第29局 師匠の覚悟
桃花と右京五段との対局は、桃花の勝利となった。
C級2組の順位戦、まずは白星スタートを切れたという所だ。
解説として出演した地元テレビ局の報道番組で、俺も弟子の桃花の初対局を見届けた。
やはり、師匠としては、弟子が公式戦でプロ棋士として対局している所を見るのは、感慨深いものがある。
みたいな事をコメントしたら、翌日の今日の新聞にも、師匠からの感想という事で紙面に書かれていた。
桃花が小学生の頃からの付き合いなのだから、最早半分親代わりのようなものだし。
無事にテレビ出演の仕事を終えた俺は、翌日に家に帰ってくるであろう、桃花と姉弟子と入れ違いで東京の将棋会館へ向かい、こうして対局室にて相手を待っている。
今日は、俺のB級2組の順位戦の初戦だ。
将棋の順位戦は名人を頂点として、A級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組の5クラスに分かれている。
俺は真ん中のB級2組に在籍している。
なんだ、日頃は桃花に偉そうにしている癖に、真ん中のクラスかとお思いかもしれないが、各クラスの構成人数が全く違う。
例えば、桃花のいるC2は約40名、1個上のクラスのC1で約30名が在籍している。
フリークラスの棋士を除いて、実に3分の2近くの棋士はC級に在籍しているのだ。
そういう意味では、若手の年齢である25歳でB2に在籍しているというのは、自分で言うのもあれだが、結構いい線を行っているのだ。
これは、俺が長時間の持ち時間である順位戦と相性が良いからである。
そして、個人的にもう一点ありがたいのが、順位戦の昇級は必ず年に1回、1つずつしか上がらないという性質である。
他のタイトル戦が、そのシーズンの当該棋戦の予選を勝ち上がり続ければ、新人棋士だろうが挑戦者の切符を手に入れることが出来るのに対し、名人戦の予選である順位戦は、名人への挑戦権を得られるのは、A級順位戦を勝ち上がった者のみだ。
そしてA級に辿り着くには、毎年1クラスずつ上がっていくしか手が無いので、どんなに優れた棋士でも、最短で名人挑戦までC2からA級の5年間が必要になる。
このおかげで、俺は桃花との約束の履行について、5年の猶予が与えられていると言えるのだ。
そして、この5年間で俺が行わなくてはならいことは、B2からB1、A級と上がり名人となる事だ。
桃花の、
『自分が名人になったら師匠と結婚して寿引退する』
という棋界のカタストロフィ計画の実行を防ぐためには、桃花が名人になるのを誰かが阻まなければならない。
誰かがやらなくてはならないのだったら、最も責任の重い師匠の俺がやるしかないのだ。
平凡か、甘めに見ても中の上程度の自分にとっては、抱くにはデカすぎる壮大な野望だ。
だが、これは他力本願でいく訳には行かないのだ。
俺の見立てによると、おそらく桃花は……
そこまで考えたところで、対局相手の水戸八段が対局室に入って来た。
ここから長丁場になるという事で、俺は気合を入れなおした。
◇◇◇◆◇◇◇
「ありません」
「ありがとうございました」
日もとっぷりと暮れて、日付が変わろうかという時刻に、ようやく水戸八段が投了した。
B2の初戦、まずは1勝の白星スタートだ。
しかし、水戸八段は相変わらず粘るな。
「稲田くんは最近、テレビに出まくっとるから、行けると思ってたんやけどな……ええ将棋指すな」
悔しそうに、水戸八段が本局の第1感を述べる。
「芸能人に囲まれて現を抜かしてると言われる訳にはいかないので頑張りました」
ぶっちゃけた感想を述べる水戸八段に苦笑しながら答える。
こう思ってくれているなら、正直助かった。
なにせ、俺はこんな所でつまづいてはいられない。
「真面目やな。しかし、なんで桃花ちゃんの順位戦の昼食メニューまで当てられたの? 中華メイメイのカレーチャーハン大盛って」
「なんとなくですかね……」
水戸八段の問いかけに俺は、適当に誤魔化す。
「師匠だから解るって奴かね?」
「まぁ、そんな所です」
将棋だけでなく、自分が疑問に思った事にはとことん突き詰めるタイプの水戸八段の追撃が来るが、俺ははぐらかす。
日頃、桃花の食事は俺が作った物を食べているのだ。
最近はカレーが食卓にも学校の給食にも上がっていないから、そろそろだろうなと思っていたので、俺の予想はかなり確度が高い。
「そんなもんか。で、早速だけど感想戦を始めようか。長くなるから覚悟してくれ」
「はい」
もう、とうに最終の新幹線が終わっている時間なので、俺もとことんまで付き合うつもりで、足をあぐらに崩して感想戦に臨んだ。
◇◇◇◆◇◇◇
(ピピピッ ピピピッ)
「んむ……」
寝慣れぬホテルの枕とベッドでようやく微睡んでいた意識が、電子音により無理やりに覚醒レベルまでに引っ張り上げられる。
「なんだ……アラームは切ったはずだが……」
深夜までの水戸八段との感想戦でホテルに帰って来たのは深夜の2時過ぎ。
対局でフル稼働した脳みそが鎮まってきたのが、日が上がり始めて空が黒から白に変わってきた所だったのに……
「あ? 電話?」
寝起きで目がぼやけているが、アラームで無いことは辛うじて分かったので、応答のボタンを押す。
「はい」
「おはようございます。師匠」
スマホから聞こえてきたのは、弟子の元気な声だった。
「桃花か。どうした?」
「いえ、特に用は無いです。けど、急に師匠の声が聞きたくなっちゃって……」
「用が無いなら切るぞ」
「待ってください師匠! 私、今、3日間も師匠に会えてないんですよ⁉」
「それがどうした? 俺のマンションの隣の部屋に引っ越してくるまでは、それが当然だったろうが」
通いの頃の桃花は、ほぼ毎日のように電話やネット対局のチャットでやり取りしてたがな。
我ながら、弟子の面倒見が良すぎる師匠だ。
「私、もう師匠から長期間離れるとダメな身体にされちゃったんです。ねぇ、いいでしょう~? 師匠~ 何でもするから~ ちょっとだけでいいから~」
「……桃花、今、外の往来じゃないだろうな? お前も相当に顔が世間に売れてるんだから、誤解を招くような言動には気を付けろよ」
起き抜けに、またもや俺が社会的に死にかねない言動を桃花がぶち込んで来るので、俺の意識もようやく覚醒した。
「まだ家ですよ。今、ケイちゃんと女2人、シリアルだけの侘しい朝食を食べてます」
姉弟子も、桃花も見た目は美人さんなのに、侘しいというのは絵面的におかしい表現な気もするが。
「マコ、早く帰って来て~ 桃花ちゃんの野菜スープだけじゃ飽きた~」
恐らくは、桃花の横に居るであろう姉弟子の悲痛な声がバックグラウンドで聞こえてきた。
俺が居ないと、2人共ダメダメだな。
「はいはい。昼過ぎには帰るよ。桃花は学校、姉弟子はせめて家の掃除と洗濯くらいはしておいてくださいって伝えといて」
「は~~い。あ、師匠そう言えば言い忘れてました」
「なんだ?」
「昨日の順位戦勝ったね。おめでと」
「……おう。桃花もな」
そう言って、電話が切れたので、俺は大きく伸びをした。
折角の睡眠のチャンスを棒に振ってしまい、意識が覚醒してしまったが、不思議と苛立たしくはなかった。
ここら辺、俺も弟子には甘いという事なのか。
「寝るのは、帰りの新幹線にするか……」
結局起きてしまった俺は、桃花との約束のためにも、熱いシャワーを浴びに浴室へ向かった。
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