第27局 女性棋士VS女性棋士
【飛龍桃花 視点】
「ケイちゃん、コンビニ寄って行きたいです」
「うん、いいよ」
順位戦当日の朝。
この間の三段リーグ最終日と同じく、ビジネスホテルの朝食をたらふく平らげた私は、対局中の飲み物とお菓子を買い求めて、関西将棋連盟の建物の道すがらのコンビニに立ち寄っていた。
「そんなに買うの? 桃花ちゃん」
「順位戦の持ち時間は各6時間で長丁場ですからね」
飲み物とお菓子、飲料ゼリータイプの栄養補助食品をカゴにどかどかと入れている私を見て、ケイちゃんが呆れたような声を上げる。
「はい。前回の記録係の時のような醜態をさらすわけにはいきませんから」
「ああ……まぁ、今度は食べすぎないようにね」
「お昼は出前で、中華メイメイのカレーチャーハン大盛にしようかな」
「さっき、ホテルの朝食ビュッフェであんなに食べたのに、もうお昼ごはんの心配⁉ ホント、若いな~」
ケイちゃんに私の食いしん坊ぶりを笑われてしまいましたが、対局すると本当にすぐにお腹が空くんですよね。
「ここのコンビニ、駅前だからかいつも混んでますよね」
「関西将棋連盟の建物は駅から近いから、ここしか寄れるコンビニが無いんだよね」
長いレジの列を見て、私とケイちゃんは列に並びつつ、ぺちゃくちゃと、学校での出来事など他愛ないおしゃべりをする。
このコンビニは、関西将棋連盟に近いので、棋士の人もよく利用する。
それが理由なのか、先ほどから私達をチラチラと盗み見る視線をいくつか感じる。
最近は、テレビなどで顔と名前が売れてきたので、こういう視線にも慣れてきたけど、このコンビニのお客さんや店員さんが私に直接は声を掛けてこないのは、棋士の多くがこれから対局であることを知ってくれているからだろう。
「あ、このチョコ。新商品の味だ。これも買っちゃお」
「まだ買うの?」
ようやく私のレジの番になったところで、レジ横に置かれている一口チョコの新商品に手が伸びる。
コンビニの戦略に見事に引っかかる私にケイちゃんが呆れるが、甘い物は脳の栄養になるんだから、いくらあっても良いんです!
「「あ……すいません」」
私が手を伸ばしたレジ横のチョコ置き場に、ちょうどお隣のレジの列のか細い女性の手が重なり、私は手に触れてしまった事を詫びた。
どうやら、手だけじゃなくて謝罪の言葉も重なってしまったようだ。
「アハハ……すいません」
私は、チョコの好みだけじゃなく謝罪の言葉も重なったのが可笑しくて、少し笑いながら相手の顔をみてあらためて謝罪の言葉を延べようとしたところで、気付いた。
「「あ……」」
またしても、発した声が重なる。
波長が合うのは、ある意味必然なのかもしれない。
なにせ、相手はこの世に私ともう一人しかいない、女性のプロ棋士。
右京里奈五段だったのだから。
「チョコ、お好きなんですか?」
私は、お先にどうぞと右京五段へ手振りで促す。
「…………」
先ほどまで礼儀正しかった右京五段は、無言でチョコを掴むと、何も言わずに先に会計をしてコンビニを小走りで出て行ってしまった。
「ケイちゃん。チョコが好きなんですか?って聞いたのって失礼だったのかな?」
私は、コンビニを出たところでケイちゃんに、先ほどの右京五段とのやり取りについて、疑問に思った事を訊ねる。
「あれは、桃花ちゃんだからっていうよりも、今日の対局相手と話したくなかったからじゃないかな。戦意を削がれるか、はたまた挑発されるかで、対局に要らぬ雑念が入るからって嫌う先生は多いと思うよ」
「そういうものですか」
私は、そういう勝負に関する機微がどうにも解らない事が多い。
この点に関しては、かなり世間一般からズレているので気を付けろと、師匠からも言われているんだった。
「そうだよ。さっきは、後ろから見てて冷や冷やしたよ」
「ふーん。でも、お菓子の好みが合うみたいだし、もう少しお話してみたかったな」
「いや、私も憧れの先生だから話してはみたいんだけどね」
「って、あああ‼」
「うわぁ! なに、桃花ちゃん。大きな声出して」
「レジ前の右京五段との小競り合いで、さっきの新商品の一口チョコ、買い忘れました!」
「なんだ、そんな事か。他にお菓子はたくさん買ったでしょ」
「私、戻ってもう一度買いに行きます」
「それは止めた方が良いかな。もう時間もないし、ほら、マスコミの人達も待ってるよ」
ケイちゃんに言われて見ると、たしかに関西将棋会館の前にマスコミの人たちが待ち構えていて、既にこちらにカメラを向けている。
そして私はここで、はたと自分の今の状況を客観視した。
「……ケイちゃん。この袋持って」
「いや、結局は対局室に入る前には桃花ちゃんに渡すんだから、その山盛りのお菓子の入ったビニール袋は桃花ちゃんの物だってバレるよ」
マスコミの前でお菓子やら何やら、食べ物がたくさん入った袋を持っているのが急に恥ずかしくなった私は、ケイちゃんに罪をなすりつけようとしたが、容易く見切られていた。
「もぉ~~! また、食いしん坊だって思われる~」
私は、少々意気消沈しながら、関西将棋連盟の敷地へ足を踏み入れた。
◇◇◇◆◇◇◇
「あ~、もぉ。絶対、あとで師匠にからかわれる」
棋士の控室に荷物を置いたわたしは、独り言を言いながら対局室へ向かった。
C級2組の一戦目。
一敗でもしたら、今期からデビューでクラス内順位がほぼ最下位の私は、昇級が厳しくなる。
それは、師匠との結婚が1年遅れることを意味する。
これは痛すぎる。
私は、そうなった未来を思って身震いし、自分に気合を入れなおして、割り振られた対局室へ入った。
その人は、静かに座っていた。
対局室に入ると、シャッター音が鳴り響く中、彼女だけは静かだった。
マスコミに慣れてきた私でも、ギョッとするような人数のカメラマンがひしめき合う中を抜けて、目の前に座っても、彼女は微動だにしなかった。
盤を挟んで上座に座る黒のパンツスーツ姿の彼女は、歴史上初めての女性棋士。
右京五段。
髪を後ろで結い、メタルフレームのメガネをかけている様は、大人の女性という印象だ。
将棋は、元々男の子の競技人口の方が多い遊戯ではあるが、小学生の頃に通った将棋道場や連盟の研修会には、女の子が何人もいた。
けれど、その女の子たちは、上へ行くたびに零れ落ちるように居なくなっていく。
女流棋士に転向する子、高校、大学受験のために辞めてしまう子、年下の男の子に勝てなくなって泣いて来なくなってしまう子。
奨励会の三段リーグでは、私はたった1人の女だった。
きっと、目の前にいる右京五段も同じ思いをしてきたんだろう。
そう思うと、目の前に居る右京五段のことが、とても親しみやすく感じた。
お菓子の趣味も合いそうだし。
できれば、当時の苦労話を聞きたいな。
殺し合いが終わった後に。
「定刻になったので始めてください」
「「よろしくお願いします」」
記録係の奨励会員の少し上ずった言葉を合図に、私と右京五段が礼をする。
史上初の、女性プロ棋士同士の公式棋戦という歴史的瞬間を切り取るために、カメラのシャッター音がまるで雨のように、私達2人に降り注いだ。
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