第46局 美~兎~ちゃ~ん。解ってるよね?
「師匠~ お願いがあるんですけど。ふぅ~暑い」
「暑いからって人の家の方で脱ぎだすな」
「だって、もう6月なのに校則でまだブレザーなんですよ」
学校から帰宅早々、桃花は制服のブレザーをソファの上に脱ぎ散らかして、出してきたばかりの扇風機に当たる。
「で、お願いってなんだ?」
「今度の棋征戦の第1局なんですけど、美兎ちゃんも行きたいそうなんですよ」
「美兎ちゃんって、前に家に遊びに来たアイドルやってる高校の友達か。ほう……なんでまた?」
「今度、仕事で将棋に関するドラマ企画があって、その参考に取材したいそうです」
「へぇ、勉強熱心なことだ。それにしても、将棋を題材にしたドラマか……時代は変わるもんだな」
最近はテレビのワイドショーでも頻繁に将棋が取り扱われるし、いい流れだ。
まぁ、そのムーブメントを作った張本人は、今、我が家の扇風機の前で「ア゛~~」と宇宙人ごっこをしているが。
「なんか、将棋題材のマンガも増えてるらしいですよ」
「ファンあってこそ、俺たちは将棋を指してメシが食えてるわけだしな。そうなれば、こちらも協力しないわけにいかんな」
将棋の普及活動になるわけだし、これは棋士として是非とも協力しなくてはならない。
「それじゃあ、当日の案内は師匠にお願いします」
「へっ? 俺が? なんで?」
「棋征戦の第1局は師匠が同伴役でしょ」
「そうだった! その日は、姉弟子がフリーライターの長期取材で行けない日だったんだ」
うっかりしていた。
もともと、フリーライターとして活動していた姉弟子だが、最近は将棋ブームの後押しもあって引き合いも増えて、取材などで家を数日間あけるのも珍しくないのだ。
「じゃあ、美兎ちゃんのアテンドは俺の役目か」
「……師匠、念のために言っておきますが、美兎ちゃんに手を出しちゃ駄目ですからね」
「んなこた解っとるわ!」
「冗談ですよ。こんなに若くて可愛い私が、長年攻め立てているのに落城しない、我慢強い師匠ですからね。その点は信頼してます」
なんだ、その信頼の仕方は……
っていうか、俺が我慢してるっていうのを前提にしてるのね。
反論すると面倒だから、そこはスルーするけど。
「じゃあ、美兎ちゃんには師匠がアテンドしてくれるって伝えておきますね」
しかし、俺も会ったことがある子だとはいえ、アイドルで女子高生なんて子と一体何を喋ればいいんだ?
俺はそこはかとなく不安であった。
◇◇◇◆◇◇◇
「今、これは何をやってるんですか?」
「これは検分と言って、対局場の日当たりや室温、駒や駒台はたまた座布団まで、当日に使うものを事前にチェックするんです」
「なるほど……棋士の方って、結構繊細なんですか?」
「それは人によりますかね。桃花は、あんまりその辺は頓着していないようです。ご存知だと思いますが」
「それ解ります。あの子ったら、この間も」
桃花とタイトルホルダーである、森基樹棋征が対局会場である、静岡駿河城にある茶室を検分しているのを遠巻きにしながら、俺と美兎ちゃんは思いがけず話が弾んでいた。
「桃花は学校でも相変わらずなんだな。って、あ、すいません。仕事なのについ砕けた感じで喋ってしまって」
「いえ、構いませんよ。友達のお師匠さんなので、私もついプライベートな感覚になってしまうので」
「そう言ってくれると助かります。あ、この後は前夜祭ですね」
「あの……私はただの取材なのに参加しても良いのでしょうか?」」
「もちろんです。前夜祭の雰囲気も、きっと将棋のドラマならシーンとして出てくると思いますから」
美兎ちゃんは恐縮しているが、この点については、きちんと連盟に事前に確認をしているから問題ない。
連盟としては、若い子へのアプローチにもなるし願ってもない話だ。。
「前夜祭のシーンとなると、ドラマ冒頭で、タイトルホルダーが生意気なタイトル挑戦者のドレスに赤ワインをぶっかける感じでしょうか」
「その騒ぎが一段落したところで、参加者のお偉いさんがパーティー中に突然苦しみだして、毒殺される所からのスタートですね」
「私が出るのは2時間サスペンスドラマじゃないんですけどね」
「アハハッ、先に振って来たのは美兎ちゃんの方じゃないですか。サスペンスドラマお好きなんですか?」
「はい。小さい頃に、親がテレビで観ている横で一緒に観てて。浅川三郎の三間堂警部シリーズが好きでした」
「三間堂警部シリーズとは渋い。美兎ちゃんの年齢なら、三代目キャストのシリーズかな?」
「いえ、平日昼間の再放送のも観ていたので二代目キャストシリーズも大好きです」
「あ~、俺は二代目シリーズがドンピシャなんだよな。相棒のチョーさんはやっぱり、相川哲也が」
「し~しょ~~う~~~何を、美兎ちゃんとイチャコラしてるんですかぁ~~~?」
「あ、桃花。いや、つい話が盛り上がっちゃってな」
気付いたら、対局者たち御一行は、前夜祭の前の着替え等の支度のために一旦解散になったようだ。
つい脱線した雑談が楽しくて、見てなかった。
「全然、将棋と関係ない話で盛り上がってましたよね?」
「さすが女優さんもやってるだけあるな。俺の好きな2時間サスペンスドラマへの造詣も深くて」
ギロッと横目で睨む弟子に、師匠の俺がタジタジとなる。
「美兎ちゃんも今日は将棋の取材でしょ? 取材!」
「うん。桃花のお師匠さんに優しく教えてもらったよ」
にっこりと笑った美兎ちゃんに対して、ますます桃花の目は鋭さを増す。
「美兎ちゃんばっかりズルい……最近、私は師匠に優しく教えてもらったことなんてないのに。もしかして美兎ちゃん、師匠の事を狙って……」
「いや、そんなことある訳ないだろ。俺なんて、美兎ちゃんからしたら、友人の保護者と同じような扱いで」
「美~兎~ちゃ~ん。解ってるよね?」
チンピラのように桃花は美兎ちゃんの肩に腕を回し、圧をかける。
ふざけている風を装っているが、桃花の目は笑っていなかった。
「大丈夫よ桃花。悪いようにはしないから」
そんな圧を物ともせずに、美兎ちゃんは涼しい顔だ。
美兎ちゃんの悪いようにはしないという意味は解らないが、さすがは一流アイドルだ。
しかし、会話への気配りといい、美兎ちゃんは本当によく出来た子だ。
「ほら、桃花。前夜祭の準備をして来い」
「むぅ……前夜祭で覚えてなさいよ」
今回、桃花の部屋付きを担当してくれている連盟の女性職員が手招きしているので、渋々といった様子で桃花は、着替えに連れ出されていった。




