第25局 史上初の女性棋士
「いよいよ今期の順位戦が始まります!」
フンスッ! と、桃花は朝から鼻息が荒い。
「気合入ってるね桃花ちゃん」
「ええ、名人の夢への第一歩ですから」
姉弟子の問いかけに、桃花は闘気をみなぎらせて答える。
「ああ、名人になったらマコが桃花ちゃんと結婚しないとなんだっけ?」
「ブフォ!」
唐突な姉弟子のブッコミに、俺は飲んでいたお茶を吐き出しそうになる。
「ちょ……姉弟子それは……」
「子供の頃からの初恋が実るなんて素敵じゃない」
姉弟子がニヤニヤとしながら俺をつついてくる。
これ、桃花も姉弟子に恋バナみたいに全て話しちゃってるな……。
「……桃花が名人になるのはまだまだ先ですよ」
俺は、言い訳になっていない言い訳を苦し紛れに述べる。
「ほんと、どれだけ強くても1年に1回しかクラスが上がらないって、クソ制度ですよね。覇王のタイトル獲ったら結婚に条件切り替えません? 師匠」
「そういう危ない発言は、絶対に表でするなよ。あと、条件の切り替えには応じられません。契約なんだろ?」
「じゃあ契約だから、名人になったら本当に結婚してくれるんだ師匠」
う……何だか、墓穴を掘ってしまった気がする。
「と……とにかく。順位戦は棋士としても大事なんだ。一発勝負じゃなく、恒常的に強くあり続けた棋が立つ頂だからこそ、名人というのは皆からより尊敬されるんだ」
「なるほど。まるで師匠も立ったことがあるような言い草ですね」
「あ⁉ 師匠ディスとか破門すっぞバカ弟子。それに、今、桃花が所属するC級2組は所属する棋士の人数が多いクラスだ。C級1組への昇級には、順位戦を全勝しないと一発昇級できないぞ」
事実、歴代の最年少名人位獲得の大棋士であっても、C1やC2での一発昇級を逃しているケースが結構ある。
ほぼ1年間という長い期間を掛けてリーグ戦を戦うという事と、持ち時間が各6時間と最も長い棋戦という所で、順位戦はどうしてもミスが出やすい棋戦なのだ。
「無論です。私の夢のために、女子供だろうが好々爺だろうが、盤上で容赦なく斬殺する所存です」
「名人になりたいなら、もうちょっと誉や礼節も教えないとだな……」
「その辺は、私がフォローするよ。インタビューの時の気の利いた文例とか教えてあげる」
「ありがとうございます姉弟子」
「しかし、桃花ちゃんの公式デビュー戦の相手が、まさかこの人とはね。連盟側が、作為的に相手を仕組んでない? これ」
今期の順位戦の組み合わせ表を見ながら、姉弟子が顔を顰める。
「よりにもよって、まさか右京五段か……とは、俺も思いましたけどね」
俺も概ね、姉弟子と同意見であった。
別に、右京五段が強敵だからという意味ではない。
右京里奈五段。
名前のとおり女性だ。
右京五段は将棋の歴史上初めて、女性でプロ棋士になった偉大な棋士なのである。
「ネットでも、新旧女性棋士の対決とか書かれちゃってるし。右京さんを旧式呼ばわりとは失礼な記者ね」
姉弟子がタブレットでネット記事をみながらプリプリと怒る。
姉弟子は女流棋士時代に、幾度か右京さん……当時は、女流タイトル5冠と対局してるからな。
右京五段は三段リーグに所属していたが、惜しいところまでは行くも次点止まりで、26歳の年齢制限に到達して奨励会を退会。
その後、女流のタイトルを総なめにして、さらに一般棋戦でプロ棋士相手にも勝利を重ねて、プロ編入試験受験の資格を得た。
しかし、一度目の受験ではストレート負けで失敗。
それでも右京五段は不屈の精神で再度、プロ編入試験の受験資格を得ると、最終局フルセットまでもつれ込みながらも、何とか既定の勝利数に達し、見事にプロ棋士となった。
棋士になった後も、勝ち星を重ねてフリークラスを抜け出してC級2組に上がりと、道を切り開いて来た。
「右京五段は、初の女性棋士で当時も社会的なニュースになったから、将棋ファン以外にも名前を知られてますしね。誰しもいつかは過去の人になる」
「それはそうだけど……右京さんには頑張って欲しいんだよな」
「あの、姉弟子は一応は桃花に雇われてるんですからね」
個人的な思い入れのある棋士がいるのは結構だが、流石にこれからその相手と対局する桃花の前で憧れを口にするのは、少々マネージャーとして配慮に欠ける行いだったので、姉弟子をたしなめる。
「あ、ゴメンごめん! そういう意味じゃないんだよ、桃花ちゃん。私が文句を言いたいのは、あくまではやし立てる外野の方に対してでね」
「大丈夫です。私は、己の道を進むだけですから」
まぁ、桃花がそんな細事を気にする訳はないか。
「じゃあ、今回は俺は一緒に行けないから頑張れよ桃花」
「え⁉ 弟子の公式戦デビューという晴れの日なんですよ! 一緒に来てくれないんですか師匠……」
先ほどまで抜き身の刀みたいに闘志をみなぎらせていた桃花が、突然、雨に濡れた子犬のようにシュンとしてしまう。
「お前のデビュー戦についてのコメンテーターとして、名古屋のテレビ番組に呼ばれてるからな」
「今回のC2順位戦の対局場所は大阪の関西将棋連盟だからね。今回は、流石にマコも仕事の用事が丸被りだから諦めな、桃花ちゃん」
「ムゥ……」
俺と桃花、2人のスケジューリングをしてくれている姉弟子がたしなめると、桃花は不満そうながらも、一応は受け入れたようだ。
客観的に俺と桃花の間にいる人の判断という事で、姉弟子の言う事には素直に従ってくれる。
これで姉弟子がいなかったら、俺は毎回桃花に、一緒に行けない理由を説明して、説得しなくてはならない。
この手間がかからないというのはとてもありがたかった。
「じゃあ、そろそろ出発するねマコ」
「よろしくお願いします姉弟子」
「師匠、私が居ないからって浮気しないでくださいよ!」
「いってらっしゃい桃花」
いや、浮気って……
一応俺の現在のステータスは、恋人なしのフリーなんだから浮気も何もないんだが、そこを否定すると面倒そうなので、さっさと送り出す。
「ふぅ……」
バタンと玄関の扉が閉まると、途端に静寂が部屋を支配する。
さて。
桃花と姉弟子は、翌日の大阪での順位戦の対局のために前乗りで大阪で一泊する。
明日のテレビ出演は昼過ぎからだし、将棋の研究もキリのいい所で終わっている。
要は、今夜と明日の午前中の俺はフリーなのだ。
「久しぶりにあそこに行くか」
俺はそう呟くと、ウキウキしながら電話をかけた。
里見女流四冠(旧姓まま) ご結婚おめでとうございます!
末永くお幸せに!




