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第48局 盛り上がってるところ悪いんだけど……

「はぁ……」


 俺は足取り重く、桃花のいる宿の部屋に向かっていた。


 前夜祭が終わって桃花が会場を後にすると、速攻でスマホにメッセージが桃花から飛んできていたのだ。


「今すぐ部屋に来て」


と。


 これは、桃花にみっちりと美兎ちゃんとのやりとりについて、根掘り葉掘り尋問を受けるパターンだ。


 ため息も出るというものだ。


 とは言え、明日、棋征戦第1局を迎える桃花のメンタルのためにも、わだかまりは残さない方が良いだろう。


 となると今宵は、師匠として桃花のサンドバッグになるしかない。


 師匠が弟子のサンドバッグになるって、地球上に今まで使われて来なかった日本文なのでは?


「入るぞ桃花」


 そんな現実逃避気味なことを考えながら、俺は桃花の部屋の前でノックと声掛けをして桃花の部屋に入る。


 部屋の中は、思った以上に片付いていた。


「師匠。そこ座って」

「はい」


 俺は大人しく、桃花が指すソファに座らされる。


 てっきり床に正座させられるかと思っていたがと考えていると、俺の股の間に桃花がちょこんと座る。


「おい、桃花」


「前はよくこうやって座ってた」


 そう言って、桃花はソファの上で体育座りをして背中を俺に預ける。


「中学卒業する前後辺りから、さすがにやらなくなってただろ」

「いいの。今日は特別」


 どうも桃花の方でも、タイトル戦の直前だと俺の対応が甘くなるということを掴んでいるっぽいな。


「…………」


「…………」


 何とも言えない静寂が、しばらく部屋の中を包む。


「前は、この体勢でよく将棋を指したな」


 沈黙に先に耐えられなくなったのは俺の方だった。


「そ、そうですね。1台のパソコンで交互に指すには、この体勢が効率が良いからと、私が駄々をこねて」


「他所でやってないだろうな? こんなはしたない真似」

「しませんよ! 師匠だけに決まってるじゃないですか!」


 いや、心配するポイントが違うんだが。

 まぁ、いいや。


「ねぇ師匠。私って重い女なのかな……?」


「ん? そりゃ重いだろ。もう高校生なんて大人と変わらない体重だし」


「師匠、そっちの意味じゃなくて! 私の好意が重いんじゃないかって話です……」

「なんだよ藪から棒に」


 体育座りをした桃花の身体が、少しだが震える。


「ステージの上から、師匠が美兎ちゃんと何か話し込んでるのを見て、私気が気じゃなくて」

「あれは、美兎ちゃんと桃花の話をしてただけだよ」


「本当ですか? って、そもそも、こうやって疑うのが重いんですよね……」

「別に、お前の重さなんて変わらないよ。ほれ」


「わわっ! 師匠⁉」


 目の前にいる桃花の脇をつかんで、俺はソファに座ったまま高い高いする。


「ちょ! 師匠、脇! こしょばゆい!」


 急に脇を触られてくすぐったかったようで、桃花は身体をよじって、俺の手から抜け出そうとする。


「あ、こら暴れるな、あぶな!」


 スポーツジムでもっと思いバーベルを上げているから、女子高生1人持ち上げるくらい楽勝だと高を括っていたが、生身の生き物ゆえに、無機物とは違い重心が大きく変わりバランスを崩してしまう。



「「あ……」」



 何とか、桃花の頭を手で庇ってソファの上に着地したが、その結果、完全に桃花を押し倒してしまったような体勢になってしまっていた。


「ししょう……」


 何かを期待するかのように、俺の手の中で熱に浮かされたような目で、桃花は至近距離から俺の顔を真っすぐと見つめる。



「師匠にとって、私はまだ、ただの可愛い弟子のままでしょうか?」



 そして、その潤んだ瞳を覆うように、ゆっくりと瞼を閉じた。

 まるで、何かを覚悟するかのように。


 ここで、俺が彼我の距離をたった数十センチ詰めれば、桃花の想いは叶うだろう。


 下駄は、完全に俺の方に委ねられている。

 ここで、俺が進むのか否か。


 選択するのは俺次第。


 だけど、今の俺は何も選ぶことは出来ない。

 どこまでも、意気地なしで情けない師匠だ。


 なぜならば……



「ちょ……桃花。盛り上がってるところ悪いんだけど、どうやらギックリ腰やっちゃったみたい……」


 さっき、桃花を励ますために高い高いした時だろうな。


 完全に腰に魔女の一撃を喰らってしまった。

 マジで身体を動かすと、危険が危ない状態で、額を脂汗がつたっている。



「……師匠のバカぁぁぁぁぁ‼」



「って、ちょ! 桃花? 桃花さん⁉」


 真っ赤な顔をした桃花は、ソファから抜け出すと、ズンズンと部屋の外へ出て行ってしまった。


 ソファの上で四つん這いの状態で動けない師匠を置いて。


 この状態で誰か、例えば、今回桃花のお付きの連盟の女性職員さんが入ってきたら、完全に俺はお縄だ。


 そして、頼みの綱の姉弟子は今日来ていない。


「これは詰んだ……」


 観念し、天を仰ぎ見たかったが、腰の激痛のせいでそれは叶わず、俺はたジッとソファのクッションを見つめていることしかできなかった。




◇◇◇◆◇◇◇




「お師匠さんってば、本当に桃花の師匠をやれてるんですか?」

「面目ない……美兎ちゃん」


 翌朝のお宿の朝食会場で、俺は横に座って、朝食を食べる美兎ちゃんから甘んじてそしりを受けていた。


「でも、昨夜は本当に助かったよ、ありがとう。動けない俺を支えてもらって、腰のサポーターまで買ってきてもらって」


 サポーターで腰を固めているおかげで、痛いのは痛いが今日は何とか動けている。


 ガチャリと、桃花の部屋のドアが開いた音を聞いた時は、もう完全に終わったと覚悟してしまった。


 声をかけられて美兎ちゃんだとわかり、胸をなでおろした次第だ。


「感謝する相手が違いますよ、お師匠さん。感謝するなら桃花に対してです」

「え? どういう意味?」


「桃花から私にスマホで連絡があったんですよ。師匠を手助けしてやってくれって」

「そうだったのか」


「せっかく、私の当て馬ムーブで危機感を感じた桃花が頑張ったのに、当のお師匠さんがヘタレじゃ、どうにもならないですよ。引き延ばしに入ったラブコメですか?」


「え? 美兎ちゃん、昨日の顛末のこと知ってるの⁉」


 プリプリ起こっている美兎ちゃんに、色々と聞き捨てならない点はあったが、まずは一番気になっている点を確認する。


「全部、桃花から聞きました。あの子、怒ってましたよ」

「マジか……」


「詐病じゃなく、本当にギックリ腰みたいだったから、今回は不運なアクシデントだって、私の方で桃花をフォローしたんですよ。タイトル戦前日にメンタルを立て直させるのは本来、お師匠さんの役回りだったはずなのに」

「面目ない事、この上ない」


 そもそも、美兎ちゃんが俺にちょっかいを出して、桃花を不安にさせたのが諸悪の根源では? という言葉を飲み込みつつ、俺はひたすら美兎ちゃんにペコペコするしかない。


 なにせ、今、俺がこうしてお天道様の下を歩けているのは、彼女のおかげなのだから。


「それにしても、あの子、大丈夫なんですかね? タイトル戦の第1局で先手番なんですから、ここをいきなり落とすとキツイでしょうに」


「そこは心配いらないと思うよ。桃花の性格からして多分……」



 その日の棋征戦第1局。


 受け将棋の名手として定評のある森棋征は、桃花からの苛烈な攻めに耐え切れず、三時のおやつが終わった直後に早々に投了となった。


 八つ当たりを受けた森棋征、本当にごめんなさいと、俺は心の中で謝っておいた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 腰が使えないと、将来困りますねw やはり座り仕事だから、棋士も腰痛は持病なんでしょうか。
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