第59局 わらわはピエンなのじゃ!
桃花の野郎……
ここで、俺の新人王戦記念対局でのトラウマ、先手角換わり腰掛銀で来やがった。
俺が、羽瀬覇王・名人の持将棋狙いを止められなかった時と同じ戦法。
言うなれば、今の俺は、新人王記念対局で後手であった羽瀬覇王・名人と同じ立場で、桃花が俺の役回りをしていると言える。
この桃花の挑発的な指し回しに、俺は正直怒りを覚えた。
まるで、『あの対局は研究し尽くしたのだろう? 見せてみろ』という上から目線での挑発なのか、或いは『私なら同じ条件でも、お前のような結果にはならない』という蔑みなのか。
これは、完全に俺に喧嘩を売ってやがる。
「我を愚弄するか!」
「強い者が勝つ。それが戦国の世の定めであろう?」
特に持ち時間は決まっていないが、観覧者のいるイベントなので基本は早指しだ。
どんどんと局面が進んでいく。
「どうじゃ! 定跡外しをしようとしたのじゃろうが、それでは甘い!」
「ほう……少しは楽しめそうよなぁ」
とは言え、俺はこの戦法について、ここ最近、散々研究し尽くしてきたのだ
誰よりも深く、悔しさと怒りを原動力にして。
定跡から逃れて、道を切り開く勇気が持てなかった自分を振り払うために。
「どうだ参ったか!」
「……そうじゃ。出来るではないか。ならば、なぜ最近のそなたは腐っておったのじゃ!」
真っすぐに、対面の矢倉から桃花が俺を見据えてくる。
少し強い風が桜吹雪として、桃花の後ろを背景として彩る。
ちくしょう……我が弟子ながら、本当に絵になるな。
「ぐ……天下の大将軍のお主には、歴史に残らぬ弱小国の城主の気持ちなぞ解らぬじゃろうて」
「そうやって一人で殻に閉じこまれると、わらわはピエンなのじゃ!」
「男には一人の時間だって必要なのじゃ」
「殿方のそういう下半身の事情は理解するが、さすがに最近、わらわを放っておき過ぎなのじゃ!」
「おま⁉ 公衆の面前でド下ネタを女子高生が言うなでござる!」
「わらわは今は、戦国時代の姫だから良いのじゃ! 戦国時代基準なら元服の歳じゃ!」
いや、姫なら余計下ネタは駄目だろ。
局面が進んで混沌としていく中で、俺も桃花も所々、武者言葉が怪しくなってくる。
なお、これらのセリフの応戦は全て、指す手をマイクで喋りつつ行われている。
「大体、放っておいた云々だって、あれはお主のためを思って」
「そういう大人扱いは要らないのじゃ! わらわはいつまでも師匠の弟子なのじゃ!」
「だから、それだと桃花の成長に」
「嫌じゃ! 嫌じゃ! どれだけ師匠がわらわを突き放そうが、わらわは師匠の側にいる!」
戦場に立つ武将としてではなく、まるでワガママ姫のように、桃花が首をブンブンと振りながら間髪入れずに、次の手を指す。
「はぁ……美しい戦姫かと思えば、お主は相変わらず子供よの……自分に真っすぐで純粋で」
「師が良かったからじゃ」
俺の珍しくストレートに褒める言葉に、桃花が胸を張って答える。
さっき、師匠だろうとすり潰すとか言ってたじゃねぇか。
「俺は、お前が思ってくれているよりずっと弱い人間なんだよ」
人間将棋の対局なのに、最早、完全に俺は武者言葉を忘れてしまっていた。
「強さだけが師匠の全てじゃないです。将棋を頑張ってて、必死で、けど保育園をやりたいという将棋以外の夢もあって、悩みつつも、いっぱい抱えてる師匠の背中を、弟子の私は側で見てきました」
「…………」
「だから、私は師匠のすぐ後ろで、師匠の背中を見続けたいんです!」
桃花が俺の玉に王手をかける。
「すぐに追いつかれる背中だとしてもか?」
「追いついたら、師匠の背中を私が押しますから」
「弟子に背中を押されて進むなんて死んでも御免だね」
桃花の仕掛けた王手ラッシュを前に、俺は冷静に玉を安全な方向に逃がす。
「何でです?」
「それだと、弟子が師匠の背中をよく見れなくなるだろうが」
桃花の王手の弾薬が果てたところで、一転攻勢をしかける。
味方駒が大きく躍動する。
「じゃあ……」
「なんで、お前の師匠なんて引き受けちゃったかね。おかげで、師匠はつらいよ」
一気に切り裂いた敵陣に、今度は俺の王手がかかる。
王手がかかって、桃花は無言で、目の前に広がる人間将棋の盤面を見渡し天を仰いだ。
「我が軍の負けじゃ」
西軍の将である桃花が投了し、人間将棋の対局は、俺の勝ちとなった。
太鼓とほら貝と観客の拍手が、仲直りした師弟を迎え入れてくれた。
「お疲れ様でした! 凄い対局でしたね。途中、お師匠さんとお弟子さんの痴話喧嘩になってましたが」
「いや、痴話喧嘩って何です⁉」
早速、勝者の俺にインタビューをとマイクを向けるミポリンは、いきなりこちらをイジッてくる。
「終盤は完全に2人の世界に入ってましたよ。正直、私たちも、中終盤は対局の内容そっちのけで、お2人の会話をハラハラしながら聞いてました。仲直りできたみたいで良かったですね師匠」
「な……」
ミポリンのニヤニヤしたインタビューに、ここで俺はようやく観客席の雰囲気に気付く。
そして、人間駒になっていた参加者の人たちからも生暖かい視線が送られていた。
しまった……つい、人前だという事を忘れて、局面に集中してしまっていて気付かなかった。
「まったく。師匠ったら、人間将棋には両軍とも全部の駒を動かすって暗黙のルールがあるのに、途中から完全に忘れてたでしょ」
ちょっと遅れて西軍の矢倉から、桃花がこちらに戻って来た。
「あ……ヤバい! そうだった!」
桃花の指摘に、俺は青くなった。
人間将棋は、参加してくれた駒の人たちを楽しませるために、必ず両軍の駒を動かすという暗黙のルールがあるのだ。
せっかく駒武者として参加したのに、自分は一歩も動かないなんて、対局に参加している気にならないからだ。
慌てて投了図を確認するが、
「あれ……ちゃんと全ての両軍の駒が動いてる」
「ちゃんとこっちでフォローしときましたから」
という事は、桃花は俺と言い合いをしつつ、俺の方の手も含めて、全ての駒が違和感なく動くように局面を誘導していたということだ。
対して、俺はそんな事、微塵も気にせずに勝ちに行って……。
結果だけ見れば俺の勝ちだが、こんなの大恥もいいとこだ。
「はぁ……背中を見せ続けるとか、大きな事言ったそばからこれかよ……」
「皆の前で言っちゃったから、もう訂正はできないですよ師匠」
頭を抱える俺の前で見せる桃花の笑顔は、いつものように混じりけの無い朗らかなものだった。
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久しぶりにエッセイを書きました。
『共働き子育て世帯の小説書きの1日ルーティーン』
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