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第33局 師匠……子供いた……

【桃花視点】


「あー、やっと追いついた……」


 ケイちゃんが、ぜいぜいと荒い息を吐きながらようやく追いついて来た。


「いや、よく桃花ちゃんは自転車と同じペースで走れたね。ゲホゲホ」


「…………」


「って、桃花ちゃん、どうしたの? ていうか、この場所って……」


 私が何の反応も示さない事を不審に思ったケイちゃんが訊ねる。



「ケイちゃん……師匠……子供いた……」



「はい⁉」

「途中、家に寄って女の子を自転車の荷台に乗せて、この保育園に入って行った」


 保育園を指さした私の手は、きっと震えていただろう。


「シングルマザーとの恋…… それとも別居婚……」


 子供を乗せる電動自転車。

 保育園への送り届け。


 導かれる答えは、私にとって、どうあがいても破滅的なものだった。



「うーん流石に、これは私も想定外だな……。これからどうする?」


 ケイちゃんがボリボリと頭をかく。


「決まってます。保育園への送り届けが済んで、出てきた師匠を拘束して尋問します」


「くれぐれも、刀傷沙汰はやめてね~ あ、これアンパンね」

「いただきます」


 闘気をまとった私は、これからの闘いに備えて、電柱の陰に隠れて保育園の門から目線を切らないでアンパンを頬張る。


 どうして尾行にアンパンを? と思いましたが、なるほど。


 対象を見失わずに、あんこで糖分補給をして脳に栄養を送り、そして満腹で眠くならない、まさに張り込みにはうってつけの食べ物というわけですね。美味しい。


「待ってろよ師匠ぅ~」


 私は保育園という平和と幸せの象徴のような場所に、怨念のこもった視線を向け続けた。




◇◇◇◆◇◇◇




「師匠、出てこないですね……」


「特に、保育園には裏口もなさそうだから、ここから出てくると思うんだけどね」


 あれから30分ほどが過ぎ、続々と他の園児たちも親たちに連れられて登園してきて、子を預けた親たちは園から仕事へ向かってと、出入りが激しくなっているのだが、師匠はまだ出てこない。


「帰りは自転車じゃなくて徒歩だから見落としたかな?」

「私が師匠を見落とすわけないです」


「即座に迷いなく断言できるのは凄いな~」


 私は、まるで将棋の対局の大事な選択の場面で盤面をガッツリと見つめる時ばりの集中力で、保育園の門のあたりを注視していた。


 集中していたので、もうお腹が空いて来ました。

 やはりアンパン1個では足りなかったか……。


「ん?」


 少し雑念に囚われていて見落としかけていましたが、保育園の門から保護者とは違う人が出てきました。


 エプロンを着た、快活そうなお姉さん。

 出で立ちからして、この保育園の保育士さんだろう。



「かわいい人だな……」



 背が小っちゃくて、きびきびと動いているお姉さん保育士さんを見て、私は思わず独り言を呟く。


 長身の部類に入る私にとっては真逆のタイプの女性だ。


 他に動きもないので、彼女のことをジロジロと見ていると、一瞬だけ目が合った気がしたので、顔を背けた。


 尾行のために、ランニング用のサングラスをかけてるから目線は気取られていないと思うけど……


「ケイちゃん、念のため、少し移動しましょう」

「何か、張り込みのやり方がプロっぽいね」


 私は、ケイちゃんに声を掛けてその場を一旦立ち去る。


 そして、角を曲がってすぐの所で少し時間を潰して、再度元の電柱の陰に戻る。

 戻ったら、保育園の門にはさっきの保育士のお姉さんは居なかった。


「ふぅ、一安心」


 監視ポジションに戻って一息ついて再度、私は保育園の門へ視線を集中する。


 この時、自身の守備の意識を完全に失念していた事は、棋士としてまさに痛恨の極みだった。



「おはようございます。ちょっとお話いいですか~?」



 予想外に声を掛けられ、完全に先手を打たれた私は焦って声の方を振り向く。


 すると、そこには……



「警察です。お姉さん達、保育園に何か御用事ですか~?」



 口調は柔らかだけれど、ゴツイ防刃チョッキと制服姿の女性警察官が声をかけてきた。


 警察、職務質問。


 あれ……なんか、この光景デジャブ………

 違うのは、今回は師匠じゃなくて私とケイちゃんが不審者扱いって所かな。



「違うんです! 私は!」


「はいはい。ここでお話すると園児さんたちが不安になるから、署の方へ行きましょうか~」


 私は、慌てて保育園の門の方を見る。


 すると、そこには……


 不安そうな顔で、女の私でもつい守ってあげなくちゃ……と思わされるような小動物的な可愛さを持つ、先ほどの小柄で可愛い保育士のお姉さん。


 そして、そのお姉さんを背後に庇い、まるで不審者からお姫様を護るナイトのように佇む……


「ちょっと! 師匠! 何やってんの!」


 警察に職務質問されていることも忘れて、私は往来で大声を張り上げてしまった。




◇◇◇◆◇◇◇




「まったく……何やってるんだ桃花」

「シュン……」


「姉弟子もですよ。なに、面白がって一緒になってふざけてるんですか」

「シュン……」


 あの後、警察へ師匠が釈明して平謝りして帰ってもらい何とか署に連れて行かれずに済みました。


が、当然そのまま無罪放免とはならず、私とケイちゃんは保育園の廊下で正座させられて、師匠からお説教を受けていた。


 だが、こちらにも色々と言い分はあります。


「師匠、酷いじゃないですか……師匠が警察に御厄介になりかけた時には助けてあげたのに、私のことを警察に通報するだなんて」


「保育園は、中学校より更にセキュリティレベルが高いんだ! 園児の親族でも離婚問題からの連れ去りがあったりするから、不審者は即警察へ通報することになってるの!」


「っていうか、根本的な疑問なんですが、師匠のその格好……師匠って保育士さんとして働いてるんですか?」


 私は、上手く師匠のお説教モードの矛先を逸らすために、あえて後回しにしていた一番大きな疑問点を投げかける。


 師匠は、普段の料理用のエプロンではなく、幼児アニメのキャラのアップリケがついた可愛らしいエプロンを纏っていたのだ。


 この姿の師匠は貴重だ。後で写真撮ろう。


「……まぁ、バレちゃったらしょうがない。ここで俺は、保育介助の仕事をしてるんだ」


 ポリポリと頭を掻き、少し恥ずかしそうにしながら師匠が答える


「保育士とは違うの?」

「まぁ、端的に言えば保育士資格は持たないバイトですよ。俺は主に早朝のシフトに入ることが多いんです」


 ケイちゃんの問いに、師匠が端的に答える。


「それで、朝早くに外出してたのか」

「夏だけど季節外れのインフルエンザが園内で流行りまして……園児たちは回復して登園しだしたんですが、今度は親や保育士先生たちが感染してバタバタ倒れたもんだから、ピンチヒッターで連日俺がシフトに入ってたって訳です」


 師匠からもたらされた情報により、今までの謎が次々と連鎖的に解けていく。


「じゃあ、朝に自転車で送ってた園児は……」

「葵ちゃんのことか? 葵ちゃんの所は、子供以外、一家がインフルエンザで全滅したから、先に回復した葵ちゃんの送りを代わりに請け負ってたんだ。自転車は葵ちゃんの家のを借りてる」


「良かった……師匠の隠し子じゃなくて……」


 私は大きく息を吐いて、正座をくずして床にへたりこんだ。

 緊張の糸が解けて身体から力が抜けたのだ。


「お前は妄想の方向が飛躍し過ぎなんだよ」

「さっき園の前で張っている時は、師匠の愛した子なら私もあの子を母として愛せるから、15歳の母になる決意を固めかけてました」


「重い選択を、そんな軽々に決断するな!」


 だって、私の中に師匠と結婚しない未来なんて存在しないんだもん。

 そりゃ最初は驚いたけど、隠し子ごときで師匠への気持ちは変わらない。


「だいたい、師匠が悪いんですよ! コソコソして、ちゃんと私に説明しないし」

「それは……この仕事をしてるって言うのが恥ずかしかったから……」


「別に、棋士は副業OKですよね? 個人事業主だし」

「士業や大学で研究してる棋士の先生もいるね~」


 私の疑問に、ケイちゃんが答える。

 そう。棋士が、副業をすることは別にルール違反でもない。


「いや、俺が保育士とかガラじゃないだろ? それに、棋士としての成績も凄い訳じゃないのに副業なんてしてる場合かって、世間的にお叱りを受けるかもだし……」


「でも、保育園の仕事は立派な人の役に立つものです。棋士だけでなく、別の方面でも社会の役に立っている師匠は凄いと思います。弟子として、尊敬します」


「そ……そうか」


 私の率直な言葉に、師匠は、意外という顔をして少し照れくさそうにする。


 あ、何か良い雰囲気かも。

 師匠の秘密を共有出来ましたし、これは確実に好感度アップイベントですね。


 ここで包容力のあるところを見せて、師匠からの好感度を荒稼ぎしておかないと。


「わー、有名人の桃花ちゃんだ。テレビで観た事あるけど可愛い~。え、師匠って呼ばれてるって事は、桃花ちゃんがマコ先生のお弟子さんなんですか?」

「ええ、そうですよ。さゆり先生」


「マコ先生って棋士だったんですね」

「前から、何度も説明してたんですがね……」


 師匠が苦笑いして、さゆり先生とやらとホンワカなやりとりをおっぱじめる。

 先ほどの、師匠が背後にかばっていた保育士先生だ。


「そこ! なにイチャイチャしてるんですか!」


 先程の包容力云々の戦略計画は即座にかなぐり捨てて、新たに沸き上がった問題に対して、私は全力で対処する。


「なに大声出してるんだ桃花。さゆり先生は、この園で俺がお世話になってる先輩の保育士先生なんだぞ」


「妙齢の2人が下の名前呼びとか不埒です!」


「保育園の先生同士は、そういうもんなの!」

「アハハッ。心配しなくても、師匠のことは盗らないよ桃花ちゃん」


 今のやり取りだけで、色々察したっぽいさゆり先生は笑いながら、自分は無害な存在だと言うが、油断ならない。


 私のようなパーフェクト美少女天才棋士の私が敗れるとしたら、こういう守ってあげたい系ほんわか女子なのだ。


 師匠の秘密が知れて一安心ですが、またしても新たな悩みの種が生まれてしまった。

 これは、やっぱり興信所に定期的な調査を依頼するべきかな?


 そんな事を考えていると、後方から謎のプレッシャーが襲って来た。



「マコ先生、さゆり先生。随分はしゃいでますけど、今は他の先生方が感染症で倒れて大変な時だって解ってますよね?」


「「あ……里美園長先生……」」


 ニコニコとしながらも多大なプレッシャーを放つエプロン姿のご婦人に、師匠も小動物系お姉さん先生もタジタジになっている。


 私の棋士としてのカンが、この人には逆らってはならないと頭の中で警鐘を鳴らします。


「ちょうど良かった。あなた達も手伝って」


「え……」


 師匠が小さくなっている貴重シーンが見れた喜びも束の間。

 結局、私もケイちゃんも捕まってしまった。


 その後、私とケイちゃんはたっぷりと園児と遊ぶことになった。


 保育園を手伝った感想は、本当、子供ってエネルギーいっぱいだなって事。


 なお、翌日。

 ケイちゃんは全身筋肉痛で動けなくなった。


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― 新着の感想 ―
[一言] すでにヤンデレの気配も…w 副業の事、今まで隠し通してきていたんですね。
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