第51局 貴方のラッキーカラーは黄色
「感想戦はこんなもんですかね」
「そうですね。ありがとうございました」
夜の帳が下り切った遅い時間に決着を告げる投了の声が響いた後に、棋士たちは感想戦を行う。
どこがターニングポイントだったのか。
別の道はあったのか? もし、あの時、こうだったならば。
プロ棋士同士の1局には、反省点や課題、場合によっては更なる高みへ上がるためのヒントといった、お宝が埋まっているかもしれないのだ。
だから、棋士たちはどんなに激しく長時間の対局の後でも感想戦は欠かさない。
基本的には、負けた者の気が済むまで。
「はぁ……こりゃ思ったより深刻だな」
対局をしていた折原七段が思わずボヤいていた。
「調子悪いんですか? 折原先生」
「そうだよ。誰かさんの弟子にボコボコにされて、タイトルを奪われた悲しみが癒えてないんだよ」
「なんかすいません」
「おまけに、師匠には順位戦で白星献上しちゃうし。あー、稲田一門にはしばらく関わりたくない」
折原先生は俺より1年先輩の棋士で、年齢も近いので、対局が終わった後にはこうして軽口を叩き合ったりもする。
「けど、流石にB1は一筋縄では行かないですね」
「鬼の棲家とはよく言ったもんだろ」
順位戦B級1組。
別名、鬼の棲家。
元A級のトップ棋士や、全盛期にはタイトルを複数期務めたレジェンドがひしめく場所であることから、三段リーグの次にキツイ場所だと言われている。
「今日の勝ち星でギリギリ首の皮一枚で可能性は残しましたけど、ほぼA級への昇級は出来なさそうです」
「なに、稲田先生。B1を一期抜けしようとしてたの? 身の程知らずだな」
「はっきり言いますね」
歯に衣着せぬ折原七段の言葉に、俺は苦笑する。
「そりゃ、俺も稲田先生も、B1の中ではかなり若手で、謂わば勢いのある若手カテゴリーだと思うけどさ。一期抜けは、それこそ若きタイトルホルダーとかじゃないと無理だって」
「折原先生だって、タイトルホルダーだったじゃないですか」
「だった……うん、そうだね。もう、新棋叡様がバシバシ、スポンサー様のお菓子のテレビCMとか出ちゃってて、もう前棋叡の俺なんて過去の人は、誰も覚えちゃいねぇよな」
「ああ……またしても、すいません」
「タイトル失冠の傷は、まだ癒えてなくて生傷のままなんだよ」
ベランメェな口調からの、急な繊細さを併せ持つとか、色々と扱いが面倒くさい人だ。
「けど、タイトルホルダーになった事のない自分にとっては、失冠の痛みすら経験してみたいと思いますけどね」
「いや、死ぬほど痛いからな!」
もう、全然慰め方が解らん。
というか、俺はそもそも、タイトルを折原先生から奪った、桃花の師匠なんだから、どう慰めようが嫌味みたいになっちまう。
「まぁ、棋叡戦ドリームでラッキーと勢いで獲ったタイトルだったって自覚はあるからな。また、一から出直しだ。そして、また飛龍二冠の前に立って、今度こそは勝つ!」
「その飛龍二冠って呼ばれ方、本人はあまり可愛くないから好きじゃなくて、桃花二冠の方が良いって言ってましたよ」
「どっちでもいいだろ、そんなの! 苦労人の森九段が手に入れた、大事な大事な棋征位を、俺の棋叡位と同じくまたもやストレート勝ちのスイープで奪取するとか、人の心とか無いのか! 師匠として指導しとけよ!」
「師匠の立場としては、誰が相手だろうと全力を出せとしか言えません」
なお、棋征戦第1局時の新聞は、森棋征の写真はちんまりとしか載らず、一面に桃花と美兎ちゃんのツーショット写真が踊っていたのは、流石に謝った方が良いような気がする。
「もうタイトル2期で、飛龍二冠は八段か。っていうか、玉座戦まで挑戦決めたから、もし玉座も獲って三冠になったら九段かよ。あり得ねぇ」
「まだ皮算用の段階ですが、桃花の場合は、七段も八段も名乗らない肩書になるかもしれませんね」
「か~、やってらんねぇ! なぁ稲田先生。気晴らしに女の子のいる店に行かねえか? 今日勝った稲田先生のおごりで」
「嫌です。桃花が待ってるので早く帰りたいんです」
「ちっ、このロリコンめ」
「ただ家に早く帰るイコール、ロリコンに繋がるのは意味が分からないですね」
折原先生のネガティブ発言を聞きながら、俺はハンガーにかけていた背広を手に取る。
9月となり夏の最盛期は過ぎたが、まだまだ暑いので、背広を羽織る気にはなれない。
「今日くらい付き合えよ~ 師匠として、タイトル失冠後で不調の俺の心のケアをしろよ」
「師匠にそんな仕事は含まれていません。じゃあ、お疲れさまでした~」
そんなアフターサービスがあったら、俺のスケジュールは桃花の対局相手のカウンセリング業務で埋まってしまう。
『薄情者~』という折原七段の声を背に、俺は対局場を後にした。
今の俺には、色々とやることがあるのだ。
◇◇◇◆◇◇◇
「さて。明日の準備は出来たっと」
スーツケース等の荷造りを終えると、寝るまでに若干の隙間感が生まれたので、簡単な詰将棋本を開いて眠気を誘わせる。
「ししょう~ 入っていいですか?」
「どうした桃花。自分の部屋に戻ったんじゃないのか?」
そろそろ寝ようかという時間なのに、桃花がパジャマ姿で書斎に入って来た。
「師匠は、明日は関西将棋会館で対局ですよね?」
「ああ。桃花も、明日は東京で棋叡戦の就位式だろ?」
「はい。本当は師匠の応援に行くつもりだったのに……東京将棋会館が会場だったら、就位式の前後に応援に行けたのに」
桃花は、本当に残念だという風に指の爪を噛んでいる。
「いや、桃花。来なくていい」
「何でですか⁉」
「新人王戦の決勝に出る師匠を、弟子が応援するって図式が恥ずかしいからだ」
しかも弟子はタイトルホルダーで二冠。
現在、複数冠持ちは桃花の他には羽瀬覇王・名人しかいないので、桃花は現在、棋士の序列2位に躍り出ている。
タイトルを2期獲得して段位も八段に昇段し、いやらしい話だが、収入は俺より桁が一つ上だろう。
「師匠。それでも私は関西に向けて応援のオーラを飛ばします」
「就位式はスポンサーのお偉いさんがいらしてるんだから、ちゃんと挨拶とか聞いておけよ」
「私は、明日の就位式では棋叡戦の第3局で着た着物で出席しようと思ってます」
「ああ、あの黄色の袴のか」
既にタイトル戦に何度も登場している桃花だが、あの黄色の袴の着物は覚えている。
着物の色に合わせて、ヒマワリの花束をサプライズで渡したわけだし。
「はい。あの着物は私にとって特別なものですから」
「初タイトルを獲得した縁起物ってことか?」
「それもありますけど、師匠との大切な思い出ですから。という訳で、はい。これを持って行ってください」
「これは?」
桃花から渡されたのは黄色いハンカチだった。
「明日は、このハンカチを一緒に連れて行ってください」
「いや、黄色いハンカチって、明日着るスーツに全然合ってな」
「持って行ってください。いいですね?」
「はい……」
弟子の気迫に負ける弱い師匠の俺は、言われた通り、明日の荷物カバンに貰った黄色いハンカチを入れるのであった。




