第60局 姉弟子との仲直り
「な~ご♪ ごろにゃ~ご♪」
「おい桃花。そんなくっつくな」
「ん、拒否します。ここ数日間の師匠成分の急性欠乏症への対処は、人道的な見地から言っても急務です。この新幹線の中では、師匠は大人しく臭い袋になっててください」
天京市での人間将棋のイベントが終わった翌日の帰りの新幹線で、桃花は隣の席でべったりと身体を寄り添わせて、俺の腕に顔をうずめている。
行きの新幹線の時とはえらい違いだ。
「あ、そうだ! ちょっと桃花、相談に乗ってくれ」
「なんですか師匠? 奥さんの私に何でも聞いてください」
「誰が奥さんじゃ」
「え、だって師匠、私に結婚しようって言ったじゃないですか」
「……あれは、酔っぱらいの酩酊状態の時の発言だから無効だ」
桃花との喧嘩のきっかけになった、あの酩酊状態での投げやりな発言のことを思い出して、俺は苦虫を嚙みつぶしたような顔になる。
「師匠ひどい! うら若き乙女の純情を弄んで! エーーン」
「いや、ウソ泣きすんな。お前もあの時は、俺が本気じゃないって分かってただろ。だからその後、怒ってたわけで」
「ちっ、なし崩しで行けるかと思ったのに……まぁ、私もあれをプロポーズに換算されるのは嫌なんでノーカンで良いでしょう」
助かった……。
もし、あの時の録音でもあったら、俺が完全に負けていた。
「それで、相談なんだけど。こうして無事に桃花とは仲直り出来たわけだが」
「知ってますか師匠? ケンカしたカップルが仲直りの後にする男女のまぐわいは最高らしいですよ」
「誰から聞いたんだその生々しい情報……そうじゃなくて、姉弟子に謝る時に桃花も一緒に居てくれるか?」
「あ~、師匠ってばケイちゃんに水ぶっかけられたんでしたっけ」
「なんでお前が知ってるの⁉」
「ケイちゃんに、後で涙ながらに語られましたから」
「まぁ、そりゃ知ってるか」
姉弟子は桃花のマネージャーなわけだしな。
さぞ、俺の悪口で盛り上がったのだろう。
「ケイちゃんと師匠のお師匠さんについての話も、だいぶ前から聞いていたんですよ。ケイちゃんは酔っぱらうと、色々語っちゃうたちだから」
「そうだったのか……」
「ケイちゃんは、『自分とお師匠さんとの事が、マコと桃花ちゃんの間に影響しちゃってて申し訳ない』って言ってました」
「そうか……」
姉弟子があの時、珍しく感情的になって泣いていたのも、自分と中津川師匠の師弟関係と俺と桃花に重ねていたからだ。
「まぁ、大丈夫ですよ。ちゃんと向こうで抜かりなく、武器は用意したんですよね、師匠?」
「ああ。気に入ってくれるといいんだがな」
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ師匠。今から出来ることは無いですから、後は帰ってからです。じゃあ、師匠。クンクンするのに専念するので、また黙ってください」
「はいはい……」
喧嘩の仲直りの代償としてはしょうがないかと諦めて、俺は新幹線が名古屋駅に着くまで、大人しく桃花の臭い袋になるのであった。
◇◇◇◆◇◇◇
「た、ただいま」
「う、うん。おかえり」
俺たちが家に帰ると、姉弟子が普通に迎えてくれた。
が、その態度はどこか余所余所しい。
まぁ、俺もなんだけど。
「じゃあ、あとはお二人で~」
「ちょ、おい! 桃花⁉ 一緒に居てくれって言ったじゃないか!」
グイグイと、俺の背中を押してくる桃花に抗議するが、
「お酒の席に未成年の私がいたらダメでしょ? じゃ、ごゆっくり~」
まっとうな理屈をつけられて、桃花はとっとと退散してしまった。
「気遣われちゃったね私たち」
「ですね。あの、姉弟子、これ」
俺は短く肯定の言葉を返しつつ、姉弟子に手に持った包みを渡す。
「わ~! これ、山形の銘酒 “ほめ上手”じゃない! しかも生酒⁉」
「今朝、酒蔵へ行って、特別に1瓶分けて貰って来たんです。それで、その……姉弟子。この間は……」
「や~ ゴメンね。つい醜態をさらしちゃって」
たははと笑いながら、姉弟子は照れくさそうに頬をぽりぽり掻く。
「醜態って意味じゃ、俺の方が酷かったですからね。桃花にも情けない姿を見せちゃいましたし」
「でも、仲直りしたんでしょ? 観てたよ、昨日の天京市の将棋まつり」
「あれ、観てたんですか姉弟子」
「ネットのコメントでは、『俺たちは一体何を観せられているんだ……』とか、『合戦で夫婦喧嘩とかスケールでけぇな』とか書かれてたわよ」
「ああああああ」
「アハハ! ね、このお酒開けよ。生酒なら鮮度が命だし」
頭を抱える俺に溜飲でも下がったか、姉弟子は上機嫌になって酒瓶の栓を抜き、食器棚から出してきた切子グラスへ酒を注いだ。
「ほい、じゃあ乾杯」
「何に乾杯なんです? 姉弟子」
「ん? そうだな~」
乾杯の名目を問われた姉弟子はしばし考え込んだ後に、グラスを掲げた。
「ちょっとだけ救われた私の初恋に」
カチンと傾けたグラスが触れあい音を立てた。
「……普通に仲直りに乾杯で良かったのでは?」
「良いんだよ。マコと桃花ちゃんのおかげで、私が救われたのは確かなんだから」
「別に俺たちは何も姉弟子にしてあげられてないですよ」
「いいんだよ。私が勝手に救われた気分になってるだけだから。ほら、もっと飲みな。今日は、朝まで付き合ってもらうよ」
姉弟子の秘めたる想い。
そして、想い人は既にこの世に居ない。
その想いは、姉弟子にとってはまるで呪いでもあったのかもしれない。
だからこそ、姉弟子は将棋から離れた。
愛する人との思い出が、あまりにも多すぎる場所から逃れるために。
「いや、酩酊するとまた新たな黒歴史を輩出しかねないので、程ほどで勘弁してください姉弟子」
「いいじゃん。たまには付き合いな、弟弟子よ。師匠との裏思い出話が話せるのはアンタだけなんだから」
「体の良い、愚痴のはけ口なだけな気がしますが……」
そう言って屈託のない笑顔で酒を注ぐ姉弟子は、その後、俺たちの師匠である中津川師匠の思い出を語って、笑って、少しだけ泣いた。
「あ、そう言えば姉でひぃ」
「にゃによ、マコぉ」
結局、姉弟子の飲むペースにあてられて、早いペースでお酒を飲んでしまった俺と姉弟子は、へべれけ状態になっていた。
きっと、中津川師匠が見たら、いい歳こいてこの弟子たちは……と呆れていることだろう。
「一つ、俺には目標が出来たんですよぉ」
「なによマコぉ~。自分で保育園をやりたいってんでしょ~?」
「それも、あるんすぅけど~ 一つ考え付いたことがあって。あ、でも桃花には内緒れふよぉ~」
「なになにぃ~? 姉弟子に聞かしぇんしゃい」
「実はぁ~~」
グイッと身体を寄せてくる姉弟子の身元に、俺はコショコショと、とあるアイデアを話した。
「うん! いいじゃないそれ! とっても良い!」
「ほんとでふかぁ~? 良かった」
「私も協力する! 姉弟子として! これぞ中津川一門の絆じゃぁ~!」
この後はどうなったのか、俺には記憶がない。
翌日は、俺も姉弟子も酷い二日酔いで、桃花に怒られながら作ってもらった雑炊をすすった。
だけど、この話をして姉弟子が我がことのように喜んでくれたことだけは、何故だかハッキリと憶えていた。




