第56局 凡人が天才に勝つには
「はぁ。毎度の三者面談か」
「すいません師匠。忙しいのに付き合ってもらっちゃって」
「いや、桃花ほどじゃないよ」
連日、俺がこんを詰めて将棋の研究をしている事を知っている桃花は恐縮するが、どう考えても、タイトル戦を抱えている桃花の方が忙しい。
「ほら、私も高校生になって、何も問題を起こしてないですから。学校に呼び出されたりしなかったでしょ?」
「いや、普通は学校から呼び出される事なんてないからな。そこは威張れる所じゃないぞ」
そう言いながら、俺は桃花のクラスの教室のドアを開ける。
「お待ちしてました。どうぞ、こちらに座ってください。稲田先生」
「そして、まさか担任の先生がこの人とはな」
「私も、高校の入学式で担任が鈴ちゃん先生だって判明した時は、嬉しさ半分、マンネリ感半分でした」
「2人とも、そういう話は本人の前でしないでください!」
腰に手を当てて、不満な感情を露わにしている鈴ちゃん先生こと、中学の桃花のクラス担任だった岩佐鈴香先生が、俺たちに苦言を呈する。
「岩佐先生は高校の教員免許も持っていたんですね」
「この学校法人は私の親族が経営してまして。教員の籍に空きが出来たので、こちらに転職して来たんです」
コホンと咳ばらいをしながら、鈴ちゃん先生が三者面談としての空気を戻そうとする。
「それでは三者面談を始めます」
「男子生徒をドロップキックしたりしてませんか?」
「あれは、私の中学教員時代でも、特に印象深いエピソードです」
「そういう風に、人の過去の失敗を何度もほじくり返すと、子供がグレるよ2人とも」
桃花が顔を赤くしながらふくれっ面になる。
実に和やかな面談である。
「冗談はさておき、桃花さんは成績面でも生活面でも問題ありません。お仕事が忙しくて出席できない日も多いですが、その点についてはこの学校では珍しくないですし、桃花さんは出席代替のレポート課題もきちんと提出してます」
「へぇ。その辺りはタッチしてないけど、ちゃんとやってたんだな」
「そりゃあ、私は優等生ですから」
えっへんと桃花が胸をはる。
「桃花さんは学園でも屈指の有名人ですが、周りの子たちにも気さくに声をかけていて友達も多いように見受けられます」
「もっと言ってやって鈴ちゃん」
「ちょっと、調子に乗りやすい所は愛嬌ですかね」
「これでよく、タイトル戦でポカをしないもんだと不思議です」
苦笑し合う師匠と担任教師は、立場は違えども、桃花を見守るという役回りという意味では一緒だ。
初対面時に、俺を警察に突き出した時の恨みは忘れていないがな。
「桃花さんはどう? 高校生活で何か困っていることはない?」
「う~ん。最近は、師匠が『もう一回、もう一回だけだから』って、師匠が私を求めてきて寝不足な事くらいですかね。師匠が私を求めて懇願してくる可愛いから、つい毎度応じてしまって」
「将棋の練習対局の相手としてな! あくまで将棋のな!」
過分に誤解を招く表現が桃花の口から飛び出したので、慌ててかぶせるように弁明するが、かえって焦っているように見えて逆効果だったようで。
「稲田先生。我が学園は、桃花さんのおかげで知名度がアップして上り調子の大事な時期なので、くれぐれもスキャンダルは止めてくださいね。本当に!」
「は、はい……って、だから心配されるような事は何もないですから!」
今年度から私立の学校法人の教諭に転職した鈴ちゃん先生は、公立中学と違って、基本的に学校間での異動は無い。
故に、学校法人の経営が傾くことは、そのまま自身が失職することにつながるので、必死さが違う。
「私の同期の学校でも、未成年者と恋仲になっちゃった教師がいて、バレて大問題になって」
その後は、運転免許の更新講習時よろしく、鈴ちゃん先生が、教え子に手を出してしまった教師の悲惨な末路について語ってくれた。
エグい話だった。
◇◇◇◆◇◇◇
「なんか気分が落ち込んできた」
「まったく。鈴ちゃん先生ったら、余計なことを師匠に吹聴しちゃって」
三者面談が終わり、学園内を俺はへこみながら歩いていた。
鈴ちゃん先生の未成年者に手を出した者のエピソードを聞いていて、身につまされる思いだった。
何でも、教職員用の研修で、この手の研修は研修動画で定期的に受講するそうだ。
教師に教え子に手を出させないために作られた研修動画があるということに、まず驚く。
「私たちは純愛なんだから、問題にならないですよね師匠」
「『私たち』って何だ! シレッと俺を巻き込むな!」
中学くらいまでは、ギリギリ、ファザコンの亜種みたいな感じで『師匠♪ 師匠♪』言っているのも許されていたが、高校生になって、徐々に体つきも大人のそれに成長してきている中で。そろそろ本気で心配されて各所に通報されかねない。
「師匠、冷静に考えてください」
「冷静に考えてるから拒否してるんだが⁉」
「私は今や将棋のタイトルホルダーです。対局料と賞金だけでも、年収は数千万円で、それに更にテレビコマーシャル等のスポンサー契約料が入ります」
「16歳の弟子に収入面では大差をつけられてることくらい知っとるわ」
「そんないっぱい稼いで、かつ自分より10歳若い穢れなき乙女を独り占めできるんですよ。冷静に考えてGO以外ないでしょ」
「……けど、お前は名人になったら引退するだろ」
「大丈夫です。引退後は、家族に迷惑を掛けない程度に、ママタレントとしてテレビに出たり、動画配信したり、講演会や書籍の執筆をして稼いできます」
「セカンドキャリア戦略が具体的すぎる!」
「その辺の話は、美兎ちゃんを通して、芸能事務所さんに相談してます。あ、もちろん棋士を引退することは伏せての上ですが」
何だか、その辺の就活をする大学生よりもキャリアプランがしっかりしてやがるな。
芸能科のある高校で、コネもあるしで、決して絵空事じゃないプランであるのが恐ろしい。
「あ、ちょっと体育館に寄ってもいですか?」
「ああ。何か用事でもあるのか?」
「ちょっとバスケ部を覗きたくて」
「そう言えば、中学のように高校では助っ人はやらないのか?」
「この高校はスポーツ科もあって、女子バスケ部は強豪ですからね。それに、身体接触を伴う競技ですから、万が一怪我でもしたら、方々に迷惑をかけてしまいますから」
少し寂しそうに桃花が笑った。
プロ棋士として、もうすぐ2年目が終わろうかという時期。
桃花にも、ちゃんとしたプロ意識は育まれているようだ。
「まぁ、体力作りのランニングは続けてるんだろ」
「はい。最近、またタイムが上がりました。あとは、保育園でちびっ子と遊ぶのも良い体力錬成になります。羽瀬先生のアドバイスをきちんと守っています」
「ああ……」
羽瀬先生の名前が出たところで、俺はまた、この間の新人王記念対局の事を思い出してしまい、チクリと胸の奥が痛んだ。
「そういえば、さゆり先生が、マコ先生は最近は忙しいのか? って何度か聞いて来てますよ。最近の師匠は、ほとんど保育園のお仕事入れてないから」
「ああ……その内な」
俺は桃花の生返事を返した。
自分は弟子に体力錬成の重要性を説いておきながら、最近の俺はと言うと、ひたすらに将棋の研究に全てのリソースを割いていた。
凡人が天才を凌駕するには、結局のところ、人より多くの時間をかけるしかないのが、将棋に限らず、あらゆる分野においての真理だろう。
そして、どうしようもなく凡人には越えられないラインというものが存在することを、この後、俺は思い知ることとなる。




