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第68局 どこで弟子の教育を間違った?

「それでは、今回の超長期戦は、最初から狙っていたのですか? 飛龍四冠」


「モグモグ、はい」


 ホテルの朝食会場の俺と桃花の席には、記者たちが何人も話を聞きに来ていた。


 普段は、朝食会場でインタビューの受け答えなんてしないのだが、長時間過ぎる対局の後だったため、対局後のインタビューが省略されていたための変則的な対応だ。


 そして、羽瀬王棋は早々に帰宅していたため、その結果インタビューは必然、桃花に集中することになる。


「持ち時間の消費も意識されてたんですか?」

「はい。いつもより一層、早指しを心掛けました。モグモグ。先に羽瀬王棋を1分将棋に追い込んで消耗させないと、私に勝ち目は無い局面でしたから。あ、納豆持ってきてくださってありがとうございます」


 食べながらインタビューに答えるのは行儀が良くないかもしれないが、今回は大目に見るしかない。


 桃花は空腹を我慢できないし、マスコミ側も何とか朝の情報番組に間に合わせるために殺気立ってるしという状況での折衷案が、この朝食インタビューだ。


「昼食のメニュー選びも、長期戦を意識して?」

「ですね。普段から、あんなに食べてる訳ではないですからね。ここ、ちゃんと記事に書いてくださいね」


「あ、ごはんおかわりお願いします。次は炊き込みご飯で。ゴマと万能ねぎのトッピングも」


「は、はい」


 姑息な世論誘導を図る桃花だったが、残念ながら、ばっちり朝食の様子も撮られているので無駄なあがきじゃないかな~弟子よ。


 と、俺は徹夜明けの胃に優しい、しじみの味噌汁を飲みながら思ったが、放っておくことにした。


「今後の羽瀬王棋との対局は、同様の時間攻めの方針を取られるんですか?」


 お! 鋭い質問を飛ばすなと思ったら、友人の記者のキョウちゃんじゃん。

 そこは、正直俺も気になるところだ。


「いえ。それだと観てくれてるファンの人や記者さんが大変なので、もうしませんよ」


 アハハッと笑う桃花に、キョウちゃんを含め、周囲の記者はホッと胸を撫でおろす。

 正直、今回の王棋戦みたいな超長時間の対局に張り付いているのは、記者も二度と御免だろう。


「今回、第1局にこの作戦を取ったのは、女の私が2日制のタイトルでも、体力的にきちんと戦えることを示すためのものです。これで、羽瀬先生も私に気兼ねなく、盤上で全力でぶん殴ってくれるでしょう」


 物騒な表現だが、実際に対局した者同士でしか感じ取れない感覚なのだろう。


「そういえば、稲田師匠が解説で仰ってましたが、体力面を飛龍四冠はかなり充実させてきたようですね」

「はい。師匠と一緒の保育園で子供たちと遊んだりして頑張りました」


「ブフォ!」


 唐突に、桃花が俺の副業の領域の話を記者にし始めて、俺は思わずしじみ味噌汁を噴き出してしまう。


「師匠と一緒の保育園……ですか?」

「師匠はあっちの方面でも先生なんですよ」


 記者連中の目線が、一挙に俺の方に集まる。

 あと、その言い方は何だかあらぬ誤解を与えそうだぞ桃花!


「いえ、先生と言っても私はまだ保育士資格は持ってなくて、その」

「え⁉ 保育園で働いているのは事実なんですか?」


「あ……」


 しまった。


 記者に色々と誤解を与えてはと、慌てて訂正に走ったせいで、保育園で働いている事は実質認めてしまっていた。


「飛龍四冠も保育園で働いているんですか?」

「私は学校の長期休み期間や早朝に時々お手伝いする程度ですけど、師匠は保育士資格を取るために頑張ってますよ」


 その後は、桃花と俺の保育園でのお仕事の様子などについて記者から、質問が飛び交った。

 桃花の新たな一面を掘り当てられた記者たちは、徹夜による疲労も忘れて、ほくほく顔で取材を終えたのであった。




◇◇◇◆◇◇◇




「ふー、食べた食べた。帯が苦しい」


「桃花。お前、なにを唐突にバラしてくれてるんだよ」


 朝食会場を後にして、部屋に向かうエレベーターホールで、満腹でお腹をさする桃花に俺は小言を浴びせた。


 なお、朝食が待ちきれないという事で、桃花は対局時の着物のままで食べていたのだ。


「ちゃんと里美園長先生たちには事前に了解取ってますよ」

「ああ、そこは了解済みだったのか」


 ここでエレベーターが到着したので、2人で乗り込む。


 先ほどのインタビューでの発言で、園側にも取材の手合いが来そうで迷惑が……と思っていたが、その心配は杞憂だったようだ。


 って、問題なのはそれだけじゃなくて!


「別に徹夜明けのテンションで記者の人たちに喋ったわけじゃないですよ。師匠には胸を張ってもらいたいなって思ったんです。弟子が出過ぎた真似をして申し訳ありません」


 珍しく殊勝な態度で、桃花が腰を折る。

 その様は、着物と袴姿なのも相まって、正式に謝罪されてる感じがして、変に居心地が悪い。


「いや、別に怒ってる訳じゃないんだ。そこは、俺から言わなきゃいけなかった事だったからな。むしろ、桃花の口から言わせて、すまなかったな」


「いいですよ。私はプロポーズも自分からガンガン言う派ですし」

「そういや、そうだったな」


 苦笑していると、エレベーターが桃花の部屋の階に着く。


「ほら、桃花。着い」


 エレベーターの開くボタンを押しながら、桃花の方を振り返ると、ふわりと着物が翻り桃花がしなだれ掛かってくる。


「桃花⁉」


 慌てて、両肩を掴んで桃花の身体を受け止める。


「すいませ……師匠。自分の部屋に戻るまではと思ってましたけど、ギリギリ……もちませんでした……」


 桃花は荒い息をしながら、不本意とばかりに笑ってみせた。


「桃花。お前、やっぱりさっきの対局のダメージが残って」


「勝負の世界……ですから。欺くなら、記者さんたちの……前でも、余裕ぶっておかないと、ブラフに……なりませんから」


 荒い息遣いで振り絞るように言葉を吐き出す桃花。

 今、抱いている肩の華奢さの通り、やはり長丁場の対局でダメージを受けていない訳が無かったのだ。


「それで、わざわざ朝食をちゃんと食べたり、記者の取材にもしっかり対応したのか」

「え、ええ。そういうことです」


「いや、やっぱり朝食は、単に食い意地が張ってただけだな」

「なんで、そういう事には気づくんですか師匠は!」


「何年、お前の師匠してると思ってんだ。ほら、肩貸してやるから部屋まで行くぞ。歩けるか?」


「師匠、私もう歩けない……抱っこ」

「……しゃあないな」


 そう言って、俺は桃花をお姫様抱っこで抱え上げる。


 幾分か疑義のある主張ではあったが、まぁ2日間以上を戦い抜いたということで、甘めの裁定だ。


「へへへっ、お姫様抱っこ」


 嬉しそうにハニかんだ笑顔で俺の顔を見上げる桃花。


「昨夏にようれんきんにかかって病院に行く時にもされただろ」

「あの時は、朦朧としてたので。だから、今回はちゃんと噛みしめないと」


「ってことはお前、今ちょっとは余裕あるだろ?」

「あ……」


 ったく。


 欲望に忠実と言うか、なんで将棋ではあんなに先を読むし、自分の手は読ませないのに、こういうのは直ぐに尻尾を出すんだか。


「ま、頑張ったから今日はいいぞ。何なりとお申し付けください、お姫様」


「な、何でもですって!?」

「何でもとは言ってねぇよ。ほら、部屋の鍵出せ」


「あん、師匠ったら俺様王子様なんだから」

「変なコントに俺を巻き込むな」


 受け取った鍵で部屋を開けると、例によって、解説の俺よりも上等な部屋がお目見えする。


「ベッドに降ろすぞ。時間ギリギリまで寝てろ。今、スポドリとか買ってきてやる」

「ありがと師匠。師匠も眠いのにゴメンね」


「お前ほどは疲れちゃいないよ。俺が自販機でスポドリ買ってくる間に着物から着替えて……って、ん? あれは」


 桃花をベッドに降ろして、着替えのために一時退散しようと思って翻った俺の視界に、執務机の上に置かれたタオルが捉えられた。


「え? ……あ! 師匠、これはその!」


 疲れ果てているはずの桃花が、ベッドから慌てて飛び上がる。


「俺が失くしたと思ってたジョギング用のタオルか。なんだ、桃花の洗濯物にでも混じってたのか?」


 使い込まれているとはいえ、蛍光色の派手なスポーツタオルなので、早々間違えることは無いはずだが。


「え、ええ! そうなんですよ! 決して、ジョギング後の師匠の汗を拭ったタオルを未洗濯の状態で持ってきた訳ではなく」


 汗をダラダラとかきながら、桃花があわあわと自供する。


「……お前、洗濯カゴから俺のタオルを盗んだのか」


「だ、だって、師匠の匂いがするアイテムが無いと2日制のタイトルなんて、とても乗り切れないんですよ!」


「開き直るな! これは立派な窃盗だぞ!」

「師匠としては、パンツを手に掛けるのは我慢した弟子の自制心を褒めたたえるべきでは?」


「だから、開き直るなっての! って、このタオルくさ! もう古いし捨てるか」


 洗濯せずに何日も経ってるから、持ってるだけで嫌な臭いが漂ってきた。


「捨てるならください! まだ、使いますから」

「使うってなんだ!?」


 どう行間を読んでも、タオルの本来用途には用いられないだろ。


「そういうデリケートな部分には目をつぶるもんですよ師匠。デリカシーがないですね」

「いや、この場合、俺が被害者だろが! っていうか、お前は早く着替えろ!」


 桃花の悲痛な叫びを背に部屋を出て、自販機に向かう道すがらのゴミ箱へタオルをダンクした。


 どこで、弟子の教育を間違ったのだろうか?

自問自答せずにはいられなかった。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 前話、500手を笑ったのだけれど、実はそれでも足りない気がしてきました。手数が一番少なくなるのは持ち時間切れるまで指さない場合。すると、二日目の18時の時点で数手で、その後4時まで10…
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