第30局 中学生棋士の進路指導
「じゃあ、飛龍さんは高校へ進学を希望されるんですね」
「うん、そうだよ。鈴ちゃん先生」
「三者面談で、その呼び方は止めてね飛龍さん」
対面に座った鈴ちゃん先生こと、担任の岩佐先生が苦笑いしながら、桃花をたしなめる。
「今回の面談はご両親でなく、稲田先生なんですね」
「進路となると、将棋の事も不可欠だからと、ご両親から一任されまして」
俺も、最初は固辞したのだが、農作業の繁忙期だからと押し切られてしまった。
「なるほど。それで、飛龍さんなんですが、たくさんの全国の高校から特待推薦の話が来ています」
「おー、スポーツで全国から生徒を集める特待入学みたいなものですね」
以前にも、推薦の話がいくつか来てると、桃花が自慢してたな。
まぁ、部活動とは違うが、将棋も課外活動の一部みたいな形で評価されているのだろうか。
「いえ……ただの入学金や授業料免除の申し出ではありません。入学支度金の準備があるという話が幾つかの私立高校から来ています」
「支度金?」
何だか受験の時に聞きなれないワードだ。
俺も、ピチピチの20代で子育てに明るい訳ではないから、俺が知らない最近の受験の常識なのだろうか?
「要は、契約金みたいなものです。我が校に入学してくれた暁には、支度金として高校側が入学準備の名目でお金を渡すと。プロの野球選手やサッカー選手の契約金みたいなものですね」
「……つまり、入学金や授業料等が無料どころか、むしろ高校側がこちらにお金を払ってくれると?」
「凄いところは、四桁万円の金額を提示してきている学校もあります。新設された私立の高校です」
「四桁万円で入学してくれと高校が桃花にオファーしてきてるのですか……」
「私はもちろん、他のベテラン教諭の方も聞いた事がない話だそうです」
なんだ、そのアベコベ世界みたいなの……
普通、受験って言うのは、こちらが切望して、何とかかんとか入れてもらうっていう形じゃないのか⁉
しかし、高校に入学するだけで四桁万円か……
プロ野球選手並みの契約金じゃないか。
ちなみにプロ棋士は、別に四段になっても何も貰えないので、契約金というのはまさしく隣の芝の話なのだ。
「そうですか。その手の推薦のお話は全てお断りしてください」
「え⁉ いいのか桃花?」
大金の話なのに、即座に断る意志を示した桃花に、貧乏性の俺はつい聞き返してしまう。
「こういった推薦の話に乗ると、高校の客寄せパンダとしての仕事が降りかかってくるそうなので行かない方が良いと、羽瀬さんから教えられてたので」
「羽瀬覇王・名人にそんな事を教えられてたのか?」
「はい。自分が中学生棋士として世間からもてはやされた時にも、その手の話がたくさん来たから気を付けろとアドバイスしてくれました」
そうだったのか……
やはり、同じ中学生棋士として名を馳せた実体験に基づくアドバイスは的確だな。
師匠の俺が、ついお金に目がくらんでしまうなんてザマァない……
「じゃあ、飛龍さんは普通に受験するのね。成績的に見れば、ほぼオール5に近いからトップクラスの高校も狙えると思います」
「高校は将棋の活動に理解のある高校にしようと思ってます」
「なるほど。しかし、飛龍さんはやっぱりしっかりしてるわね。もう、自分の進む道を決めてるから、迷いがないね」
「はい。将来は師匠のお嫁さんになるべくガンバ……もがっ!」
「岩佐先生、本日はありがとうございました」
桃花が失言をする前に、俺は手で桃花の口を塞いで席を立たせて、訝しそうに見ている岩佐先生にペコリと礼をして足早に教室から去って行った。
◇◇◇◆◇◇◇
「なるほど。では、桃花先生は高校に進むのですか」
「はい」
「桃花にアドバイスをしていただいたようで、ありがとうございます羽瀬先生」
我が家にわざわざ羽瀬覇王・名人が新幹線で来て行う研究会は、現在月に1回程度のペースで行われ、恒例行事になりつつあった。
今は、感想戦も終わってリビングで、コーヒーと羽瀬覇王・名人が持って来てくれたお菓子で一息ついている所だった。
最初にあんな事があったので、今は憧れの人相手でも、変に緊張せずに割とざっくばらんに話せるようになった。
ただ、初回の時のようなバタバタは御免なので、姉弟子が事前に羽瀬覇王・名人のスケジュールを確認してくれている。
「これから桃花先生も夏休みですから、将棋に全振りできますね」
「まぁ、学校の友人たちは受験勉強や部活の最後の試合に向けた練習で忙しくて、一緒に遊んでくれないですからね」
桃花は苦笑いしながら、答える。
ここら辺は、すでに棋士になって将来が決まっている自身と、将来の夢すらあやふやな、周りの大多数の同年代とは話が合わないという寂しさも感じているようだ。
「それでしたら、夏休みになったら、東京の我が家へ来ませんか? 桃花先生」
「ぶふっ‼」
俺は、思わず飲んでいたコーヒーを吹き出しかけた。
「師匠、汚いですよ」
「いや……すまん」
いや……だって師匠の俺がいる前で、堂々と弟子の桃花を家に誘うとか何なの⁉
「うちの父も母も挨拶したがっていますしね」
「ぶふぉっ!」
「だから、師匠。さっきからはしたないですよ」
「羽瀬先生……桃花はまだ中学生ですよ。そこの所、解ってますか?」
桃花からのたしなめる声は無視して、俺は羽瀬覇王・名人を問い詰める。
この人も、天才のご多分にもれず、かなり世間や一般常識から乖離している。
「……? 私は、東京に武者修行がてら我が家に研究会で来て欲しいという話をしたのですが。私は実家住まいですから、父母もいますし」
「あ……そっちの……」
「そっちって、師匠は何と勘違いしてたんです?」
「子供は知らなくていいの」
ぶすくれて追加のお菓子に手を伸ばす桃花を尻目に、羽瀬覇王・名人が話を続ける。
「桃花先生も順当に各棋戦の予選を勝ち上がってはいますが、まだ1年目である今年は一次予選が始まっていない棋戦もあって、スケジュール的にも余裕があるはずです。良ければ、泊りがけで研究会をしましょう」
「……それって、羽瀬覇王・名人のご実家に桃花が泊るということですか?」
「ええ。無駄に広い家なので、部屋は余りに余ってますから」
そこまで、羽瀬覇王・名人は桃花のことを買ってくれているのか……
しかし、中学生だとは言え、女の桃花が羽瀬覇王・名人の家に寝泊まりしているというのは、マズいんじゃないだろうか?
マスコミに写真でも撮られたら、スキャンダラスに書き立てられてえらい騒動になりそう。
「解りました。考えておきます」
「連絡お待ちしてます。では、私はそろそろお暇します」
「…………」
俺は、上の空で羽瀬覇王・名人が帰るのを見送った。
◇◇◇◆◇◇◇
あの後、俺は書斎の机に座って一人考え込んでいた。
考えていたのは、先ほどの羽瀬覇王・名人のお誘いについてだ。
桃花の棋力向上としては、願っても無い話だ。
現在、序列1位の羽瀬覇王・名人と練習対局を集中的に行う事のメリットは計り知れない。
なので、純粋に師匠としてなら諸手を上げて賛成すべきなのだが、どこか心の内で何かが引っかかっている感覚がしているのだ。
何なんだろう、この感覚……
独占欲って奴なのか?
弟子だから? それとも桃花が異性だから?
まるで難しい詰将棋が解けない時のように、俺は頭を抱えて悶える。
答えに向かおうと幾通りものルートを模索するが、その都度、何か別の物が横槍に入って来て邪魔をしている感覚だ。
(コンコンッ)
「師匠、入っても良いですか?」
「お……おう、入っていいぞ」
珍しくノックをして、居住まいを正した桃花が書斎に入って来た。
俺も釣られて慌てて居住まいを正す。
「先ほどの羽瀬先生の提案された、東京の短期合宿の話、お受けしようかと思います」
「そ……そうか」
俺は何事も無いように装いながらも、心の中では桃花の出した答えに何故か少しショックを受けていた。
「ちょうど、東京の高校見学もありますし」
「東京の高校……」
ここで、思いもかけぬ追加要素が飛び込んできた。
東京の高校に通う。
それは、桃花がこの名古屋にある家を出るという事を意味している。
「はい。では、スケジュールは、さっきケイちゃんに確認したので、羽瀬先生にお返事しておきます」
「ああ」
桃花が書斎を出た後に、俺は今度は書斎の机に突っ伏した。
「桃花、東京に行っちゃうのか……」
俺は、ボソッと独り言を呟いた。
いや、別に師匠と弟子の関係が途切れるわけではない。
棋士でも、関西将棋連盟所属だった棋士が、拠点を関東に移すので、東京将棋連盟に移籍するという事は良くある。
東京在住の方が、将棋会館の対局場に行くにも当日移動で便利だし、地方の会場に出向く際も交通の利便性が高い。
おまけに、都内在住の棋士は多いので、練習対局や研究会の相手には事欠かない。
桃花のことを思えば、選択肢としてはむしろ師匠として、背中を押すべき場面なのだ。
だけど……
「あ~~! どうすりゃいいんだ」
頭の中がグチャグチャで俺は頭を掻きむしる。
と、ふと1人きりのはずの書斎なのに、何やら背後に気配を感じた。
俺は、後ろを振り向くと。そこには
『ニマァ~~』
という声が聞こえてきそうな、口角を上げて嬉しそうな顔の桃花が、書斎のドアの隙間からこちらを覗き込んでいた。
「……おま! 桃花、いつから覗いて!」
「あ、羽瀬先生ですか? 桃花です。先ほどの、羽瀬先生のお宅での研究会なんですが、うちの師匠と一緒でのお泊りならOKです。はい、よろしくお願いします」
俺が詰め寄ろうとしたのを見越してか、桃花は即座に手に持ったスマホで羽瀬覇王・名人に電話をかけて、ブロックする。
「お前な……」
「うふふ。師匠ったら、本当は私のことめっちゃ好きじゃないですか」
嬉しそうにニヤけた顔が戻らない桃花は、自分でも顔がふにゃけているのを自覚しているのか、頬を手で持ち上げるが、それ以上にふにゃけているのが止まらないようだ。
「だから、そういうんじゃ」
「はいはい。私は解ってますからね師匠ぅ~♪」
そう言って、ルンルン♪とスキップしながら桃花は自分の部屋へ戻って行った。
俺自身がよく解っていないのに、桃花は俺の何を解っているというのだろうか?
まったくもって謎である。
高校入学時の支度金云々は藤井先生が実際に高校進学時にオファーがあったそうです。
某N高校は数千万円の金額を提示したとか。
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