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第44局 友達はアイドルのセンター

「なぁ桃花」

「なんです? 師匠」


 いつものように、風呂上りにリビングのソファに寝そべりつつ棒アイスを舐めながら、桃花が返事をする。

 ソファで物を食べるなって、いつも言ってるのに、この弟子は言う事を聞かない……。


「来月からちゃんと食費払え」


「……え?」


 桃花がガバッと起き上がって、信じられないという顔で俺の方を見やる。


「な……なんで……急にそんな……あ! 師匠、もしかして私との離婚を企てて……」

「そもそも結婚しとらんわ!」


 っていうか、今だって一応はマンションの隣同士の部屋をそれぞれ借りてるんだから、別居ではある。


「なんで、そんな冷たいこと言うんですか師匠……」


 何日もご飯が食べられていない捨て犬のように目をウルウルさせながら、桃花が泣き落としにかかる。


 いや、お前。

 さっき、夕飯で2杯もごはんをおかわりしただろうが。


「いや、普通に桃花のご両親から、1年以上も負担していただいて心苦しいからやめてくださいって言われたんだよ」


「ちっ! お父さんお母さんめ。余計なことを……」


 捨てられた子犬から一転、舌打ちをする桃花。

 しかしこの弟子、あんなによく食べる癖に、そんなに食費を払うのが嫌なのか。


「ご両親との話し合いで、お金のことはナァナァにせずに、しっかりしましょうって事になったんだ。それに桃花。お前、絶対に俺より多く稼いでるだろうが」


「…………」


 別に俺も同年代と比べればそこそこ収入は高いので、大めし喰らいとはいえ、女子高生1人の食費くらい、大した出費ではないのだが。


「なんか食費を師匠に渡すのヤダ」


 プイッと顔をそむけ、意外に強く抵抗する桃花に俺は正直面食らう。


「なんでだ? 桃花も七段になって、棋叡戦の賞金もあるしで、食費を払うくらい訳ないだろ」


 所詮は女子高生という年齢故に、お金の使いどころも大してないのだ。

 見たところ、服やアクセサリー、ブランドバッグを買いあさっている様子もない。


 なのに、何故たかが食費を出し渋るのか? 俺にはわからなかった。


「それはその……」

「安心しろ。桃花が食費を出してくれたら、前以上に献立が豪華になるぞ。だから……」


「嫌なの! そうやって、対価を師匠に払っちゃうと、師匠に弟子として甘やかしてもらえてるって思えなくなっちゃうから!」


 払ってくれた食費分、食事の内容がグレードアップするというのを伝えれば、てっきりすぐに首を縦に振ると思ったのだが、桃花から返って来たのは、意外な言葉だった。


「なんだそりゃ」

「弟子のために、ご飯を作ってくれてる師匠に無償の愛を感じて、だから私はここまで来れたの! だから頑張れたの! だからイヤ!」


 天才は常人には理解しがたい所に、こだわるポイントがあったりするが、これもそうなのだろうか?


 この手の問題は、当の本人がそのジンクスというか、精神統一のための儀式を信じ切っている場合、それが崩れると、本当に結果が悪くなったりすることだ。


「わかったよ。食費の件はなしだ」


 メンタルの面は、頭脳競技において重要な要素である以上、ここは師匠である俺が折れるしかなかった。


 まぁ、俺の方でも別に是が非でも食費をとってやろうと思っていたわけではないし。


「別にお金を払いたくない訳じゃないんですよ。あ! 良いこと思いつきました!」


「なんだか碌でもない事な気がするが……何だ?」

「私と師匠の家計を完全に同一にすれば良いんですよ。夫婦のように」


 やっぱり、碌でもない話だった。


「却下だ」

「私の銀行の口座番号と暗証番号は~」


「却下だって言ってんだろ! 軽々しく、そんな個人情報を他人に教えるんじゃない!」


 たかだか月1万円程度のお金を出し渋ったかと思えば、全財産を預けるに等しい行為をしようとしたり、意味が解らん。


 俺は桃花の銀行口座の暗証番号を聞いてしまわないように、耳を塞ぎながら、リビングから退散した。




◇◇◇◆◇◇◇




【翌日、桃花の通う高校にて(桃花視点)】



「でね。師匠ったら、私がせっかく銀行の暗証番号とかを伝えようとしたのに逃げちゃったんだよ」


 学校の昼休み。


 お弁当をパクつきながら、私は昨日の愚痴をこぼしていた。


「色々とツッコむべき所はあるけど、桃花のお師匠さんは出来た人だね」

「え? なんでそう思うの? ちゃん」


 私は、高校に入学して最初に仲良くなった友人で、同じ芸能コースのクラスメイトでご当地人気アイドルグループのセンターである、じょうげんちゃんに、その真意を聞いてみた。


 お互い忙しい身の上で、学校でも中々会えなかったりするし、アイドル業界と棋界とで全く別の業界なんだけど、不思議と馬が合ったんだ。


「私のいる業界でもね、子供がアイドルや子役としてブレイクして、親の年収を容易く超えた収入が転がり込んできて、変わっちゃう親って多いみたいだよ。突然お父さんが仕事辞めちゃったりとか、シングルマザーのお母さんにある日、若いツバメが出来たりとか」


「おおう……芸能界って怖いね……」


 中々のドギツイ話に、私は目を白黒させてしまう。


 そういえば、今日のお弁当のごはんにかかっているのは、奇しくもごま塩だった。

 美味しい。師匠好き。


「だからさ。お金に目がくらんだりせずに、弟子のことを思ってくれるなんて、いいお師匠さんなんだね」


「そうなんだよね~」


 やっぱり、うちの師匠って素敵なんだ~。

 やっぱりね~。


「まったく。桃花、あんたも下手なアイドルより顔が売れてる有名人なんだから、マスコミには気をつけなさいよ」


「気を付けるって?」

「お師匠さんと、こっそり付き合ってるんでしょ?」


 当たり前の事でしょと言わんばかりに言う美兎ちゃんは、なかなかの慧眼だ。


「残念だけど、師匠はそんな未成年に手を出したりしないよ。残念だけど」

「2回も残念って言うってことは、桃花は師匠の事、異性として見てるのね。テレビ観ても、師匠好き好きっていうのは伝わってきてたけど、あれってガチなんだ……」


 美兎ちゃん鋭いな。

将棋で言えば、アマ五段くらいの洞察力があるのでは?


「美兎ちゃんは、気になってる人とかいるの? 相手はやっぱり芸能関係?」


「う~ん……どうかな。とりあえず結婚するなら、お金持ちの人がいいかな」


 白い肌に白に近い明度のブロンドヘアをなびかせ、純潔の象徴とかファンに言われている美兎ちゃんだけど、私の前では概してこんな感じだった。


「ファンの人が聞いたら泣いちゃうよ美兎ちゃん」

「学校でくらい、素でいたいのよ」


 あっけらかんと言う美兎ちゃんだが、やっぱりアイドルって大変なんだな。

 私はただ将棋指してるだけだし。


「そう言えば、今日は私オフなんだよね。帰りに桃花の家に遊びに行っていい?」

「うん、いいよ。私も棋征戦のタイトル挑戦決めて、棋叡もスイープで獲得したから日程的に暇だし」


「将棋のことはよく解んないけど、何だか女子高生が話すような内容じゃないわね」

「それはお互い様でしょ」


 そう言って私はスマホで師匠に、今日は学校の友達が家に遊びに来るからとメッセを送っておいた。


 無論、アイドルが家に来るとは言わずに。


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