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第38局 月が綺麗ですよ師匠

「はぁ、やっと解放された」


 酔っぱらいの姉弟子と右京先生のダル絡みから解放された後、大浴場で一風呂浴びた浴衣姿の俺は、自分の部屋で一息ついて、卓の上に置かれた茶菓子へ手を伸ばす。


 日頃は、桃花に寝そべってお菓子を食べるなと注意しているくせに、旅の開放感からか、つい自分を甘やかしてしまう。


 弟子には見せられない姿だ。


「しかし、腹減ったな……」


 茶菓子を食べたら、もっと寄越せと胃がクゥと鳴いた。


 さっきは、結局酔っぱらいどもに絡まれたせいで、前夜祭でのせっかくのご馳走を食べ損ねたのだ。


「そういえば、旅館の近くにコンビニがあるって言ってたな」


 もう時間的に、旅館内の売店は締まっているだろう。

 なら、外のコンビニで買う方が良いか。


 そう思いたった俺は、浴衣の上に羽織る半纏を掴んで部屋の鍵を持った。




「さぶ、さぶ! あ! あったあった」


 4月とはいえ、夜では半纏を羽織ってくるだけではやはり寒く、服装のチョイスをミスったと後悔しながら小走りで進むと、目的の場所にたどり着く。


 温泉街だが、すでにお土産屋などは閉まっている中、コンビニの煌々とした明るさが安心感を与えてくれる。


 さて、何を食べるかな。


「って、ん? コンビニ前でうろちょろしてる、あれはもしかして……」


 俺と同じ浴衣の柄だが、男用の紺色の半纏ではなく、紅色の半纏を羽織り、夜のコンビニの前で何やら右往左往している後ろ姿には見覚えが大いにあった。


「桃花、何をしてるんだ。こんな夜中に」

「うひゃ⁉ って、師匠!」


 背後から急に声を掛けられた桃花は、その場に飛び上がった後に、ばつが悪そうにこちらを振り向く。


「もう子供が出歩く時間じゃないだろ」


 俺は、いつもより真面目なトーンで桃花を叱る。

 もう、未成年だけで出歩いていたら補導されてしまう時間だ。


「ゴメンなさい……師匠」


 俺の声のトーンで察したのか、桃花もシュンとする。


「別に俺に謝る必要はない。俺が怒ってるのは、お前が何かトラブルに合わないか心配だからだ」


「はい……」


 すでに名前と顔が知れ渡った有名人の桃花だ。

 どんな輩に目を付けられるか分かったものではないのだから。


「で、なんでコンビニの前でモジモジしてたんだ?」


「それはその……」


「どうせ、夜食を買いに来たけど、店員にバレたくないしどうしようかな……って逡巡してたんだろ」


「流石、師匠! 私の事、ホントによく解ってくれてますね。好き」


 いや、桃花が食い意地がはってるのは、既に色々な媒体でその姿やシーンを曝しているので、今更、世間のイメージなんて気にしてもしょうがない気がするのだが。


 そこは、複雑な乙女心というやつなのだろうから、あえて指摘しないでおいてやろう。


「俺がまとめて買ってきてやる。何がいい?」

「師匠のセンスでお願いします」


「なんだそりゃ」

「いつも私のご飯を作ってくれる師匠に任せるのが一番ですから」


 ニカッと笑う、桃花は、まさに赤子が母親を信頼しきっているような顔だった。


 桃花の食い意地がはっているのは、師匠の俺にも落ち度があるのかもしれない。


「わかったよ。後で、あれが食べたかったとか苦情は受け付けないからな」


 そう言って、俺はコンビニの自動ドアをくぐっていった。



◇◇◇◆◇◇◇



「師匠、このラーメン美味しいです!」

「ご当地カップラーメンって、地方の対局の時にはつい食べちゃうんだよな」


「ふふっ……」

「ん? どうした桃花」


「私たち、なんで高級旅館に来てるのに、深夜に師弟でカップラーメンを食べてるんでしょう?」


「確かにな」


 老舗高級旅館の中にある立派な日本庭園を一望できる腰掛に座って、師弟でカップラーメンをすする。


 桃花の言う通り、なんとも滑稽だ。


「桃花は、前夜祭でご馳走をたらふく食べたんじゃないのか?」

「それが、前夜祭中は色んな関係者やスポンサーの方々と挨拶や歓談があって、ほとんど何も食べれませんでした」


「ありゃりゃ。食いしん坊の桃花にはしんどいな」


「笑い事じゃないですよ師匠。せめて、合間に師匠を眺めて精神を安定させようとしたら、師匠はケイちゃんや右京先生の綺麗目お姉さんたちに囲まれてデレデレしてるし」


「いや、あれはただ酔っぱらいに絡まれてただけだ」


 プクゥーッと思い出し怒りで頬を膨らませる桃花に、俺は当時を思い出してゲンナリしながら答える。


「ホントかな~?」

「だから、俺もご馳走は食べ損ねて、こうして一緒にカップラーメンをすすってるんだろうが」


 なんで酒飲みの人って、食べ物は大して食べずに酒だけカパカパ飲んでられるんだろ。


「あ~あ、シェフがその場で切り分けてくれるローストビーフ食べたかったな」

「和風創作ドリア食べて、レシピの参考にしたかった」


「「はぁ~~~」」


 寒空の下。

 ラーメンを食べていた息が白くはかれる。


 ため息が被った師弟は、お互い苦笑いする。


「タイトル戦で、こんな罠があるとは……勉強になりました」

「何事も経験してみないと解らないもんだな」


 しみじみと、カップ麺のスープをすすり、空を見上げた師弟2人の前には、大きな満月が輝いていた。


「そうだ、師匠。忙しくてお祝い出来てなかったですけど、B級1組昇級と七段昇段おめでとうございます」


「ありがとう。桃花も、C1昇級おめでとうな」

「こちらこそ、ありがとうございます師匠」


 研究リソース全つっぱの甲斐があり、俺は何とかB1へ昇級することが叶い。B1昇級に伴う七段の昇段規定を満たして昇段した。


 桃花も、C2順位戦を全勝で見事に一期抜けした。


「これで、目標に一歩また近づきました」

「ふん。早く上がって来いよ。この高みまで」


「なんか師匠、酔ってます?」


 俺の格好つけた言い草に、桃花が苦笑する。


「ただのビッグマウスだよ。優秀な弟子を持つと、師匠は格好つけるのが大変なんだ」


 こう言えるのも、1年で1クラスずつしか上がらない順位戦ゆえだ。

 あと、自身の昇級が成功したという、浮かれ気分もあるのかもしれない。


「師匠……」


「ん?」


 隣にいる桃花が、俺の浴衣の袖の裾をつかむ。



「私を一人にしないでくださいね……」



 月下の青白い光の下で、唇が怪しく艶めかせながら、桃花が上目遣いで俺の顔を少し不安げに見上げる。


 袖を掴む手は、少し強張っていた。


「そりゃ一緒にいるだろ。何、言ってるんだ桃花?」


 悩みもせずにスパッと答えた俺の言葉に、フッと桃花の力が緩む。


「……こういう所で、いとも容易く私の欲しい言葉をくれるから、師匠ってホント、師匠ですよね」


「いや、意味がちょっとよく解らないんだが」


「あ、師匠。月が綺麗、月が綺麗ですよ師匠。いや~、今晩は月が綺麗だと思いません? 師匠」

「覚えたての昔の文豪の愛情表現を無理に使おうとするな」


「さっきまでの優等生ぶりはどうしたんですか師匠⁉ ほら、『お前と一緒に観る月だからな』とか格好いい返しがあるでしょ⁉」


「ほら、さっさと部屋に戻れ。風邪ひくぞ」


 桃花の戯言は無視して、俺は旅館の建物の方へ戻っていった。


 言うなら、もっとさりげなく会話の順序を組み立てて使え。

 なんで、将棋では長手数の詰み筋が読めるのに、こういうのはポンコツなのだろうか。


 こういう所は、まだ子供だな。


 しかし、もし場のムードが高まってたら、うっかり言質を取られていたかもしれないな。

 何しろ子供の成長は早いのだ。


 そう思いながら、俺は桃花を部屋に送り届けて床に就いた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 結婚式でも新郎新婦はまともに食べられないので、事前にお腹に入れておくとかあるようですし。次からは、パーティーの前にしっかりと何か食べて行いといけないのでしょうね。 昇級の歩みはまだ追いつか…
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