第35局 弟子への贈り物
(ピピピッ! ピピピッ!)
研究に没我している中、スマホが鳴っていることに、俺は鳴動するスマホの通知ランプにより、ようやく気付く。
『やっと出たなイナちゃん』
「なんだキョウちゃんか」
電話をかけてきた主は、新聞記者のキョウちゃんだった。
『桃花ちゃん五段昇段おめでとう!』
「……随分、回りくどい言い方するな。そうか、桃花は挑戦者決定戦で勝ったのか」
桃花の五段昇段。
それは、タイトル挑戦が決定した場合という、五段への昇段規定を桃花が充たしたことを意味していた。
なお、大半の棋士は、五段に昇段するのは通算勝ち数の規定によるものであり、桃花のようにデビュー1年目でタイトル挑戦という昇段規定を充たすパターンはほぼ無いと言っていい。
『イナちゃん中継観てないの?』
「観てたら気が気じゃなくなって、1日潰れるからな。情報をシャットアウトしてた」
『じゃあ、後で社として正式なコメント依頼するからね。とにかく、桃花ちゃんの棋叡戦のタイトル挑戦おめでとう。じゃあね』
そう言って、慌ただしくキョウちゃんからの電話は切れた。
「キョウちゃんはマメな奴だなほんと」
俺は、通話が切れたスマホを見ながら呟いた。
ガツガツ、師匠の俺のコメントを取りに来るでもなく、ただ御祝いの言葉だけを残していくとは。
商売っ気のない友人の心遣いが嬉しかった。
「さて、桃花のタイトル挑戦が決まったなら、あそこに行かないとな」
俺は、そのまま手に持ったスマホを操作し、あらかじめ仮予約を入れていた、とあるお店の連絡先を開いた。
◇◇◇◆◇◇◇
「ねぇ、師匠。どこ行くんですか~?」
棋叡戦のタイトル挑戦が決まったことで、またしても世間的なニュースとなり、色んな媒体への取材や出演をこなす慌ただしい日々が一段落した頃。
俺達は、電車でとある駅で下車して連れだって歩いていた。
「ん~? 桃花がタイトル挑戦するお祝いを買いに行くんだよ」
「え⁉ 師匠、もしかして区役所で婚姻届を」
「婚姻届は買うもんじゃないだろ!」
それとも手数料とかかかるのか?
出した事ないから解らん。
「お店ってこっちで良いんですか? 姉弟子」
「そうだよ」
俺は行ったことが無い店なので、経験のある姉弟子が先導してくれている。
「しかし、姉弟子が居てくれて助かりました。俺は、こういうお店を利用したこと無いし、ましてや女性のとなると」
「今日は私に任せなさい。あ、お金は全額マコ持ちだけど」
「そこは師匠なんですから、全部自分で出しますよ」
「あの……それで師匠。結局、どこで何を買うんです?」
俺と姉弟子のやり取りを隣で見ていた桃花が、自分だけ蚊帳の外になっているのに少し頬を膨らませながら抗議してくる。
「ああ、すまんすまん。これから、桃花の戦闘装束を買いに行くんだよ」
「私、これから戦場にでも行かされるんですか?」
「もっと、可愛く言いなよマコ。ほら、着いたよ」
姉弟子が立ち止まった店は、
『白玲呉服店』
と、漆塗りで屋号が書かれた、老舗感漂う呉服店だった。
いや、嘉永三年創業と江戸末期から続くお店なのだから、間違いなく老舗なお店なわけだが。
「どうもご無沙汰しておりました。綾瀬桂子先生」
「しばらくぶりです女将さん」
店の入口の前で、着物姿の女将がわざわざ出迎えてくれた。
白玲呉服店は、姉弟子が女流棋士時代にお世話になっていたお店なのだ。
「今日は、先にお伝えの通り、私の姪っ子弟子の着物の仕立てをお願いします」
「はい、お任せください。今を時めく飛龍先生の初めてのお着物を仕立てられるなんて光栄でございます」
「よろしくお願いいたします」
「師匠、私、今日はお財布にちょっとしか入ってないですよ……」
桃花が不安そうな顔で、呉服店に入るのを尻込みしている。
「安心しろ。俺からのプレゼントだ」
「え……師匠が私の着物を買ってくれるんですか⁉」
「弟子のタイトル戦には、師匠が着物を贈るのが棋界の習わしみたいなもんだからな」
「私も中津川師匠から、女流王棋戦で女流タイトル初挑戦の時に着物を仕立ててもらったな」
中津川師匠がやっていたなら、中津川一門である俺もそれに倣うのが必然だ。
「どの着物でも良いんですか?」
「俺には着物の柄の良し悪しが解らんからな。桃花が好きなのを選びな」
老舗の呉服店という事で、白玲呉服店の着物の種類は豊富だ。
店内には艶やかな振袖も展示されていて華やかで、女の子はワクワクするだろう。
「本当に何でも良いんですか師匠?」
「ああ、いいぞ。せっかく贈るものなんだから、桃花が、着れば思わずテンションが上がるような物にしろ」
事前に、姉弟子から着物と袴の大体の値段の相場を聞いているので、あらかじめ決心はついている。
正直、出費的には痛いが、タイトル戦という晴れの場に立つ弟子のためだ。
「じゃ……じゃあ、この呉服店で一番高い白無垢を」
「タイトル戦用だって言ってんだろ!」
結婚式で着る白無垢で対局するなんて、違う意味で伝説になる気か、この弟子は!
「え~、師匠、何でも良いって言ったじゃないですか」
「タイトル戦で着る着物と袴だ。使いもしない物を買うな!」
「白無垢では、正座するのに介助の人が必要なので対局には不向きかと」
白玲呉服店の女将さんが苦笑いしながら、やんわり軌道修正をしてくれる。
「ちぇっ いずれ使うからいいのに……」
「ちなみに白無垢ってお値段はいくらなんですか?」
やっと桃花が諦めたのに、なぜか姉弟子が話をほじくり返す。
そこ掘り下げるの止めてくれ姉弟子。
「何しろ、人生の晴れの舞台のものですからね。値段は天井知らずで、1枚でお車が買えてしまう物もございます」
「ヒエッ……」
俺も26歳になって、ボチボチ友人の中でも結婚する奴が出てきたのだが、結婚式とはやたら金がかかるとボヤいていたっけ。
恐ろしい……
「マコ。頑張って貯金しないとだね」
「さぁ、早速、振袖と袴を見せてください。タイトルは五番勝負ですから、上手く組み合わせて一式そろえないと」
姉弟子が意地悪く笑った後ろで、桃花が目をウルウルさせて『欲しい……』とおねだりする目で見てくるのを、俺は意図的に無視して、女将を促すのだった。
最近はインスピレーション用に女性用着物のページばかり眺めていたせいか、
卒業を間近に控えた女子大生と勘違いされて、卒業旅行プランなどがバナー広告で上がってきます。
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