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第24局 弟子の里帰りについていく師匠

「結局、名人戦2局目も羽瀬覇王・名人の勝ちでしたか」

「第1局も、前日に桃花とタイトル戦並みの長時間対局しておいて、その疲れも見せずに圧倒したな」


 新聞の記事には、『羽瀬覇王・名人2連勝。名人防衛に死角なし!』という見出しが躍っていた。


 それを、朝食を食べながら桃花と眺める。


 4月も、もうすぐ終わりかけだ。


「それに引き換え、私はプロ棋士になったというのに激ヒマです」

「4月デビュー組は4月に出場できる棋戦の予選が無いからな。5月から棋征戦の一次予選と、6月から棋叡戦の段位別予選と順位戦が始まるか」


 桃花は、本人の言う通りヒマだし、昇段を決めた頃とは打って変わり、特に新しいニュースも無いので、最近は俺も桃花絡みでテレビ等に呼ばれることは無くなった。


 おかげで、姉弟子に払うマネージャー契約料が無駄になっている気がする。


「それが、私のデビュー戦になるはずだった5月の棋征戦一次予選トーナメント一回戦ですが、相手の片平八段が手術のために欠場のため不戦敗になりそうだと、昨日連盟事務局から連絡がありました」


「ありゃりゃ。となると5月も暇になったわけか」

「はい。という訳で、私、ゴールデンウィークは実家に帰ろうかと思います」


「おお、いいじゃないか。お父さんお母さんたちに久しぶりに顔を見せに行きなさい」


「はぁ……」


 ん? なんだ桃花の奴。ため息なんてついて。


「何だ? 地元に帰るのがそんなに億劫なのか?」


「いや……本当は帰りたくないなって……このまま静かにここで、師匠と一緒に穏やかに過ごせたらどんなに素晴らしいだろうなって……」


 寂しさとうれいを讃えた瞳で、桃花が遠い目で窓の外を見やる。


 あれ? 桃花って、親との仲がそんなに良くないんだっけ?

 度々お会いしたが、普通の親御さんだったと思うのだが……


 いや、家庭内での顔や関係性というのは、外から見ただけでは解らない物だ。


 外野からは円満にしか見えない家庭が、実は深刻な問題を抱えていたりするとも聞く。


 桃花は言っても、まだ中学3年生だ。

 これは、桃花なりのSOSなのかもしれない。


「桃花。もし不安なら、俺も一緒に行くか?」

「え⁉ 本当ですか師匠!」


 本当に予想外だったようで、窓辺で黄昏れていた桃花がビックリした、しかし期待したような顔で俺に聞き返す。


「おう。ちょうどゴールデンウィーク中は対局も無いしな。それに、桃花がプロ棋士になってから親御さんに挨拶もしてないし」


「解りました! じゃあ実家には師匠も一緒に行く旨を伝えておきます!」


 善は急げとばかりに、桃花はスマホで電話を掛ける。


「あ、お母さん。桃花だよ。今度のゴールデンウィークに師匠と一緒に帰省するから。うんうん、色々準備お願いね」


 ん? 電話の様子を見るに、不仲って感じはやはり全然感じられないな。


「師匠がお父さんお母さんに挨拶したいって。うんうん。そういう事だから。じゃあ、よろしくね~」


 矢継ぎ早に用件を伝えると、桃花は電話を切った。


「俺が伺ってもいいって?」

「うんバッチリ。お母さんも大賛成だった」


 桃花が問題なし! とばかりに親指をサムズアップさせる。


「そうか。じゃあ、帰省の御土産をたくさん買わないとな。日頃、米やら野菜やらを送って頂いてるから、奮発しないと」


「名古屋駅の百貨店でしか買えないお菓子とかを買っていくと、皆喜びますよ。帰省の当日に色々買い込みましょう。あ~、俄然帰省が楽しみになってきた~」


 そう言うと、桃花はウキウキとしながら自分の部屋へと戻って行った。




◇◇◇◆◇◇◇




「はい師匠、次です。順番待ちしてるんですから早く」

「ちょ、ちょっと待って桃花……」


 桃花の、まるでオートメーション化された産業機器のような扱いに、俺はついて行けずにいた。


「もう、またですか? ほら、手伝ってあげますから」

「う……全然出そうにない……」


 師匠なのに、俺は情けなく弟子の前で泣き言をこぼしてしまう。

 すると、桃花が俺の耳元で妖しくささやく。


「このまま立ち上がらない奴に価値なんてないですよ? そんな奴に、ご飯を食う資格なんてないですから」

「……⁉ わ、解ってる」


 冷たい桃花の声に思わず身震いが起きる。

 この弟子……本気で俺の事を見捨てる気だ!


「ゴールデンウィークはいつもこれだから憂鬱だったんですけど、今年は師匠がいるから楽しくなりそう」

「お前……よくも俺を騙して……」


「ほら、カワイイ弟子が応援してあげますから。頑張れ♪ 頑張れ♪ しっしょ♪ う~♪」


 桃花が可愛らしく応援してくれる。

 その応援に奮起した訳ではないが、俺は半ばやけくそで力任せに身体を激しく動かす。


「ふんっ! ふんっ!」


 ただ何も考えずに、やみくもに動く。

 結果、無事に想いを遂げることが出来た。



「お、無事に出ましたね。エライですね~師匠」



 パチパチと桃花が、まるで幼子をあやすように拍手する。


 俺はドロドロした物がべっとりと付いた己の両手を見つめて思わず顔を顰めるが、正直この感触は癖にもなりそうだという、真逆の感情が自身の内心に湧きたったことに小さな驚きを見出していた。





「ふー-っ。それにしても田んぼって、一度ハマると中々抜け出せないな」


「師匠みたいに足だけじゃなく、両手まで田んぼについたら、普通は1人じゃ抜け出せないですから。流石ですね」


「いや、流石って言われても、そもそも上手い人は田んぼの泥に足を取られたりしないんだろ?」

「まぁ、私は物心ついた頃から田んぼ仕事を手伝ってますから。はい、次の苗を田植え機にセットしてください」


「うへぇ~い」


 田んぼのぬかるみから脱出するために大分体力を消耗しつつ、俺は桃花から渡された苗がびっしりと生えた緑のかたまりを田植え機にセットする。


「先生、ありがとうございます。日頃、桃花の奴がお世話になっているってのに、田植え作業まで手伝ってもらっちまって」


「いえいえぜんさん。どうせヒマしてましたし」


 えっちらおっちらと、田植え機に乗る桃花の父親の善司さんの元に辿り着く。


「ねぇ~。ゴールデンウィークだっていうのに、ありがとうございますぅ」

「アハハ、ちょうど対局もありませんでしたから大丈夫ですよよしさん」


 桃花の母親の芳子さんは、田植え機では植えられない、田んぼの隅の田植えをチャキチャキと手慣れた手つきでこなしている。


「ほら師匠。手が空いてるなら、育苗箱を洗ってください」

「おま……容赦ないな」


 田んぼの用水路で、田植え機に補充する苗が入っていたケースをタワシで洗っている桃花から、次なる指示が飛んでくる。


「働かざる者食うべからずです。日頃、うちのお米や野菜を食べてるでしょ」

「はい……誠心誠意努めます」


「こら、桃花。すいませんね先生。米や野菜は、桃花の面倒を見ていただいている御礼なんですから、気兼ねしないでくださいね」

「いつも美味しくいただいています」


「先生はお料理がお上手なんですもんね。よく桃花が、料理を写真に撮って送ってくれますわ。先生の料理は美味しいんだって」


「そうなんですね」

「もぉ~ お母さん、余計な事、師匠に言わないでよ~」



 どうやら、桃花と両親の不仲疑惑は、全くの俺の取り越し苦労だったようだ。


 桃花は、単にゴールデンウィークで帰省しての田植え作業を億劫に感じているだけだったのだ。


 そして、変に深読みした間抜けな俺が、労働力としてまんまと連れてこられたという寸法だ。


「母さん、そろそろ休憩にしようか」


 田植えがちょうど、田んぼ1枚の半分が終わった所で、お父さんが休憩を提案してくる。


「は~い」

「楽しみにしててくださいよ師匠」


「ん?」


 桃花の言っている事がよく解らなかったが、もうすぐ休憩だという事で、俺は手に持った育苗箱の泥をタワシで力強く落としていった。





「ふっはぁ~! 美味い」

「まだ暑い季節じゃないですけど、農作業の後のアイスは格別でしょ? 師匠」


 ふふ~んっ! と自慢げな顔で、桃花が俺の反応を見て嬉しそうに感想を聞いて来る。


「青空の下で食べるって言うのがまたいいな」


 今日は天気も良く青い空と白い雲が上がっている。

 そんな青空と、田んぼのあぜ道の緑が合わさって、自然が感じられる。


「軽トラの荷台に座って田園風景を眺めながら食べるのが、特別感があって私は好きなんです。田んぼ作業はしんどいですけど」

「確かにな」


「あ、師匠はレモンのかき氷の氷菓にしたんですね。私も、そっちと迷ったんですよね」


 桃花が、自分のイチゴの氷菓を食べつつ、俺の方のアイスをジーッと見つめる。


「一口食うか?」

「じゃあ、私のも一口あげます」


 俺と桃花は、お互いに相手の口元にスプーンを持って行って食べさせる。


「ん~、レモンがすっぱくて疲れた身体に沁みる」

「イチゴの甘さがガツンと来るな」


 頬っぺたを抑えて美味しそうにかき氷を頬張る桃花は、地元に帰って来ているせいか、より、いつもより気が抜けているようだ。


「こんなに美味しいアイスが食べれるんですから、来年の田植えも来てくださいよ師匠」


「もう勘弁……と言いたいところだが、この氷菓の美味さの前では心が揺らぐな」


 半分騙し討ちみたいなものだったが、こういうのもたまには悪くない。


 そう思いながら、横に座って笑う麦わら帽とツナギの作業着の弟子を見ながら、青い空を見上げた。




「母さん。あれ、やっぱりそういう事なんだよな?」

「恥じらいや照れもなく、アーンし合うって事は、そういう事なんじゃない?」


「やっぱりか……いや、けどいくら何でも早すぎるだろ」


「ションボリしないのアナタ、よしよし」



 軽トラの陰にいてヒソヒソ話をしている両親には、俺も桃花もこの時、気付かなかった。


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[一言] 田んぼに手足や稲を埋めるだけでなく、外堀まで埋めてしまっているw
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