を奪取していた。
これで桃花は5冠となった。
「いえ別に。そんなくだらない事で、研究会で間が空いてしまう方が、よっぽど怖いですから」
「はぁ、そういうもんですか」
凡人の俺には、やはり理解できない。
「私も、羽瀬先生と指すのは勉強になりますから。それに、前回の王棋戦の最終局は、振り駒で私が先手番を取れたのが大きいですからね」
そうなのだ。
羽瀬先生が強い相手である桃花と練習対局を行う事は、同時に、桃花のレベルアップにも繋がるのだ。
これでは、敵に塩を送るような真似をしているようなものだと凡人の俺は考えてしまう。
「次は覇王戦ですか」
「覇王を私が獲ったら、名人よりタイトル保持数が多くなりますから、私が棋界序列1位ですね」
王棋戦の最終局の直前に、覇王戦の挑戦者決定戦で挑戦者の座を獲得した桃花が、ニヤリと笑う。
「それは阻止しますけどね。私のバトンタッチの計画図的に」
バトンタッチ。
羽瀬先生の口から出たワードを聞いて、横から聞いていた俺はドキリとした。
気の早いマスコミは、先日の羽瀬先生の王棋位の失冠により、桃花一強時代の到来を唱える言説も見受けられた。
「そうなんですね。あ、これ、もう無いですね。負けました」
「ありがとうございました」
二大巨頭のやりとりをこんな風に横で聞いているのが俺なんかで良いのだろうかと、いつも思いつつ、一区切りがついたようなので、俺はお茶の準備を始めようと席を立つ。
「あ、今、思いついた形があるので次局をやりたいですね。稲田先生すぐやりましょう」
「もうですか⁉ 休憩しないで良いので?」
「ええ。私の今の課題は体力面ですからね。連戦でも稲田先生を軽くひねれないと話にならない」
「王棋戦の第1局がよっぽど悔しかったんですね」
「じゃあ、お茶は私が用意しますね~」
桃花が空けた席に、俺が座る。
羽瀬先生の鋭い眼光を、俺は正面から受けて立った。
季節はもう秋に入った頃だが、この部屋だけは熱気が満ちていた。
◇◇◇◆◇◇◇
「師匠、最近は調子いいじゃん」
「その呼び方止めてくださいって言ってるじゃないですか折原先生」
B1順位戦の終局タイミングがちょうど被った折原先生と、帰宅の途についた。
前にも同じようなことがあったな。
「今期も折り返し過ぎて、今のところ師匠がB1内で全勝単独首位か」
「今期は昇級を狙います」
「言い切るね~。まぁ、師匠は去年も惜しかったからな。俺は、今のところ、残留が目標になっちまってるが」
「今期で上がっておかないと、来期は桃花がB1に来ますよ」
「うげっ! そうじゃん……来期のA級昇級枠2名の内1名はもう決まってるようなもんか」
「まだ桃花はB2なのに、取らぬ狸の皮算用ですが、まぁアイツの場合はね……」
気の早い折原先生のことを咎めつつも、タイトル五冠の桃花が、今更B2の順位戦ごときで停滞する絵が見えないというのが、身内の俺の本音でもあるので、中途半端な感じになってしまった。
「師匠としては、せめて順位戦くらいは格好いい所見せたくて必死なわけだ」
「まぁ、そうなりますかね。後、上に行ってやりたいことも出来ましたし」
「上に? なんだ、将棋連盟の理事にでもなるのか? 師匠」
「実現のためには、それも選択肢の一つです」
「え?」
ボケたつもりだった折原先生に、俺が大真面目な顔で返したので、一瞬二人の間の時が止まる。
「棋士と、あと師匠の場合は保育士になるために頑張ってるんだろ? その上、連盟の理事の仕事までやったら過労死するぞ」
「いえ。それが、やる事が増えると、かえって取り組む際の密度が濃くなって、相互に良い影響が出てます」
「へぇ~、そうなのか。まぁ、順位戦の成績も良い訳だしな」
「折原先生もどうです? 副業とか始めてみては?」
「ちょっとお前、目がギラギラしてて怖いわ。怪しい自己啓発セミナーとかにハマってたりしないよな?」
「シンプルに失礼!」
俺はただ、自分の好きを副業にすることの素晴らしさを人に説いていただけだというのに。
「まぁ、でも棋士と二足のわらじ生活なんてすげぇわ。後輩ながら尊敬する」
「いや、そんな……やりたくてやってるだけですから」
「で、話変わるけどさ。師匠の勤めてる保育園の保育士さんと合コンとかセッティングできない?」
「本当に話変わりますね」
ちょっと俺の事をヨイショしたのは、これが主目的だったからか。
「頼むよ! 棋士って出会い少ないんだからさ!」
「はいはい、考えておきます」
「いや、もっと真剣に考えてくれよ!」
悲痛な顔の折原先生が俺の腕にすがってくる。
「いや、実は保育士先生側からも、棋士との合コンを企画してくれないかとは頼まれてて」
保育士さんの世界も、今でも女性の方が圧倒的に多い職場だ。
出会いのチャンスが無いという事で、合コンの話は結構盛んで、実は里美園長先生にもそれとなく頼まれてるのだ。
「マジか⁉ そんなんやるしかないじゃん! いつにする? 来週末とかは?」
身を乗り出してくる折原先生は俄然やる気だ。
「いえ、桃花の許可が降りなくて」
「合コン行くのに弟子の許可が要る師匠って何だよ⁉」
「この場合、男女とも共通の知人が俺なので、必然、俺も合コンの場にいなきゃいけないでしょ?」
「まぁ、この場合、師匠が男女ともの幹事役ってことになるな」
「それが桃花的にはギルティ―らしいです。強行したら関係した者たちを連座で連盟に訴えると」
「五冠王様だからって、棋士の自由恋愛の棋界を奪う権利がどこにあるってんだ!」
「師匠が、率先して合コンになんて行きたがるはずがないから、それは何らかの圧力がかかった証拠だから、パワハラ案件として立件すると」
「師匠を護るために周囲を根絶やしにするとか怖いわ……権力持ったヤンデレとか最悪じゃねぇか……」
「とは言え、保育園でお世話になっている手前、むこうの依頼を断り続けるのも何だかなって感じなんですよね」
「あ! じゃあ、こうすりゃ、いいんじゃねぇか?」
その後、折原先生が提示した作戦は、およそ常軌を逸したものであった。
この人、どんだけ保育士さん合コンしたいんだと、俺はその熱意にある種の信念めいたものを感じたのであった。




