第49局 師匠のお世話できて嬉しい
「師匠、私は怒っています」
「お、おう。悪かったな、ぎっくり腰で迷惑かけて」
棋聖戦第1局の翌日の新幹線の中で、俺は桃花の横の席に問答無用で座らされていた。
今回は、静岡で名古屋から近くて、新幹線の時間が短くて助かった。
なお、美兎ちゃんは別の仕事があるとかで、前日の夜のうちに出立していた。
「腰、大丈夫ですか? 師匠」
「ちょっと新幹線の振動が腰に響いてキツイな。っていうか、桃花は怒ってるって言ってるけど、俺の事を気にかけてくれてるんだな。ありがとう」
俺のことを何やかんや心配してくれている桃花の優しさは、素直に嬉しい。
「そ……そうやって、話を逸らさないでください」
「あの時も、俺が困ってると思ったから、桃花は美兎ちゃんに連絡してくれたんだろ? ちゃんと冷静に状況を見てくれてたおかげだ。大人でも、余裕がない時にそういう心配りが出来る人は、そう多くない。立派になったな桃花、嬉しいよ」
「でしょう? 私は大人のレディになってるんですよ。だから」
「師匠としては、弟子が大人になっていくっていうのは少し寂しい気もするがな」
「あ、私はまだ現役JKで子供ですから、まだまだ手のかかる少女です」
レデイになったり、少女になったり忙しいな。
とは言え、高校生っていうのはそういうお年頃なのかもな。
大人みたいに扱われたくもあり、まだまだ子供で居たいという狭間で揺れ動く。
「それにしても、その腰だと家に帰っても寝ておいて貰うしかないですね」
「そうだな」
「じゃあ、私が師匠の家に通い妻してあげますね」
「いや、通い妻って……こっちに引っ越してきた日から、毎日、俺の部屋の方に入り浸ってるだろ」
「でも、師匠って家の事、何でも出来ちゃう人じゃないですか。だから、師匠のお世話できるの嬉しい」
通い妻という言い方には抵抗があるが、ふへへっと笑って、特に俺が取りなさなくてもセルフでご機嫌になってくれているからありがたいので、黙っていよう。
姉弟子も長期出張で不在だから、生活に困るのは確かだし。
「じゃあ、悪いが頼むな」
「うん」
そう言って、桃花は嬉しそうに俺の横でほほ笑んだ。
◇◇◇◆◇◇◇
「師匠、枕元にスマホ置いときますね」
「ありがとう」
「師匠、スーツケースの中身の汚れ物はこちらで洗濯しておきますから」
「すまんな」
「師匠、エアコンは効いてますか?」
「ああ。布団をかぶるとちょうど良い」
帰宅した後の桃花は、俺の世話を甲斐甲斐しく焼いてくる。
桃花は一人っ子で下の兄弟はいないが、バスケ部の助っ人をしたりと、存外面倒見が良い方なのかもしれない。
「あ、師匠、トイレですね。一緒に入って介助しますから」
「そこまでは要らんわ!」
「大丈夫です。歳の差夫婦で、私の方が師匠を将来的に介護する可能性が高いんですから、今のうちに慣れておかないと」
「何十年後の話をしとるんじゃ!」
ただ、ちょっと母性が暴走しちゃってるかな。
「食欲はありますか? 野菜スープ作っておきましたよ」
「ああ、いただこうかな」
「野菜スープだけじゃ味気ないと思って、カルボナーラ作ろうとしたらスクランブルエッグになった……」
「ああ、カルボナーラは火加減がシビアだからな。最初は皆、それやるんだよ」
ショボンとしている桃花に、笑いながら桃花の作ってくれたカルボナーラを食べる。
なお、腰が痛いので、椅子には座らず立って食べた。
「そんな張り切らなくても良いのに」
「日頃、お世話になってるんですから、こういう風に恩を返せるのが嬉しいんです。自分の料理の下手さにちょっと凹みましたが」
「カルボナーラは難しいからな。今度、簡単なパスタ料理から教えてやるよ」
「え~、でも師匠が作ってくれた方が美味しいし」
先ほど、失敗した直後なせいか、桃花は弱気な発言をする。
将棋の盤の上の潔さとは真逆である。
「今日みたいに俺が作れない日もあるだろ」
「その時は食べるのを我慢します」
いや、食いしん坊の桃花には無理だろ。
「野菜スープだけじゃ、さすがに将来的に結婚した時とかに困るぞ」
「え……師匠って料理上手だからてっきり、結婚しても台所は俺の縄張りっていうタイプかと思ったのに」
「ん~、他の人に作ってもらった料理って、それだけで美味しいからな。全く料理できない人との結婚は嫌だな」
「マジですか……じゃあ、頑張らないと。師匠、夏休みですし私に料理を教えてください」
「ああ、いいぞ」
「モチベーションアップのために新しいエプロン買わないと」
いそいそと、スマホのネット通販を眺めている桃花を眺めていると、『エプロン』というキーワードで、あることを俺は思い出した。
「しまった! 明日は、保育園のバイトの日だった!」
明日は、保育園の早朝バイトのシフトを入れていたのをすっかり忘れていた。
「え、でも師匠。その腰じゃ、無理じゃないですか?」
確かに、今日一日大人しくしていたくらいでは、腰は回復しそうにない。
「いや、少数の保育士先生だけじゃ朝の喧騒をさばけない。痛くても行かないと」
「師匠、冷静になってください。そんな腰で、幼児が抱き着いてきたりしたら、師匠の腰は今度こそジエンドですよ」
「そうなんだけど、社会人としてそこは……」
「師匠。じゃあ、こうしましょう」
そう言って、桃花はとある提案をした。
◇◇◇◆◇◇◇
「待て待て~」
「きゃあきゃあ」
園庭で、桃花が園児たちと楽しそうに鬼ごっこをしているのを、俺は園内から眺めていた。
「桃花ちゃん、さすが若いから元気ですね」
「さゆり先生、すいませんご迷惑をおかけして」
「いえいえ。保育士に腰痛はあるあるですから。お互い様ですよマコ先生。私はむしろ、事務作業をマコ先生に手伝ってもらえてラッキーです」
園庭が見える場所の棚にノートパソコンを置き、俺はさゆり先生から頼まれた、行事に関するお知らせのたよりを作成していた。
今の俺は、ぎっくり腰で力仕事も出来ない、ミジンコ以下の戦力なのでこれ位しかできないのが本当に申し訳ない。
「桃花がちょうど学校が夏休みに入っていて助かりました」
「子供たちも、テレビで観たことあるお姉ちゃんと遊べて嬉しいみたいですよ」
年中長の子たちだと、もう記憶もあるし、テレビのニュースなどで観ていて、桃花のことは知っているようだ。
「ねぇねぇ桃花姉ちゃん。今日は着物じゃないの?」
「着物じゃみんなと遊べないからね。どう? お姉さんのエプロン姿似合う?」
「うん、似合ってる。可愛い」
「ありがとー、勇星くん。このエプロンは、ししょ……マコ先生から借りたんだよ」
「ねぇ、桃花姉ちゃん。もし僕が大きくなって、桃花姉ちゃんより背が高くなったら、その……その時には僕と結婚してくれる?」
「あー、ゴメンね。お姉ちゃん、もうマコ先生と結婚するのが決まってるから無理なんだ」
こちらからは、園児たちと何を話しているのかは分からないが、桃花が園児たちの目線に合わせて話をしている。
園にも何度か遊びに来ているので、桃花も子供たちとの接し方をつかんでいるようだ。
「保護者さんたちも、桃花ちゃんが園で出迎えてくれてビックリしてましたね」
「流石に、連日ニュースで取り上げられてるだけあって、知名度は抜群ですね。俺なんて顔が地味なせいか、テレビにもちょくちょく出てるのに、大して声をかけられないです」
「ふふっ。今度、桃花ちゃんとマコ先生には将棋のお話を子供たちにしてもらいましょうかね」
「ああ、それはいいですね。」
俺自身が、子供の頃に、この保育園で将棋に出会ったのだ。
別にプロになるくらい強くなって欲しいというわけではなく、一人でも多く、将棋の魅力に気付いてくれる子がいるといいなという感じだ。
「あ、でもプロ棋士の方に依頼するなら、本来は正式に連盟に講師依頼してとかなんでしょうか?」
「本来はそうですけど、連盟には内緒でやっちゃいましょう。これも、こちらのバイトの仕事の範疇だということにして」
「フフッ。マコ先生、悪い人ですね」
「弟子の桃花には内緒にしてくださいね、さゆり先生」
2人で笑い合っていると、ふと視線を感じ、園庭を見やると桃花がジトッとした目線を俺に向けていた。
いや、ちゃんと仕事の話をしていただけだからなと、俺はこの後、桃花に言い訳をすることになった。
あと、勇星くんから何故か、「マコ先生なんて嫌い!」と言われてしまった。
なぜだ……




