第39局 弟子の解説をする師匠
「……飛龍五段、いくら何でも対局中にお菓子食べ過ぎじゃないですか?」
「昨夜の前夜祭では、ご馳走を食べ損なってたので、それを取り返してるんじゃないですかね」
「さすがは師匠ですね。的確な分析です」
「右京先生も、昨夜、前夜祭であんなに飲んでたのに平気そうな顔をしていて驚いています」
「そ、それはシーーッ! です」
俺の返しに、主解説者の右京先生が慌ててツッコミを入れると、ドッと観客から笑いが起きる。
棋叡戦第1局。
ここは、旅館で一番大きな宴会場を使った大盤解説会場だ。
ちなみにこの棋叡戦第1局の大盤解説は大人気で、速攻で観客チケットが完売したそうだ。
「中盤で大胆に、長考をする挑戦者である飛龍五段。すでにこの一手に30分をかけてますね」
「タイムマネジメント的にどうなのかという問題はありますが、AIが示している手が、ちょっと人間の感覚では非常に選びにくい手ですからね。いや、折原棋叡も難解な局面に誘ってきますね」
段位別予選で、本戦もシードなしの一発勝負のトーナメントということで、棋叡戦は若手ドリームのある棋戦と言われている。
そして同時に、短時間の持ち時間であるがゆえに、番狂わせも起きやすい棋戦でもある。
一分将棋になるのが早く、終盤戦に持ち時間を残せないと、最後に大逆転を喫するというドラマも起きやすい。
「そういえば稲田先生は先日、B1に昇級して七段に昇段されましたよね。おめでとうございます。私も、昨期はなんとか順位戦の降級点を消せました」
「ありがとうございます。弟子の桃花のバーターでなく、師匠も強いんだぞというのを皆さんに見せられて良かったです」
将棋の解説と言っても、長考に入ると場をつなぐために色々と関係ない話にもなる。
俺の話なんて、桃花のファンには大して興味もないことだろうが、こういう所でアピールをするのは、将棋という興行に身を置く棋士としての半ば義務みたいなものだ。
「でも、もし飛龍五段が棋叡を取ったら……って、あ! 飛龍五段が手を指しました! AI最善手と一致の4九銀です!」
「これは、折原棋叡からしたら予想外の手ですよね。明らかに動揺が顔に出ました」
折原棋叡も、昨年棋叡戦ドリームを掴んだ若手棋士であるが、タイトルは今のところ、この棋叡1期のみ。
挑戦者としてただ我武者羅にぶつかって行けば良い昨年とは違い、今年は迎え撃つ立場。
そして、その挑戦者は、ついこの間まで中学生だった女の子だ。
中々、闘志というものは湧きづらいだろう。
「また桃花は菓子に手を伸ばしますよ。ほら、手に取った。そのホワイトミルクラスク、2箱目じゃないか?」
「いくらお弟子さんとはいえ、そこまで解るものなんですね」
「手の予測もこれだけ明瞭に当てられると良いんですけどね」
謙遜した返しをするが、心なしか右京先生が若干俺に対して引いている気がする。
配信のコメント欄にも『師弟の絆が強くて草』とか書かれてる。
でも、今回は桃花が主役なんだから、話題はどうしてもそっちに行っちゃうんだから仕方ないだろ!
「そういえば、今日初お披露目となった飛龍五段の着物は、稲田先生のプレゼントだそうで」
「そうですね。弟子がタイトル戦に挑戦する時は、着物を師匠が贈るのが習わしですから」
「これからその機会が増えるんじゃないですか? 飛龍五段は棋征戦も先日、挑戦者決定戦まで進みましたし、王棋戦もリーグ入りしてますし」
「ハハハッ。1年で一気に3つもタイトル戦に進んだら、私は破産ですね」
そうなったら、さすがに今回の棋叡戦みたいに全局分の着物を俺が買うのは無理だ。
ちゃんと経費になるんだから、桃花自身で用意してもらおう。
「あ、折原棋叡が指しましたね」
「まぁ、と金を使いますよね。けど、この手はAIの形勢判断によると悪手ですね」
一見すると、折原棋叡がと金で相手の玉に迫れる手であり、桃花側としては刀の切っ先がのど元寸前に突き付けられる嫌な手なはずだが。
そこからは、お互い持ち時間を消費せずに手が進む。
「ん……いや、待ってください。これは……」
解説の俺の呟きと同時に、折原棋叡の手が止まる。
「稲田先生。これって」
「ええ。桂打ちで、折原棋叡の王の逃げ道が塞がれてますね」
と金を相手に使われても構わなかったのは、これが理由か。
「あの謎の4九銀の最善手から17手後のこの局面を見据えていたっていうんですか……」
「ですね。って事は、もうここからは先手の桃花の独壇場ですね」
俺の言う通り、そこからは桃花の独壇場だった。
逃げ場の無い折原棋叡の王を尻目に、棋叡側の陣営は成す術なく手足を一本一本もがれるように大駒が引きはがされていく。
折原棋叡も、必死に終盤を複雑な形にしようと試みるが、無理攻めを桃花に見切られて放置され、自陣を先ほど奪った駒で補強され、ついに最後の攻めの頼みの綱だった、と金さえ見殺しにするしかなくなる。
「負けました」
攻め筋を完全に失った折原棋叡が、右手を駒台にかざし、投了した。
棋叡戦第1局。
16歳でのタイトル戦初勝利の最年少記録が生まれた瞬間だった。
◇◇◇◆◇◇◇
「ありがとうございましたー! お先に失礼します!」
「桃花ちゃん、急いで急いで!」
感想戦と大盤解説会でのインタビューもそこそこに、桃花と俺と姉弟子は慌てて旅館を後にする。
「申し訳ありません! 明日は高校の入学式で、ギリギリ新幹線の終電に間に合うので、お先に失礼させていただきます!」
旅館の玄関ホールで、桃花は見送りに来てくれた旅館の女将さんや連盟の人たちに向かい、大きな声で深々とお辞儀をしながらお礼の言葉を残していく。
「是非、また当旅館にいらしてくださいね」
「はい! 昼食のウニとイクラとカニの三食丼、とっても美味しかったです! 師匠がいつも作ってくれる鮭と炒り卵と高菜の三食丼とは食材が大違いで」
「桃花! 家計の台所事情がバレるようなこと言ってないで、タクシー来たから早く乗れ」
「はーい。それでは、みなさんまたー」
タクシーの車内から桃花は見送りの人たちが見えなくなるまで大きく手を振る。
「ふーっ、何とか間に合いそうだよ」
スマホで、名古屋行きの新幹線の終電時刻を確認しつつ姉弟子が一息つく。
すぐに宿を出発できるように事前に、姉弟子が俺や桃花の荷物をまとめておいてくれたので、間に合いそうだ。
「折原棋叡が、割と早く投了してくれたおかげですね。やはり入学式には出たいですし」
「お前、だからあんな友達無くすような手で終盤攻め立てたのか」
「折原棋叡は、過去の対局を見ると割と早く諦める人でしたから」
「しかし、挑戦者の先手番とはいえ、あれは尾を引く負け方だな」
折原棋叡は、感想戦でも桃花の読みについて行けていない場面があった。
中盤のねじり合いも、終盤力の差も実感させられたことだろう。
まさに、力の差を見せつける横綱相撲だった。
折原棋叡も若手だから、年下にこんな負け方したら、かなりガックリ来ているだろう。
「あーあ。結局、朝食と昼食しかご馳走食べれなかったなー 仙台だから夕飯は牛タン弁当食べたいです」
タクシーの車内で呑気なことを言う弟子と、残した棋譜がいまいち一致しない中、こうして桃花の初めてのタイトル戦は幕を開けたのであった。




