第19局 シンデレラの魔法が切れる時間
「さぁ、始まりました。本日の生放送は、ミジンコTVのメインスタジオからお送りしています」
司会のミポリンによる滑らかな進行により番組が始まった。
ミポリンから、今回のイベントの内容を説明する。
今回のイベントは、非公式の対局とトークイベントだ。
出演する棋士は、俺と真壁八段。
そして……
俺は、桃花の隣に立っている背広の男性を横目でチラリと見る。
棋界序列トップ
覇王と名人の二大タイトルを持つ、羽瀬王毅 覇王・名人だ。
同じ棋士だが、そうそう近くでその姿を拝むチャンスは無いので、つい目が行ってしまう。
羽瀬覇王・名人は俺より一世代上の30代前半。
史上5人目の中学生棋士で、桃花より更に半年早い、中学2年生の前期にプロ入りという最年少記録を持っている。
そして、プロ入りからも全ての最年少記録を塗り替えていく様は、将棋界だけに留まらず社会的なニュースとなった。
当時奨励会で将棋に打ち込んでいた俺にとっては、ただただ眩しいヒーローだ。
「それでは、これより公開対局です。先生たちは、それぞれ対局場にお上がりください」
司会のミポリンの言葉を合図に、俺はステージ上に小上がりで設置された畳のステージに静かに正座する。
そして、目の前の上座には、羽瀬覇王・名人が座った
憧れの棋士が、今、俺の前に盤を挟んで対峙している事に、俺はフワフワとした夢心地の中にいた。
そもそもタイトルの多くを羽瀬覇王・名人が持っている現況なので、対局するならタイトル戦に出るか、シードとして羽瀬覇王・名人が登場するタイトル戦の本線トーナメントか挑戦者決定リーグ戦に入っていないと、彼とは対局できないのだ。
タイトルの挑戦者として名乗りをあげてではなく、完全に弟子の桃花のバーターとしての扱いで実現した、非公式戦のイベント対局だが、これはまたとない機会だ。
全力をぶつけさせてもらう。
そう思いながら、俺はいつもの対局より更に気合を入れて初手を指した。
◇◇◇◆◇◇◇
「決勝の舞台を準備中です。その間に、残念ながら負けてしまったお二方にそれぞれ、先ほどのご自身の対局を振り返っていただきましょう」
「流石は、覇王・名人でした。先手なのに何も出来ずに負けました」
司会進行の俺がマイクを手にうなだれて返答し、
「見た目は可愛いのにエグイ将棋指すで、あの子は」
同じくガックリと肩を落とす真壁八段の返答に、会場ではドッと笑いが起こる。
「稲田先生、真壁先生ありがとうございます。まぁ、視聴者の皆さんが観たいのはこの決勝カードですからね。そこは、師匠のお二人は空気を読んでくださったといったところでしょうか」
「「おい!」」
いや、俺は空気なんて一切読まずに全力でぶつかった。
棋士は、対局場所が慣れぬスタジオだろうが、普段は見慣れぬ芸能人がいようが、盤を前にさえすれば、盤上にだけ集中できる。
俺はただただ盤上に没我できた。
その上で、コテンパンに負けたのだ。
「桃花ちゃ……いや、飛龍四段とは初めて盤を挟んだけど、これは化け物のように強いで。初めて羽瀬覇王・名人と対局した時を思い出したわ」
この真壁八段の桃花への評価も、単なるリップサービスではない。
棋士は、こと将棋の事に関してはプライドや一家言をもっている頑固者だ。
なので、将棋の強さの見立てに対して、お世辞は決して言わない。
これは真壁八段も同様だろう。
「どうやって、こんな化け物育てたん? 稲田君」
「私は何も。桃花は最初から化け物でしたよ」
「稲田先生、真壁先生。まだ女子中学生の桃花ちゃんを化け物呼ばわりは無いんじゃないですか? 同じ女の子として、それはメッ! ですよ」
「す、すいません……」
ミポリンが人差し指でペケをつけるあざと可愛いジェスチャーで、俺と真壁八段に注意をしてくる。
流石、ミポリンはプロフェッショナルである。
後で、桃花がSNSに上げた写真のことは、師匠として謝っておいた方が良いのだろうか?
「いや、化け物具合で言ったら、羽瀬の方がヤバかったんだからな」
「あ~、会長は当時、名人位やら何やらタイトルを根こそぎ毟られまくりましたもんね」
「そうそう。おかげでこんな頭に……ってやかましいわ!」
「あ、決勝の準備が整ったようですね。それでは、皆さんお待ちかね。決勝の、羽瀬覇王・名人と飛龍桃花四段の対局です」
北野会長と真壁八段の掛け合いで笑いが起きたところで準備が出来たようだ。
俺は壇上に残り、大盤を使って弟子の桃花と羽瀬覇王・名人の対局を解説する。
とは言え、今回は非公式戦のお互い30分の持ち時間で、時間が切れたら1分将棋だ。
そんなに時間はかからないだろうと、思っていた……
◇◇◇◆◇◇◇
「はぁ……姉弟子……水ちょうだい」
「はいどうぞマコ」
俺は、姉弟子から受け取ったペットボトルの水をンゴクッ! ンゴクッ!と喉を鳴らしながら一気に半分ほどを飲み干した。
「ぷはぁ……」
「おう、お疲れ稲田君。しかし、えらい長丁場になっちまったな」
「はぁ……すいません。真壁八段に解説バトンタッチしてもらって」
「流石に、あの解説は消耗するわな」
北野会長に労われたが、内心俺は忸怩たる思いだった。
正直、解説の終盤は桃花と羽瀬覇王・名人の手に着いて行けていなかった。
評価AIは最善手を示しているが、その意図が俺には読めておらず、考え込んでいる内に手はその通りに進むという場面が何度もあった。
「いや、実際これは凄いわ。本当にお祭り気分の30分将棋か? これって、駒が激しくぶつかり合い続けてて解りにくいが、終盤戦に入ってるんだよな?」
会長が、長机に置かれた検討用の盤と駒を観ながら、少し自信が無さそうに俺に問いかけた。
タイトル通算30期。内、名人3期。
一線は退いたとはいえ、歴史に残る大棋士である北野会長ですら、完全には見えていない難解な局面なのか……
俺は、解説に気を回さずにすんだ頭のリソースを、全力で検討に向ける。
「AIの評価値は、まだ50対50で動かずですか」
駒が激しくぶつかり合っている状態だが、危ういところでお互いに隙は見せていない。
先手番の桃花が、序盤から未知の局面に誘う殴り合いを提案し、羽瀬覇王・名人はそれに嬉々として応じたという感じだ。
桃花が覇王・名人を挑発して、お互いに一歩も引かない最善手の応酬に、コメント欄の将棋ファンも大盛り上がりだ。
「今、150手目か。おいおい、こりゃいつ終わるんだ」
「これは、凄いですね。終盤に入り始めたのに、まだ優勢がどちらか見えない」
「それはやってる当人らも一緒みたいだな。羽瀬の奴も身体を揺すってやがる。あれは、まだ羽瀬にも見えてないってことだ」
俺が、先ほど憧れの棋士との夢見心地で指している間に、あっという間に終わってしまった相手と、弟子の桃花は互角に斬り合っている。
その事に、俺は一棋士として興奮が抑えられずに、局面の検討に深くのめり込んでいく。
「あの……ちょっとすいません」
「……なに? 姉弟子」
俺は盤面から一切目を離さずに、返答する。
「あの……時間まずくない?」
「時間? 持ち時間なんて両者とっくに切れて1分将棋ですよ」
「こいつは棋譜を後でじっくりと研究しないとな」
俺も会長も、完全に棋士モードで、頭の中はこの対局を研究することでいっぱいだ。
「だから~時間! もうすぐ22時ですよ」
「う~~ん…………だから何? 姉弟子」
「終電を心配する時間じゃねぇわな」
俺も会長も、盤面に夢中で生返事しかしない。
「違います! 桃花ちゃん! 未成年者! 労働法! 22時まで!」
業を煮やした姉弟子が、右から左へ言葉が抜けて行ってしまう俺と会長にも解りやすいように、単語で伝えてくる。
「「…………あ‼」」
ようやく姉弟子の言いたいことを理解した俺と会長は顔を青ざめさせる。
「会長。未成年って労働法で原則何時まで働いてOKなんでしたっけ⁉」
「いや、棋士は個人事業主だし、対局みたいに余人に代えがたい時は大丈夫だって……」
会長は、少し自信なさげに答える。
まぁ、法令の解釈問題だから、普段は連盟の顧問弁護士や社会保険労務士の先生に任せてる話だもんな。
「労働法では22時までOKですけど、テレビ局さんは、たしか自主規制で子役はもっと早い時間までしか出演させないはずですよ」
「ちょ、ちょっと番組プロデューサーに大至急聞いてみる!」
姉弟子の言を受けて、会長が慌てて駆け出していく。
それを見送り、俺は再び盤面に目を落とし、バタバタしている間に進んだ手を盤上に表す。
そして、更に事態はマズい状態になっていることに気付く。
「おいおいマジかよ……千日手の香りがしてきたぞ……」
俺は思わず呻くように声を漏らした。
千日手とは、同一局面がグルグル回ることだ。
完全な膠着状態に陥り、お互いに手を変えない限り、それこそ千日続けても勝負がつかないという状態だ。
そして、千日手になると最初から指し直しになる。
「ネットテレビ局の法務部にも確認したが、やっぱり、中学生が22時以降まで公式の対局でないテレビ番組に生中継で出るのは、局の内規的にもマズいらしい」
会長が、同じく顔を青くした番組プロデューサーと一緒に戻って来た。
そうなると、確実にタイムリミットを越え、桃花はまるで魔法が切れたシンデレラのように、舞台から姿を消してしまう。
これは、イベントとしてはかなり後味の悪い終わりになってしまう。
「さらにマズいことになってます会長。千日手になりそうです」
「何⁉ ホントか⁉」
慌てて不在時の棋譜を見て、会長は更に顔を青くする。
「確かにこれは……何とか誤魔化せないか?」
「最近の評価AIは、千日手が成立したら、千日手になってるって表示されちゃって、視聴者にもバレますよ」
壇上で解説をしている真壁八段を観ると、どうやら真壁八段も千日手になりそうだということに気付いているようだが、どうしていいか解らず、これまた青い顔で適当な話で場を濁している。
「ヤバい! 中継映像の評価値の表示を消せ!」
「無理ですよ! 今の視聴者数見てくださいよ! こんな大事な終盤の局面でAIの評価値表示をOFFにしたら、局に苦情が殺到しますよ!」
狼狽えた会長の無茶な指示に、プロデューサーも右往左往する。
とは言え1分将棋なので、時間を稼ぎようもない。
どうする? どうする⁉
だがしかし、事態は思わぬ形で幕を閉じる事となった。
「「「「え?」」」」
思わず、その場にいる棋士たちから声が漏れた。
桃花が、手を変えたのだ。
それにより、AIの形勢評価値が一気に、羽瀬覇王・名人に傾いた。
千日手は、正解の手の応酬がループすることで起きる事なので、言い換えれば、先に手を変えた、不正解の手を指した方が大きく形勢を損ねることになる。
そして、桃花が千日手を回避する手を指した5分後。
「負けました」
そこには羽瀬覇王・名人に頭を垂れる桃花の姿があった。
「桃花ちゃん。最後は、やっぱり若さが出ちゃいましたかね」
「けど、覇王・名人相手に惜しかったですよね。終盤まで互角でしたもん。こりゃ将来が楽しみだ」
司会のミポリンや、事情を知らぬスタッフたちはそう言い合っていたが、その場にいる将棋関係者と、一部のスタッフは気付いていた。
『桃花が、手を変えたのはわざとだ』と。
俺にすら千日手が見えていたのだ。
覇王・名人相手に熱戦を繰り広げた桃花に、見えていなかった訳がない。
そして、当然ながら目の前で桃花と対峙していた、あの人も……
ルールが遵守された表彰式で、優勝トロフィーを受け取る羽瀬覇王・名人は、明らかに不機嫌そうな顔だった。
このエピソードは、羽生先生と藤井先生のイベントで起きた事で、その裏側を先崎先生がエッセイ記事で書いた物を元ネタにしています。
真偽が定かな話ではありませんが、とても夢のあるエピソードなんですよね。
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