第53局 新人王記念対局の相手は
「なぁ、俺、新人王獲ったよな」
「うん。夢じゃないですよ師匠。ほら、連盟のホームページにも出てるじゃないですか」
そう言って、桃花がスマホで連盟のホームページの新人王戦の結果を見せてくる。
「そうだよな。俺、新人王獲ったよな」
「うん」
「じゃあ、何で新聞で使われてる写真が、桃花の写真ばかりなんだ?」
そう言って、俺は各紙の新聞やスポーツ新聞を放り出す。
棋戦のスポンサー様なのに何てことを! と、将棋関係者に見られたら大変に叱られるだろうが、今はそんな正論はどうでも良かった。
「それは、その……ほら、ここに師匠の顔写真も載ってますよ。ささやかに」
「マコの写真より、桃花ちゃんの写真の方が、新聞が百倍売れるからだよ」
「ケイちゃん……そんな、言いにくいことをズバッと師匠に言わないでおいてくださいよ」
新人王戦が終わった翌日、『新聞に新人王の記事が出てるぞ』と北野会長や折原七段からお祝いの言葉と一緒に連絡が来たので、勇んでコンビニに各紙の新聞を買いに走ったらこれである。
「よく撮れてるね。各社とも、着物姿で飛び跳ねて喜んでる桃花ちゃんの写真ばっかりだ。そりゃ、紙面映えするのは、地味なスーツ姿の年齢制限ギリギリ新人王の写真より、師匠の優勝に喜んでる女子高生の弟子の方が絵的に強いわ」
「どうせ俺は、どこまで行っても、桃花のオマケですよ……」
せっかく新人王を獲得したのに……。
いや、普段は将棋の新人王戦なんて大して紙面のスペースを割かれないのだから、ここまで大きく取り上げてくれているのはありがたいのだが。
『師匠の朗報に、飛龍二冠は我が事のように飛び跳ねて喜ぶ』
『感染症により不戦敗の弟子の無念を師匠が晴らす』
『師匠、年齢制限ギリギリで新人王獲得! なお賞金額は棋叡戦賞金の10分の1』
「一時は炎上しかけてたけど、無事に将棋で黙らせたね。偉いじゃんマコ。有言実行」
「体の良いイジりのネタにされてるだけに見えますが」
半笑いの姉弟子に対して、俺はボヤキながらコーヒーカップに口をつける。
「それで、師匠。新人王の記念対局は誰を指名するんです?」
桃花が、コーヒーを飲んでいる俺の顔をワクワクした顔で覗き込んでくる。
まるで、何かを期待しているかのように、目を輝かせている。
俺はプイッと桃花から目を逸らす。
「ねぇ、師匠ってばぁ」
俺が顔を背けた方に桃花が笑顔で回り込んできて、再度訊ねてくる。
しつこい。
「新人王がどのタイトルホルダーを指名するかは、100%、新人王の意志で決めることだ」
「え~、私とやりましょうよ記念対局。今までも、師弟での記念対局は前例あるじゃないですか」
「師匠が名人で、弟子が新人王を獲得したケースはな。逆のケースは絶無だ」
「だからじゃないですか。一緒に棋界の歴史に2人の名前を刻みましょ? 師匠」
「そんな珍記録なんかで名前を残したくない」
「ネット上の有志によるアンケートだと、ぶっちぎりで、将棋ファンたちは師弟での記念対局が見てみたいようだよ」
なんで、皆して俺にプレッシャーをかけてくるんだよ。
無事に新人王を獲得した、良かった良かったでいいじゃないか!
なのに、なんで俺だけこんなプレッシャーに苛まれなくてはならないんだ。
他人事だと思って、気軽に言ってくれやがって。
「雑音を振り払うには練習が一番だ。記念対局に向けての練習対局に付き合ってくれ桃花」
「はい。幾らでもやりましょう」
「桃花ちゃん嬉しそう」
張り切る桃花を騙してるようだが、俺はすでに記念対局の相手を決めていた。
悪いが、お前の師匠は小心者なんだよ。
◇◇◇◆◇◇◇
「あ~あ。本当、稲田君にはガッカリだよ」
「会長のお立場で、その発言はかなりな問題発言だと思いますが」
東京将棋会館での対局の後に、俺は会長にアポを取って、茶を飲みながら会長へ新人王の記念対局の指名について伝えた。
「だってよぉ~、稲田君と桃花ちゃんのカードだったら、スポンサー様は喜んでタイトル戦ばりに、旅館を借りて新人王記念対局を開催するって腹積もりだったんだぞ。それを、お前、フイにしやがって。ファンもガッカリだよ」
「記念対局の相手の指名は、新人王の専決事項ですから。それに、新人王との記念対局の相手は、大体が当代の名人や覇王というのが定番でしょう」
俺は素知らぬ顔で会長の嘆きを一蹴する。
「で、羽瀬を指名か。まぁ、時期的に覇王戦の直前の時期で、ちょうど予定は空いてるからな」
「そういう意味では、桃花はちょうど玉座戦のタイトル戦で忙しいですからね」
「師匠として弟子に気を使ったっていうのが表向きの理由か。まぁ、いいや。他の案があるから、そっちを進めるか」
「他の案?」
「こっちの話さね。それにしても、玉座のタイトルを獲れば桃花ちゃんも三冠で九段か。またマスコミ様が盛り上がってくれて、会長としては願ったりかなったりだ」
「棋皇戦も順当に勝ち上がってますからね。上手くいけば、今年度中に四冠ですね」
「そうなると、完全に羽瀬と桃花ちゃんの二大巨頭の時代になるな」
「そうですね」
今年度は、桃花にとってはまさに飛躍の年となった。
棋皇まで獲れば、1日制のタイトルを全て独占することになる。
「羽瀬も、棋士として一番脂がのる30代前半に桃花ちゃんが現れてくれて嬉しいだろうな。俺らじゃ、あいつのライバルにはなってやれなかったからな」
そう言って、北野会長は遠い目をしながら少しだけ寂しそうに笑って、茶飲み茶碗に口を付けた。
桃花と同じく、当時の最年少記録を次々と塗り替えながら頂点を極め、一時代を築いた羽瀬覇王・名人だが、その強さゆえに、若い頃はライバルと呼べるような棋力が比肩し得る棋士はいなかった。
「そういう意味では、桃花も棋士としては幸せなんですかね。明確な超えるべき目標があって」
「その目標に先に向かっていく師匠は、何を見せてくれるのかね?」
「所詮は記念対局ですから。けど、いい予行演習になると思いますよ。いずれタイトル戦でぶつかった際の」
「いいね~。新人王はそうやって野心たっぷりで鼻息荒くなきゃな」
新人王とタイトルホルダーの記念対局は、こちらの先手番で、非公式戦ということでタイトルホルダーの方もそんなガチでは来ない。
けど、こちとら個人的な事情で、名人になっておかなくてはならないのだ。
そのためには、試金石としてこれはまたとない機会となる。
俺の糧になってもらうぞ羽瀬覇王・名人。
そんな大それたことを考えながら、俺は会長室を後にした。




