運命に導かれ③
聖女と聖人の伝説。
ラクスド前国王陛下が見つけた書物には、七百年以上昔のスローレン王国について記されていた。
スローレン王国は今よりずっと大きく、周囲の国々は発展途上で、当時は世界最大の国家と呼ばれていたらしい。
そういう時代もあった。
しかし、度重なる侵略戦争によって土地が奪われ、人々は命を失った。
生きるために、他国に逃げてしまった者たちもいる。
そうして徐々に、大国だったスローレンは力を失い、現在では王都とそこに残った僅かな人口だけとなってしまった。
私たちは王城の書斎で本を探す。
「やっぱりないな。それよりも古い書物は」
「私のほうでも見つかりません。古い本はいくつかありますが、王国の歴史とは無関係なものばかりですね」
ラクスド様から受け取った書物以外で、聖女と聖人について記されている本を探している。
書斎の古い本が並ぶ棚を上から順に探しているが、有力な手掛かりは見つからない。
十分ほど探して、断念した私たちは改めてラクスド様が見つけた本を見る。
「聖女と聖人……か」
アクト様がぼそりと呟いた。
祈りで奇跡を起こす聖女と、聖女の奇跡を守護する役割を担った聖人。
二人は同じ時代に生まれる。
初めて確認されたのは、この本によると八百年ほど前だった。
その後の記載にも、何度か聖女と聖人の名が記されている。
アクト様が読みながら説明する。
「聖女と一緒に聖人が誕生したのは一回じゃない。この記載だけでも三回は出てきている」
「ですが、途中から出てこなくなります」
「ああ。理由はおそらく……」
「……戦争、ですね」
アクト様は小さく頷いた。
聖女と聖人の記載がなくなるタイミングで、戦争について記されている。
周辺諸国からの侵略戦争が勃発した。
七百年前から、この国は戦争を繰り返している。
スパーク王国で習った歴史よりも深く、知らなかった内容が記されていた。
スローレン王国は、数十年前まで周辺諸国と並ぶ大国の一つだった。
しかし戦争が勃発し、敗戦したことで国土の大半を失い、王都だけが残った。
数十年前に起こったのが最後の戦争だ。
それ以前にも、何度も戦争を繰り返して、その度に多くを失っていた。
勝った戦争もある。
負けたほうが多く、土地はもちろん、多くの人の犠牲を生んだ。
私が知るずっと昔は、スローレン王国は他の国家よりも遥かに大きな国だったのだ。
それが長い時間と戦争を経て、小さく……弱い国となった。
「知りませんでした。こんなにも戦争を繰り返していたなんて……」
「仕方ないさ。隣国の……しかも大して大きくない国の過去なんて、わざわざ習うこともない。ほとんどの人が知らない」
アクト様は当然知っていたのだろう。
この国が歩んできたのは、長く苦しい戦争の歴史だということを。
数秒の沈黙を挟む。
私は率直に、誰もが一度は考えるであろう疑問を口にする。
「どうして、戦争は起こるのでしょうか」
「イリアス?」
「……みんな、仲良く助け合って生きれば、幸せなはずなのに」
「……そうだな。俺もそう思う。きっと、多くの人がそれを望んでいる」
アクト様は書斎の窓から外を見つめて続ける。
「だけど、人間には欲がある。今よりいい生活がしたい。もっとお金がほしい。他人に認められたい。奪ってでも……ほしいものがある」
「そんなことをしても、誰かを傷つけるだけです」
「ああ、だから大勢が傷ついているんだ。それでも起こってしまうのは、もう仕方がないのかもしれない」
「そんなの……」
諦めてしまっていいのだろうか。
戦争は仕方がないことだと。
大勢の人が傷つき、たくさん人が死んでしまうのに。
争いの先に、幸せがあるとは思えない。
「だから聖女もいなくなったのかもしれないな」
「アクト様?」
「戦争ばかり起こる国に奇跡は起きない……もしかすると、聖女の言葉すら、耳を傾けられなくなっていたのかも」
「……悲しいですね」
「ああ、だが、それでも戦うしかなかったのだろうな。奪われないためには、抗うしかない」
七百年前に起こった戦争の原因は、周辺諸国との対立だったと記載されている。
当時唯一の大国だったスローレンは、周辺諸国とも友好な関係を築いていた。
しかし大国の土地や資源を欲した周辺諸国は結託し、スローレン王国に戦争をしかけた。
この戦いはスローレン王国の勝利で終わった。
しかし多くの犠牲を出し、疲弊したスローレンに追い打ちをかけるように、他の国々が戦争に介入してきた。
結果、戦争はさらに激化し、世界大戦にまで発展してしまう。
何十、何百倍の人々が命を落とし、スローレン王国も大きな痛手を負った。
戦争は百五十年続き、終戦する頃には、スローレン王国の国土は元の半分にまで減っていた。
そして、聖女と聖人の名も、歴史から消えた。
以降、スローレン王国の歴史に、聖女と聖人の名は記されていない。
この情報から読み取れるものは……。
「戦争で失った土地と一緒に、聖女も他国に奪われたのでしょうか」
「その可能性のほうが高いだろうな。聖女が一時的に現れなくなったか。もしくは戦争で奪われたのか……この国ではなく、スパーク王国で誕生するようになったことを考えると、おそらく後者か。当時の人が戦争を起こした理由の一つに、聖女の存在があったのかもしれない」
「……」
「あ、すまない。別に聖女を、君を悪く言ったつもりはないんだ」
「わかっています。大丈夫です」
アクト様は一つの可能性として口にしただけだ。
他意はない。
事実、聖女の力は人の手では起こせない奇跡を起こすことができる。
戦ってでも奪い取りたい。
そう考える人がいても……不思議じゃない。
だとしたら皮肉だ。
「人々の平和を願い、祈りを捧げる聖女こそが……争いを生んでいたというのだから。
もしそうなら、私もいつか……。
争いの種になるのでしょうか」
「そんなことはさせない。絶対に」
「――ア、アクト様?」
彼は力強くそう言って、私のほうをじっと見つめる。
「君のことで戦争なんて起こさない。国王として、君をこの国に誘った者として、絶対にそんなことにはさせない。ここに誓おう」
「アクト様……」
「今はまだ、頼りない国王だけどな? いつかこの国をもっと豊かにしたいんだ。みんなが心から笑えるような国に……そこには君もいてほしい」
「私も……」
いてもいいのでしょうか?
心の中で浮かんだ問いかけに応えるように、アクト様は言う。
「君はもう、この国の人間なんだ。だったら一緒に笑えるようになろう。幸せを共有できるような国にしよう。俺も頑張るから、君も……どうか力を貸してほしい」
「――はい」
私も、皆が幸福になれる世界を望んでいる。
聖女としての私がいるのは、皆の幸福を願うためだから。
「私も頑張ります。皆が幸せになれるように」
「君もだぞ? 俺が言う皆の中には、君もちゃんと含まれていることを忘れないでくれ」
そう言いながら、彼は私の手をとった。
温かく、優しく包むように握ってくれる。
「……はい」






