第34局 一緒にホテル行こ? 師匠
「よし。折り返し地点だが良い感じだ」
俺は連盟のホームページに載っている、自身が所属するB級2組の順位戦の白星表を見ながらつぶやいた。
俺は現在、クラス内順位は暫定1位だ。
「師匠、調子いいですね」
「そうだろ」
今日も今日とて家で練習対局をした後の雑談の時間で、桃花が絡んで来る。
「ただ、順位戦以外は、軒並みダメでしたね」
「それを言うな……」
正直、今期の俺は順位戦に全振りの状態だ。
別に他の棋戦の対局を蔑ろにしている訳ではないのだが、渾身の研究は順位戦にぶつけるし、長い対局時間の順位戦に身体をシフトさせているため、持ち時間が短い形式の対局は、今期は軒並み敗退してしまっている。
まぁ、そのおかげで、たっぷり研究の時間がとれている訳だが。
「師匠も、棋叡戦の段位別予選に勝ち上がってれば、本戦で当たってたのかもしれないのに」
「六段は人数多いのに、四段と同じで予選1位しか本戦出れないからキツイんだよ」
しかし、桃花はデビュー年にいきなり、タイトル戦の本戦か。
俺、棋叡戦の本戦出た事ないのに……
「対局の時に横にお菓子が置いてあって、自由に食べれるから棋叡戦は好きです」
「俺は、もう食べ飽きたんだけど……」
「師匠。スポンサー様のご厚意なんですから。ちゃんと食べてください」
「桃花ちゃんが対局中に美味しそうに新商品のお菓子を食べる姿がネット中継されて、売上倍増だって。スポンサーのお菓子メーカーさんが喜んで、お菓子を箱で贈ってくれたもんね」
俺と姉弟子がゲンナリする中、今日も桃花は食後のデザート代わりにお菓子を頬張っている。
食べ盛りって凄い。
「これから本戦トーナメントだけど、もし桃花が棋叡戦のタイトル挑戦者になったら、どうなるんだろうな」
「ね。スポンサー様が張り切って、本戦に勝つたびに箱で送ってきそうだね」
そう言って、俺と姉弟子は顔を見合わせながら、乾いた笑いをこぼす。
これが、11月頃の話だ。
そして現在、年が明けて1月。
「ねぇ、姉弟子……お菓子の箱、また今度保育園に持って行くから手伝ってください」
「うん分かった……これで、ようやく引き取り手がついて家の在庫は1箱になったね」
うず高く積まれている、お菓子が詰まった段ボール箱が俺の書斎の一角を占拠している状態がようやく解消される目途が立った。
「明日の棋叡戦の挑戦者決定戦のための新幹線の出発時間は何時です?」
「16時の新幹線。桃花ちゃんの学校が終わって帰ってきたら、すぐ出発できるように。朝の内に準備しておいた」
「マネ-ジャー業が板についてきましたね姉弟子」
「桃花ちゃんが挑戦者に決まったら、各テレビ局や新聞社からまた取材が殺到する見込みだから、マコも覚悟しといてね」
「この日が来ることは解ってたけど、まさか中学生の内にここまで来るとはな……」
姉弟子からの言葉に、俺は感慨深げに想いを馳せる。
「おまけに棋征戦も順調に勝ち上がってるからね」
「来年度は、タイトル戦にもフル参戦ですから、もっと忙しくなりそうですね」
「うへぇ~」
姉弟子が、苦笑いするが、別に本気で仕事が増えることが嫌な訳ではなさそうだ。
棋士が忙しいというのは、それだけ各棋戦のトーナメントを勝ち上がっているという事を意味するので、棋士としては嬉しい悲鳴なのだ。
「ただいまぁ~」
玄関ドアがガチャリと開き、桃花が少し息を切らしながら帰って来た。
「おかえり。寒くなかったか?」
「新幹線の時間もあるし、急いで走って帰って来たから平気です。あ、でもやっぱり耳が冷たいです。師匠の手の温もりで温めて」
「タイトルへの挑戦者決定戦の前日だって言うのに、相変わらず桃花は緊張感がないな」
寒さで少し鼻と耳が赤い桃花だが、普段通りのテンションだ。
「ねぇ、師匠ぅ~ やっぱり師匠も一緒に行きましょうよ~」
「何度も言ってるだろ。順位戦が近いし、テレビや新聞社の取材対応があるから無理だって」
「私が負けるとしたら、師匠成分欠乏症が敗因なんですから。ね? 一緒にホテル行こ?師匠。ホテル代は私が出すから」
「……ホテル代おごるって言う女子中学生は、多分、地球上でお前しかいないな」
「ねぇってば~ 師匠ぅ~ あ、何か欲しい物ある? ブランドバッグ? 腕時計? それとも高級包丁セット? お姉さん、何でも買ってあげちゃうよ」
「パパ活おじさんみたいなこと言うな!」
まったく、どこでそんな言葉覚えてきたんだか。
ただ、最後の高級包丁セットには、正直ちょっぴり心を揺さぶられた。
この弟子、ふざけているように見せかけて、きちんと師匠の俺の好みも把握してるから、たちが悪い。
「って、そろそろ時間だ桃花ちゃん、出発するよ」
「あ~ん、師匠ぅ~! あ、夜にホテルからWeb電話して、遠距離恋愛カップルごっこしますからね! 絶対に出てくださいね!」
「はいはい。行ってらっしゃい」
15歳という、史上最年少でのタイトル挑戦者となるかもしれない大一番の前日だというのに、本当に全然緊張感がないなと思いながら、俺は弟子と姉弟子を見送った。
◇◇◇◆◇◇◇
(ティロリン♪)
【飛龍桃花さんが通話ルームに入室しました】
「師匠やっほぉ~」
「遅いぞ桃花。約束の時間より10分も遅れてる」
その日の夜。
風呂も先に済ませて約束の時間にパソコンの前でスタンバイしていたというのに、言い出しっぺの桃花がなかなか通話ルームに入ってこなかったのだ。
「ゴメンね師匠。シャワーがちょっと長引いちゃって」
画面の向こう側の桃花は、いつものパジャマ姿にブラシで髪を梳かしながら謝ってくる。
「姉弟子はどうした?」
「ケイちゃんなら懇意にしてる飲み屋さんに行ってくるって出かけて言ったよ」
「まったく、あの人は……付き添いの自覚があるのか?」
「逆だよ師匠。ケイちゃんは、私と師匠の2人きりの時間を邪魔しないように、気を使ってくれてるんだよ」
桃花は、そう笑いながら言うが、多分、姉弟子は本当に飲みに行きたいだけだと思う。
まぁ、大事な対局の前はピリピリしたりしている物だから、1人の時間というのも必要ではあるのだが。
「明日の準備はもう出来たか?」
「うん。今日の内に飲み物とかも買っておいた。最近は将棋会館の最寄りのコンビニに、マスコミやファンの人が張ってるから、事前に買っておくようにしてるんだ」
「そうか……」
桃花への世間の注目度は、日に日に増していく一方だ。
最初は女子中学生棋士という、マスコット的あるいはアイドル的な可愛さで人気を集めていたが、いざ棋戦に参戦してくると、名立たる棋士を薙ぎ倒しながら上へ上へと駆け上っていく強さに皆が魅了されだしている。
今や、将棋界の枠を超えたお茶の間の人気者だ。
「そうだ。今日は学校でね~」
そこから桃花が学校での他愛ない話を話し出す。
友達のこと。
高校受験の日が近付いてきてクラス内が少しピリピリしだしたこと。
自分は、既に進学先が決まっているので、率先して周りのクラスメイトの勉強を見てあげたり、助っ人で手伝っていた女子バスケ部に顔を出していること。
「こうやって話してると、桃花って本当に中学生なんだよな~」
テレビスタジオで堂々とスポットライトを浴び、名立たる棋士を薙ぎ倒していく姿ばかりが目につくが、こうして話すと桃花もただの中学生なのだ。
「私は中学生棋士なんて呼び名、嫌いでしたけどね」
「え⁉」
思いもかけぬ言葉に、俺は思わず絶句してしまう。
中学生棋士というブランド。
未来の名人と周りから目されることのプレッシャー。
いずれも、俺は経験なんてしたことがないが、やはり想像以上に重く桃花にのし掛かっていたのだろうか……
「だって、中学生じゃ師匠と結婚できないし」
「そこかよ……」
心配して損した。
やっぱり桃花は桃花だった。
「あーあ。中学を卒業して高校生になっても、まだ師匠と結婚できないな~」
「法律上、結婚は男女とも18歳以上だからな」
「話に聞くと16歳で結婚できる国もあるみたいなんですよ。師匠、試しに国籍変えてみません?」
「サブスクの30日間お試しみたいに軽く言うな。俺は今のところを離れる気は無い」
「師匠って、名古屋好きですよね」
「……離れられない事情があるからな」
俺は、そこで曖昧な言葉で区切って、手元にあるホットのほうじ茶が入ったカップに手を伸ばす。
これは、俺がこの話題は止めようというサインだ。
「私の実家みたいに、田畑がある訳ではないですよね? 師匠のご両親はすでに鬼籍ですし」
しかし、桃花はあえてそこを踏み越えてくる。
すでにツーカーの仲なのにこれは珍しい。
ただ、いつかは話さなければならないことだと、俺は一度閉じようとした口を開いた。
「……まぁ、保育園の副業を知っている桃花には話してもいいか。俺が今勤めている保育園は、俺の母が開設した園なんだ」
「え、じゃあ、あの保育園って師匠がオーナーなんですか?」
「とは言え、俺は棋士で、保育園の運営は出来ないから里美園長先生に全てお願いしちゃってるんだがな。里美先生は俺の母親と昔からの同僚で仲が良くてな。その縁で、あの園の運営をお願いしているんだ」
「じゃあ、独り身の師匠がわざわざ名古屋にいるのは……」
「想い出の詰まった園の側にいたいからだ」
これが、俺がこの場所に留まる理由だ。
桃花が名人になるのを阻止するために、自分が名人になるんだと心の中では言っていても、そのために全てを投げうつ覚悟もない。
それが、どうしようもない稲田誠という男の正体だ。
「なるほど。じゃあ、私も名古屋に永住確定ですね」
「いや、何でだよ! 今はともかく、高校卒業したら東京か大阪に住めばいいだろ」
「さっきも言ったじゃないですか。私は師匠成分が無いと生きられないんですから」
だから、その師匠成分って何だよ。
「俺のもとから離れる気は無いと」
「はい。諦めてください」
まぁ、天才には天才のコンディショニング術があるということなのか。
実際、棋士1年目でタイトル挑戦の直前まで来ているという結果を見れば、文句は言えないか。
「なぁ……いい機会だから聞きたいんだけどさ」
「なんです? 師匠」
「なんで桃花は俺のこと、そんなに好きなの?」
「……面と向かって結構、恥ずかしいこと聞いて来ますね、師匠」
「画面越しだからかな。なんか聞けた」
桃花が顔を赤らめているのは、風呂上がりだからという訳ではないだろう。
「顔が赤いですよ師匠。お酒飲んでます?」
「顔が赤いのはお前の方だろ。それで、どうなんだ?」
俺は照れ隠しで、桃花を追及する。
「弟子入りしてすぐの頃は、そんなでも無かったです。若いお兄さんの師匠だな~ くらいの印象で」
「うん」
「けど、その内……って、もう恥ずかしいです! この話はなし!」
「何だよもう」
「私、明日は大事な対局なんですからね! 師匠なのに弟子の動揺を誘うようなこと言わないでください!」
「それを言われると、こちらも矛を納めざるを得ないな」
棋風も恋も普段は押せ押せな桃花にしては珍しい、盾を挟んでの敗走だった。
けど、珍しい桃花の反応を引き出せたから、今宵は俺の勝ちだな。
「師匠……これだけは言っておきます。私は、稲田先生の弟子で幸せです。じゃあ、お休みなさい師匠」
いつもは、こちらがウンザリしてくる位、長時間通話になるのだが、今日は珍しく桃花の方から切電された。
「俺の弟子で幸せです、か……それは、俺もだよ。桃花」
俺は切れた後の パソコン画面の【退室しました】メッセージウインドウに向かって届かない答えを返した。




