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第28局 空を飛ぶ龍と泥まみれの私


【右京里奈五段 視点】


『ああ……自陣が燃えている……』


 今の私は、燃える城下町を城の天守閣からただ見下ろすことしか出来ない、無能な姫だ。


『いや、自分を姫と称するには、私は歳を取り過ぎた……姫という呼称は、目の前にいる子にこそ相応しい』


 地味なパンツスーツという格好で姫と称した自分に、自嘲気味な笑いが込み上げる。


 私は、ここでチラリと目線を対局相手に向ける。


 セーラー服の制服を着た、まだあどけなさと、大人が入り混じった少女。

 前かがみになり盤面を見つめる彼女の顔は、びっくりするほど美しかった。



 そう、彼女の歳の頃には女流棋士として華やかな張りぼての世界にいた私とは違って……。




 女流棋士の世界は華やかなりし物だった。

 綺麗な着物に袴に髪飾り。

 私は、そこで全てのタイトルを制覇した。


 周りの人は、それを偉業だと褒め讃えた。


 けど、当の本人である私は一つも充たされてなどいなかった。


『所詮は女流』


 別に、そんな事を私が面と向かって誰かに言われた訳ではなかった。

 けれど、皆内心ではそう思っているに違いないと、私は思い込んでいた。


 女が棋士になれないから、別口を設けられている。



『女はいいよな。奨励会で挫折しても女流棋士って逃げ道があって』



 奨励会に在籍する女子が、一度は他の奨励会員に言われる言葉だ。

 それを言われた女子は、苦笑いをして、その場をやり過ごすことしか出来ない。


 それは、現状を否定することが出来ないから。


 だったら私が覆してやる……

 この将棋という世界での摂理を!


 華やかな女流の着物と袴を脱ぎ捨て、綺麗な髪飾りを引き抜いた私を、勿体ないと言う周囲の雑音を廃し、ただただプロ棋士への道を進んだ。



 奨励会の三段リーグは、聞いていた通りの地獄だった。



年齢制限で奨励会を退会せざるをえなかったが、それでも私は生きぎたなく、女流棋士に復帰しつつ諦め悪く齧りついた。


 そして、棋士編入試験の受験資格を得るが、1度目の受験はストレート負けを喫する。



『やはり、女がプロ棋士になるのは無理なのか……』



 初の女性棋士誕生のニュースを待望していた周囲の落胆が伝わってくるのが、何より辛かった。



 それでも、私は折れた心を何とか繋ぎ止めて、再度の棋士編入試験に挑んだ。


 この頃の、2回目の棋士編入試験の頃の記憶が私は曖昧だ。


 それだけ精神的に追い詰められていたのだろう。


 憶えているのは、最後の対局に勝ち、今日のような大勢のマスコミのカメラにフラッシュを浴びせられて、眩しいと思ったこと位だ。



『女性として史上初めて』



 この謳い文句は、将棋の世界に留まらず、外の世界からも、強い女性の旗頭として賞賛されスポットライトを浴びる魔法の言葉だった。


しかし、当の自分は、ようやくここに辿り着けたという安堵と共に、目標を失っていた。


 女性初の棋士には辿り着けたけど、その時点で私はボロボロだった。


 最初のとてつもなく重かった門は私が開いた。

 私は道の無い道を切り開いて進んで、泥だらけ、傷だらけ。


だから、自分はここまでだ。


 プロ棋士にはなれたし、そのままの勢いでフリークラスを抜けてC級2組にまでは上がれた。


 そこで私は自分の到達点に満足し、停滞し、低迷した。


そんな心の緩みは将棋にも表れ、去年のシーズンに降級点がついた。



「プロの棋士になってからがスタートですから」



プロ棋士になれた時に、私自身がマスコミの前で語ったことだが、本心は真逆だった。


 後は、私が切り開いたけものみちを、後輩たちがきっと辿ってくれて、私が行き倒れた所を踏み越えて、先に進んでくれる。


 後は頼んだ……


 泥の中で這いつくばって歩けなくなった私は、自身が命を削って得た結果に満足していた。




 けれど、見てしまった。




 地面に這いつくばり泥だらけの顔を空に向けると、美しい龍が空を飛んでいた。


しなやかに、まるで龍が飛ぶのは当たり前でしょ? と言わんばかりに、優雅に飛んでいた。



 当然、はるか眼下の地面に這いつくばっている、私が切り開いて来た道なんて視界にすら入っていないだろう。


 私は、彼女が自分と同時代に現れたという現実に、ただただ将棋の神様を呪った。



「あなたに愛された神の巫女が出てくるなら、先に言ってよ!」



 私は泥だらけ、傷だらけの己の身体を引き起こして、天にツバを吐いた。



「自分にしか果たせない使命があると勘違いして、私、全てを投げうってボロボロになっちゃったじゃない! なのに、こんな……こんな残酷な仕打ちってないよ……」



 まるで、自分が心血を注いで築き上げた物が、全て無価値になってしまったような絶望が襲った。



(パチッ)



 目の前に居る、龍のように綺麗な女の子が指した駒の音が、私を現実に引き戻す。


 その美しさとは裏腹に、攻めは苛烈そのもの。


 石垣に撃ち込まれた大槍をきょうとうにして、敵が城の中にどんどん侵入してくる。


 局面は、どこで首を差し出すかを考えだす所まで来ていた。


「ああ……私にもこんな圧倒的な将棋が指せたなら……それとも、虫でも良いからせめて空が飛べる翼があったなら……彼女の見ている景色を一瞬だけでも眺められたなら……」


 思わずにはいられない。



(パチリッ)



 けれど、私にも意地がある。


「楽に勝てたなんて思わせない。この対局を観ているファンに、右京は心が折れたなと悟られてはならない」



「だって、私はプロ棋士なのだから」



 私は必死に、自陣を複雑な陣形に組みかえていく。



「少しでもミスをしたら、食い破ってやる」


 そんな私の必死の抵抗に対し、目の前にいる少女は、



(チューチュー)



 エネルギーチャージの飲料ゼリーに吸い付きながら、しかし視線だけは盤面から一切目を離さない。


 あっという間に、CMの謳い文句のように10秒でゼリー飲料を搾り取るように腹の中に収めた少女は、持ち時間を消費することなく手を指す。


 まだ、飛龍四段には持ち時間が潤沢に残っているというのに。


 私の方は、すでに持ち時間を使い切っての1分将棋。



「これは自分の形勢を更に損なってでも、複雑な選択肢を相手に強いる手を指すべき」



 私の破れかぶれのように見える攻め手に、飛龍四段のお菓子に伸ばしていた手が止まる。



「間違えろ、間違えろ、間違えろ」



 まるで怨念のような私の手に対し、飛龍四段は手元に口を持って来て長考に入る。



「ああ……駄目だ……負ける……」



 まだ飛龍四段が手を指していないのに、ここで、私は自身の負けを悟った。


彼女が私の事を舐めて、私の手を無理攻めだと構わずに攻めてくれていれば、右辺に間隙が生まれて、ほんの少し決着を遅らせられる目算だった。


けれど、彼女はちゃんと冷静に立ち止まった。


勝利をほぼ手中におさめてなお、勝負所を見失わない根っからの勝負師としての才能。



(パチリッ)



 持ち時間を10分消費して彼女の出した答えは、キチンと自陣を守る正解の選択だった。


 そこからは、もう形作りの時間だった。

 観戦している将棋ファンにも、どちらが勝者なのか解りやすい形になるように手を進める。


むしろの上に私が正座し首を差し出し、執行人である彼女が斬首のための刀を上段に構える。



「負けました」


「ありがとうございました」



 長時間の対局の果て、決着がつき、私は正座のまま対局室の天井を見上げる。


 最初から、勝てるとは思っていなかった。


 周囲が、旧型の女性棋士の私でなく、ニューヒロインが勝つ事を期待している事も解っていた。


「終盤の攻め手。あれ、凄かったですね。勉強になりました」

「中盤でもう形勢を悪くしてしまったから、最後くらいは粘らないとと思ってね」


 感想戦の前に、飛龍四段が第一感としての本局の感想を述べる。


 投了直後で、まだマスコミがこの対局室に詰めかけていない、記録係を除けば私と飛龍四段しかいない、公式に記録としては残らない棋士同士だけの正直な感想。


「あの、これから感想戦なんですが、その前に一つお願いしても良いですか?」

「……なに?」


 なんだろう?


 これから、ドッと押し寄せてくるであろうマスコミへのインタビュー内容についての相談だろうか?


 旧型の女性棋士である私の最後の役目である、新しい女性棋士へのバトンタッチの儀式。


 これは、自分で言うのもあれだが、棋界の歴史に残るシーンになるだろう。

 それを、どのように彩るのか。


 プランがあるなら聞かせてもらおう。

 勝者であり、これから私以上の重荷を背負う貴女には、その権利があるのだから。



「そのチョコ。余ってたら、1個分けていただけませんか? 私、今朝買いそびれちゃって。あ、お金は払いますから」



「……は?」



 予想外過ぎる飛龍四段の話に、私は思わず素の声で聞き返してしまった。


「駄目ですか?」


 目の前の、少女が残念そうにシュンとする。

 いや、別にチョコが惜しい訳じゃないし!


「い、いいわよ。お金も要らない。どうせ数十円だし」


 そう言って私が、一口チョコを渡すと。


「本当ですか? ごちそうさまです」


 笑顔で御礼を言った彼女は私からチョコを受け取ると、マスコミの人たちが押し寄せる前に食べたいという事なのか、飛龍四段は素早く封を開いて、新商品のチョコを口の中に放り込む。



「うん。脳みそをフルに使った後のチョコって本当に美味しい!……けど、この新商品、味は正直微妙だな」


 なんだ、この子。


人からチョコを貰っておいて味が微妙とか、失礼な子だなと思った私は、思わずムッとする。


「でも、こういう挑戦的な商品企画が出来るのも、最初に発売された王道のミルクチョコ味があるからこそですよね。帰りに買って帰ろっと」


 彼女の独り言の感想を聞きながら、これは、女性棋士としての道を切り開いた私への彼女なりのリスペクトなのだろうか? と私はふと思った。


 それとも、ただ本当にチョコの感想を屈託なく述べているだけ?


 私には解らなかった。


 そうこうしている間に、マスコミの人達がドヤドヤと対局室へ入って来て、対局者同士だけの会話をかわす聖なる時間は終わった。


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[一言] 才能の差が歴然と出てしまう世界、っていうのは辛いですね。もちろん、努力のない才能は大成しないのでしょうが、努力を前提にすれば、才能の差はやはりあまりに大きい。 最初に道を切り開くのが龍であ…
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