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第37局 学生時代の制服は数年後に役に立つ

「ふわぁ~、綺麗な旅館ですね師匠」

「そうだな」


 玄関を抜けた先の旅館のロビーで、桃花がはしゃぐ。


「楽しいね、師匠♪ 婚前旅行」

「いや、婚前旅行ってなんだよ」


 腕に絡みついてくる桃花をふりほどこうとするが、がっしり抱え込んでて離れない。


「結婚すると思われる男女が一緒に旅行してたら、それは婚前旅行ですから」

「いや、桃花よ。周りを見てみろ。将棋連盟の皆様がたくさん同行されてるだろうが。タイトル戦の主役は当然、対局する2人だが、そのためにたくさんの人が尽力して」


「師匠、今日はなんか師匠っぽいこと言ってますね~ 周りに関係者が多いからって、格好つけてません?」


「いや、だから関係者が多いのに、無闇にくっ付いてくるな! 誤解されるだろうが」

「あ~~ん……」


 ようやく桃花を振りほどくと、名残惜しそうに桃花が俺の方を見つめる。


「っていうか、こういう時のための姉弟子なのに、あの人は何やってるんだ?」


 ジャケットの襟を正しながら周囲を見渡すが、同行してきているはずの姉弟子が見当たらない。


「よっす~ マコぉ~」

「あ、姉弟子。って酒くさ! 何、前夜祭の前に飲んでるんですか⁉」


 ふらついた足取りでこちらに向かってきた姉弟子はしっかり出来上がっていた。


「あの……これ、綾瀬さんのカバンです」

「うわぁ⁉ ありがとうございます右京先生。何やってるんですか、姉弟子‼」


 姉弟子に肩を貸して、まるで付き人のように2人分の旅行カバンを持っているのは、今回の棋叡戦第1局の副立会人である、史上初の女性棋士である右京里奈五段だった。


 俺は慌てて、姉弟子の荷物を右京先生から受け取る。


「ケイちゃん、新幹線の席が憧れの右京先生の隣だったから、緊張隠しに飲み過ぎたみたい」

「で、今、その憧れの人に大迷惑をかけていると」


 新幹線の席が近かった桃花からの報告に、俺はあきれ返る。


 まぁ、姉弟子は連盟の職員でもない、俺と桃花で雇っている私費マネージャーだからギリギリ許されるが、仕事の移動中に酒を飲むとか、本来は社会人として言語道断だ。


 あとで、ちゃんと注意しておこう。


「いえ、道中楽しかったですよ。今回の私は、副立会人の気楽な立場ですし」


 右京先生は苦笑いしながら、気にしないでと言ってくれる。

 本当にできた人だ。


「あ、右京先生~! 今度、女子会やりましょ、女子会! 連絡先、教えてください」


 自分から離れる気配を察知したのか、姉弟子が右京先生にまたしてもダル絡みする。


「ええ、いいですよ。私の連絡先は飛龍先生が知ってますから、そちら経由で。それではまた前夜祭会場で」


 粘着厄介ガチ勢ファンの姉弟子のダル絡みを華麗にかわし、右京先生は逃げ出した。


「っていうか桃花は右京先生の連絡先知ってるのか?」


「うん。数少ない女性棋士だし仲良くしたいからって、順位戦の後に連絡先教えてもらったんです」


 いつの間にか、仲良くなっていたのか。

 しかし、桃花の周りは、羽瀬覇王・名人といい、右京元女流五冠といい、大物が集まるな。



「しかし、女子会って何やるんですか姉弟子? って、寝てるし……」


 さっきまで騒がしかったのに、ちょっと目を離した隙に旅館のロビーのソファで姉弟子が眠りこけている。


「まったく。部屋に運ぶぞ、手伝え桃花」

「はーい」


 タイトル挑戦者という主役の一人なのに、桃花が対局会場に着いてまず最初にやったのは、対局会場の下見でも、明日の対局に使う駒や将棋盤の検分でもなく、酔いつぶれた姉弟子を運ぶことだった。




◇◇◇◆◇◇◇




「いや、ごめんごめんマコ。つい、舞い上がっちゃって」

「あんまり粗相ばっかりするなら、給料減らしますよ」



「勘弁してよ~」

「しかし、前夜祭って、こんなに凄いんですね」


 部屋で一眠りして回復した酔っぱらいを尻目に、俺はきょろきょろと会場内を見渡す。


 旅館で一番の大きな宴会場ホールで、たくさんの人々が立食形式で談笑している。


「マコはタイトル戦の前夜祭って初めてなんだ?」

「はい。タイトル戦の副立会人もやったことがないので。思った以上に華やかですね」


「私も女流タイトル戦の経験はあるけど、やっぱり規模が違うね。あ、ワインください」


 姉弟子も、しげしげとビュッフェ形式でおかれた料理の数々を眺めつつも、ウェイターさんがトレーに乗せているお酒をしっかり受け取る姉弟子には、もはやつける薬はなさそうだ。


「いえ。今回は、通常のタイトル戦よりさらに、スポンサー様も会場提供いただく旅館様も気合が入っているという印象ですね」


 俺と姉弟子が喋っているところに、シャンパングラスを手に持った右京先生が話しかけてきた。


「あ、右京先生。そうなんですか?」

「ええ。それだけ、稲田先生のお弟子さんに、皆さんが期待を掛けているということでしょう」


「はぁ……右京先生、格好いいです……流石、私の憧れの先生」


 右京先生は、引き締まった身体のスタイルにぴったりとサイズがあったオーダーメイドのフォーマルスーツに、トレードマークのメタルフレームの眼鏡という出で立ちのため、棋士というよりはなんだか外資系コンサルティング会社で働いているような、謎の説得力がある隙の無さだ。


 まさに、女の人が憧れる、格好いい女性という感じだ。


「綾瀬さんのパーティドレスも可愛いですよ」

「キャーほんとですか? これ、女流棋士時代のドレスなんでちょっと今の私には若すぎて似合わないかと思ったんですけど」


 右京先生に褒められて、姉弟子が恥ずかしそうに、パーティドレスのスカートの裾を掴む。


 憧れの人を前になんだか、姉弟子はいつもより乙女って感じだな。


 今更、ぶりっこしても、さっき酔っぱらって大迷惑をかけているんだから、右京先生の姉弟子への印象は覆らないと思うのだが。


「そういえば、桃花先生は前夜祭はスーツではなく学校の制服なんですね」

「ええ。スーツを着ると、なんだか頑張って就活している女子大学生みたいになっちゃうから嫌だそうです」


 右京先生の問いかけに、俺は苦笑いしながら答えた。


「桃花先生は、大人びてるとはいえ、まだ中学生なんですものね。それで、セーラー服でというわけですか」


「正確には、今は4月なのでもう高校生なんですが、着納めだからって、中学のセーラー服にすると言って」


 入学式がまだだからという理屈らしい。

 まぁ、高校の制服は今後の対局でお披露目することになるし。


「マコ、あのセーラー服、実は新調した物なんだよ」

「はい⁉ この前夜祭のためだけにですか? 着る機会なんて、もう無いのに」


 学校の制服って結構生地がしっかりしてるから、結構高価なのに何やってるんだ⁉


 いくら、自身で稼ぎ出しているお金とはいえ、ここは師匠として、弟子の無駄遣いを注意すべきか?


「数年後に着る機会は結構あるだろうからだって」

「数年後に? どういう意味です、姉弟子?」


 学生時代の制服が、数年後になぜ役に立つのか?


「ほら、将来的にベッドの上で着てあげたら、未来の旦那さんが喜んでくれるからでしょ」

「なっ⁉ そんな事やらないですよ俺は!」


「ふーん。未来の旦那が自分っていう前提なんだ、マコは」


「ぐっ……」


 しまった、姉弟子に嵌められた。


「え……桃花先生と稲田先生って、既にそういう関係……」

「違いますからね! 姉弟子の悪ふざけですからね! 信じてください!」


 ドン引きしている右京先生に対して、俺は慌てて強めに否定した。


 ここはマジで否定しておかないと、俺が社会的に死ぬ。


「……これは連盟を飛び越えて、いきなり警察に通報を」


 まるで盤の前で長考する時のように、右京先生が深刻な顔で考え込む。

 ブワッと焦りによる汗が全身から噴き出す。


「ちょ⁉」

「まぁ、冗談ですけどね。桃花先生は、よく師匠の稲田先生の惚気メッセージを送ってくるので、知ってました」


 あっさりと冗談だと言いのけた右京先生は、いたずらが成功した子供のようにニンマリと笑う。


 さては、右京先生も酔ってやがるな。

 その手に持った、シャンパンは何杯目なんだか。


「いや、マジで心臓に悪いですってば……」


「けど、稲田先生って、桃花先生と半同棲してるんですよね? 交際していたらいずれバレるのでは?」


 酔っぱらいの悪乗りは続く。


「いや、右京先生。そこが弟弟子のずる賢い所で、中学生という年齢からして、むしろ保護者として師匠の自分の近くに住まわせたという体が成り立つんですよ」


「なるほど。大胆な犯行ってやつですね」


 もう一々否定するのが面倒になって、俺はその場でキャイキャイはしゃぎつつ俺をいじるのが楽しい酔っぱらいたちの餌食になった。


 なお、タイトル戦関係者との挨拶や会談のために、多くの人に囲まれた人垣の間から、



(ジト~~~ッ)




 と視線を飛ばす桃花に気づいたのは大分後だった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 婚前旅行は、「二人だけ」の縛りがありそうですからね。きっと大丈夫。 数年たつと、たっぱは伸びなかったとしても、どこかが色々ときつくなってきそうな…w
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