第40局 女子高生になった弟子
「ただいまー」
「お帰り桃花。どうだ? 高校は」
春休みも明けて、4月。
別れの後に来る、新しい出会い。ワクワクと不安が入り混じった季節だ。
「うん、楽しいよ。見て見て。芸能コースだから、モデルさんとかアイドルの子がいて、みんな凄い可愛いんだよ」
帰ってきて早々、楽しそうに通いだした高校の話をする様子を見るに、桃花は新しい環境でも大丈夫そうだ。
「おー、確かに別嬪さんばかりだな」
桃花が見せてくれたのは、昼休憩で皆でお弁当を食べているところを撮った写真のようだ。
「もー、そこは『いや、桃花が一番可愛いよ』とか気の利いた事言えないんですか? 師匠」
「何に気を回しての発言なんだよ。んー? 何か、制服のネクタイの結び目が大きすぎる子が多いな。まだ入学したてだから慣れてないのか?」
「いや師匠。それ、ファッションで敢えてそうしてるんですよ」
「マジか? 近頃の子のファッションは解らんな」
「師匠ったら、オジサンっぽくなりましたね」
「ぐはっ!」
俺も26歳で、もはや20代後半。
気持ちはまだまだ若い気がするし、全然大人としての厚みが出ている感じがしないのだが、年齢という数字だけは積み上げている。
なんとなく漠然とした焦りを感じずにはいられないお年頃だ。
「中学のセーラー服も可愛かったけど、ネクタイブレザーだと、グッと大人っぽく見えるね桃花ちゃん」
「ありがとケイちゃん」
「この間の玉座戦本戦トーナメントの対局が高校制服の初お披露目だったけど、ネットではセーラー服派とネクタイブレザー派で真っ二つに分かれて大激論してたね」
「みんな暇なんだな……」
ネットの書き込みを見ると、もう桃花の名古屋襟のセーラー服姿を拝めないのかと嘆き悲しんでいる所に、ネクタイブレザー派がちょっかい煽りをして、セーラー服派の怒りを買い、憎しみ合って戦争が始まったらしい。
いつの世も、案外争いというのは、しょうもない理由から始まるものなのかもしれない。
「しーしょう。中学の制服は、バスケ部の後輩からお下がりお願いされたけど、ちゃんとクリーニングして綺麗に保管してますからね。着て欲しい時には言ってくださいね」
「どんな時だよ」
「言っていいんですか?」
桃花が怪しい笑みを口元に浮かべて、俺の方へねっとりとした視線を絡みつかせる。
「いや……やっぱいいわ」
桃花の視線に俺はすごすごと退散する。
いくら高校生になって、中学生の頃より大人っぽくなったとはいえ、桃花はまだ高校1年生だ。
依然として、手を出したら終わる存在であることに変わりはない。
「そういえば棋叡戦第3局用の着物、念のため後で試着しといてね」
「ありがとケイちゃん」
「着物着るのに介助いる?」
「ううん。もう着方はマスターしたから」
「お、もう着物も着慣れてきたんだ」
「うん。棋征戦の挑戦者になったら、また師匠に新しい着物買ってもらえるから、それがモチベーションになって覚えられた。着物がズレた時の直し方もバッチリ!」
「っていうか、桃花はハードスケジュールだな。棋叡戦第3局の3日後に、今度は棋征戦の挑戦者決定戦か」
「はい。棋征戦の挑戦者決定戦は、連盟に日程調整してもらって、いつもより後に回してもらってるから、文句は言えないんですけど」
苦笑いする桃花だが、この日程には連盟側のとある思惑もあったりする。
「棋叡戦は奪取まで後1勝だからな。どうせなら一気に決めてきちまえ」
「師匠……」
いつもより熱を帯びた俺の視線に、桃花が頬を少し染める。
「桃花の事、信じてるからな」
「は……はい! 頑張ります!」
桃花が、俺からの激励に闘志をたぎらせる。
棋叡戦が早く終われば、その分、棋叡戦用に買った着物を棋征戦用に回せて、買う着物の枚数を節約できるからな。
そんな師匠の俺の思惑には気づかずに、桃花はまるで特別な餌をもらった忠犬のように喜んでいた。
◇◇◇◆◇◇◇
「やだやだ! 何で、師匠も泊りじゃないの⁉」
「しょうがないだろ」
桃花は対局会場の検分のあとに、ホテルの部屋の中の畳の上で大の字になり、駄々っ子のようにゴネる。
高校生になって、少しは大人になったかと思ったのに。
これでは、三段の一人暮らしを始めた頃に、ペアカップをねだって百貨店でゴネていたのと変わらない。
「この間は、私のこと信じてるって熱いまなざしを送ってくれてたのに、私を置いて行っちゃうのね……ひどいよ師匠」
「いや、だって対局会場が名古屋だぞ。そりゃ、宿には泊まらないだろ」
不満げな桃花だが、自宅からタクシーで行ける距離の会場で、敢えて高い宿泊料金を払って泊まるなんてブルジョワな真似はできない。主に、お財布の中身的な意味で。
今回は解説や立会人としての任も無いから、棋叡戦第1局の時と違って完全に自費になってしまうのだ。
「むぅ……じゃあ、近いんだから私もお家帰りたい」
「それは駄目だ。対局の会場に名乗りをあげてくださったホテル側に失礼だろ」
「じゃあ、師匠もこの部屋に一緒に泊まろ」
「対局者以外は泊まっちゃ駄目だ。それに、2日制のタイトル戦になったら、1日目終了時の夜は接見禁止になるし、通信機器も使えないから、文字通り一人になるんだから、今から慣れておけ」
「え~~! ヤダヤダ! 師匠と、丸一日以上、会ったり話すことも出来ないなんてヤダ~!」
「じゃあ、2日制のタイトルである名人は諦めるんだな?」
「う……それは……。師匠、今からでも、結婚の条件を1日制タイトルの総なめに変更しません?」
「却下だ。それだと、下手したら来年には達成しちゃうだろうが」
「師匠のケチ~」
現状、2日制のタイトルは羽瀬・覇王名人が就位している。
そういう意味でも、1日制タイトルだけを獲得するというのは、なんだか隙間を縫っているようなものだ。
「ほら、今日はもう歯磨きして寝ろ。明日、ちゃんと応援には行くから」
「うう……1人の夜は寂しいよ……」
「一応は一人暮らしなんだから毎日のことだろ」
「それは、隣の壁の向こう側から師匠成分を摂取できてるからですよ」
「だから師匠成分って何……そういえば、桃花の部屋の寝室と、俺の部屋の寝室って壁合わせだよな」
「そうですね」
「お前、まさか壁に何か着けて、俺の部屋の物音とか聞いてないよな?」
「………………では、明日は大事なタイトル戦なので。おやすみなさい師匠」
「おい、ちょっと待て桃花。俺の目を見ながら答えろ。さっきまで、駄々をこねてたのに、何で俺と姉弟子を早く追い出そうとする?」
話を一方的に打ち切り、グイグイと俺と姉弟子の背中を押す桃花に尋ねるが、桃花は無言で押してくる。
「べ、別に何でもないですよ。通販で怪しい集音グッズなんて買ってないですよ私は」
まだ4月のゴールデンウィーク前だというのに、滝のような汗をかいている桃花によって、俺と姉弟子はそのまま部屋から出されたのであった。




