第63局 税務署って恐ろしい
「負けました」
「うっしゃ! これで沖縄旅行代が稼げた!」
「北野会長……本音が駄々洩れです」
投了して負けた直後の俺は、目の前に盤を挟んで座る北野会長に、思わずしかめっ面をする。
「うおっと、悪い悪い。しかし、本戦トーナメントで一勝しただけで、これだけ稼げるのが、覇王戦の魅力だよな」
俺に謝りつつも、北野会長は嬉しさが抑えられないのか、ニヤケ顔だ。
「会長は永世覇王の資格も持ってますから、やはり覇王のタイトルには特別な思い入れがありますか?」
「覇王戦ドリームで、20歳で獲得した初めてのタイトルだったからな。あと、賞金も一番高額で、若い頃はめちゃくちゃに遊んだな。あの時の賞金……ちゃんと貯金しとけばな……」
「せっかく、いい感じの話の方向に持って行こうとしたのに、結局はお金の話ですか」
色々と台無しである。
「プロなんだから、金にこだわるのはいいことだぞ」
「順位戦のクラスと、覇王戦の組のバランスが妙にちぐはぐな棋士とかいますもんね」
「そういう稲田くんは、かなり強くなったな。これなら今期はA級に上がりそうだな」
「まぁ、今日は会長に負けましたけどね」
「今日勝ったら、本戦の次の相手が桃花ちゃんだから、要らぬ雑念でも入ったか?」
「……別にそんな事は無いですよ」
ニヤニヤしながら聞いてくる会長から、俺は無意識に顔を逸らしながら否定の言を述べる。
「あ~、次は桃花ちゃんか。今期の俺の覇王戦フィーバーは終わりだな」
「今日は記者が入っていないとは言え、ぶっちゃけすぎです会長」
何で、今日の対局に負けた俺の方が気を使わなくてはならないのか。
「あ、そうだ。今日負けてヒマになった稲田君に、早速頼みたい仕事があるんだけど」
「もうちょっと、オブラートに包んだ言い方出来ません? 会長」
「王棋戦の第1局の現地解説よろしくな」
「……なぜ私なんです?」
「タイトルホルダーと挑戦者の両者と研究会をしてるなら、解説役で話す内容には事欠かないだろ?」
ニヤッと北野会長がいたずらっぽく笑う。
まだ今の時点では、王棋戦リーグ戦の結果が出そろっていないので、挑戦者は決まっていない。
だが、すでに王棋のタイトルを持つ羽瀬覇王・名人への挑戦者は桃花であることが前提での俺への仕事の依頼に対し、俺は先ほどのように言葉を慎むべきといった苦言は呈さなかった。
別に、北野会長の放言癖にあきれ果てたからではない。
棋士としての見立てでは、俺も同意見だったからである。
◇◇◇◆◇◇◇
そして、その1か月後。
現実に、王棋戦紅組の挑戦者決定リーグを制した桃花は、つづく白組の覇者との挑戦者決定戦も制し、王棋戦の挑戦者へ名乗りを上げた。
1日制タイトル独占で四冠の桃花と、2日制タイトルを独占する羽瀬覇王・名人四冠が、とうとうタイトル戦の場で激突することとなった。
「はぁ……王棋戦か……気乗りしないな」
「どうしたんだ桃花? 羽瀬先生相手じゃ、やりにくいのか?」
タイトル戦への荷造りを終えた桃花が、ソファに寝そべりながら、ため息交じりに珍しく弱気をこぼした桃花の発言を俺がさりげなく拾う。
やはり、相手が相手だけに、桃花もプレッシャーを感じているようだ。
師匠としてフォローせねば。
「いえ。王棋戦って2日制じゃないですか」
「そうだな」
「対局の1日目が終わると、対局者は隔離されて誰とも会えず、また、各種電子機器も取り上げられてるから、連絡も一切取れなくなります」
「助言やAIに局面をかけたりしないようにするために必要な措置だからな」
「私、師匠なしじゃマジ無理かもしれない……」
「深刻な顔でバカな事考えてるな」
心配して損した。
「私は切実に悩んでるんですよ師匠! 私は普段のタイトル戦前夜では、師匠に電話して力を貰うのが最早、ルーティン化していたんです! 勝負の世界に生きる棋士にとって、そういったルーティーンがどれだけ大切か、師匠も解るでしょ?」
「まぁ、そういうゲン担ぎをする人はいるな」
一流アスリートでも、独自のルーティン行動を取って集中力を高めるという人は多いし、勝負師という意味では縁起物というのは大事だったりする。
「という訳で、師匠。洗ってないパンツをください」
「サラッと要求したら通ると思ったのか? バカ弟子」
この弟子ダメだ。
バカなことを考えすぎて、頭がおかしくなっている。
「弟子の一大事なんですよ。黙ってパンツの一枚くらい、可愛い弟子のために献上するのが、師匠としてあるべき姿なんじゃないですか?」
「可愛い弟子は、師匠のパンツなんて要求せんわ」
「ケイちゃんは、私の気持ち解りますよね!?」
「そ、そうなんですか姉弟子!? 俺が知らなかっただけで、女流タイトル戦の時には中津川師匠から、何かしらの物を……」
「私を巻き込むのは止めてくれるかなー、桃花ちゃん」
痛ましい二次災害に巻き込まれた姉弟子はさておきだ。
確かに、自身が必須だと信じている行動が取れないというのは、かなりのディスアドバンテージだ。
「とりあえず、王棋戦の第一局は俺が解説で、同じ屋根の下にいるんだから我慢しろ」
「でも、それも第1局だけじゃないですか」
「そりゃな」
「師匠。ちゃんと日当を払うんで、2日制のタイトル戦には、全部同行してください」
「いや、だから。いい加減師匠離れを……」
「日当これだけ出します!」
手元にあったチラシ紙に、桃花はササッとシャープペンで金額を書いて俺に提示する。
「おま……こんな金額、気前のいい金持ちパパ活おじさんですら出さねぇよ」
提示された金額は、先の覇王戦の本戦で一勝した時の賞金額より多い、海外旅行に行けてしまうレベルの金額だった。
「お金ならあります!」
桃花の場合は、マジで払えちゃうから笑えないのである。
「ダメだよ桃花ちゃん。師弟でのお金のやり取りなんて」
「そ、そうだぞ桃花」
「マコ、金額見て、一瞬心が揺らいでたでしょ?」
どきっ! さすが姉弟子、鋭いな。
「そんな金額を子弟という身内の間でやり取りするなんて怪しいお金の動きをしてたら、税務署が飛んでくるよ」
「道義的な話じゃなくて、そっち!?」
「税務調査は本当に恐ろしいんだからね。私の時なんて……」
「ひえっ……」
その後、姉弟子の口から語られた税務調査の苦い思い出エピソードは、個人事業主の俺と桃花にとっては、怪談レベルのお話だった。
ただ、姉弟子の身を切る話により、桃花の日当で師匠の俺を雇うという話は、立ち消えになったのであった。
確定申告無事に終わって、解放感がやばい。
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